束の間の日常
昔の夢を見る。
私は暗くて狭い部屋にいる。外には出られない。
鎖はつながっていない――出られないけど。
窓はついている――出られないけど。
扉は開いている――出られないけど。
だから、夢を見るの。
子供時代の、幸福だった時の記憶。家族がいて、友達がいて、そして、大事なひとが、いた、はず。
大切な人だったのに、今は顔も声も思い出せない……。
思い出せないようにさせられた。
「それは私の力を引き出すために邪魔になるものだから」と。
でも、夢は覚めるもの。夢の最後はいつも悪夢で終わる。
あの日も毎日と同じだと思った。きれいなお日様が、心地よく私たちを照らしてくれていた。
敵が来て、みんな戦った。大切な人を守るために。なのに、私たちは負けた。
私と母さんは敵につかまって、そして……。
私には特別な力があった。ほんとうなら、大切な人にのみ捧げる特別な力。
母さんを人質にされたとき、私は舌を噛んで死を選んだ。
私が生きているから、私の大切な人が不幸になると。
だが、敵は私を生かし続けた。
殺さないための処置をした。
そこから、私の地獄が始まった。たくさんの■と●●●した。
その中には、私の学校の先生までいた。
私はたくさん、●●●して、●●●して、●●●して、●●●された。
私が従順になるように、敵は私の体も、頭も、弄った。
私のせいで、私のせいで、私のせいで、たくさんの人が不幸になって……。
だから、償わなければならない。
ある時、そんな日々が突然終わりを告げて、私は解放された。助け出された。
私にはもう、何も残っていない。この胸の内にある、たくさんの「私」と、憎しみの炎だけ。だから殺す。敵を、私を■■した者たちを、殺すために。
ここから先の記憶が曖昧だった。
気づいたら、私は見知らぬ街にいて、ダエワ達に襲われている少女が目の前にいた。
あの日の私と姿が重なった。
憑神が現れて、でも私に聖寵がなかった。もどかしかった。そんなときだというのに、体に力が入らなくて、私は意識を落とした。
でも、記憶の片隅で覚えている。誰かが憑神と戦い、打倒するのを。
その人物は「ダエワを打倒する」と言った。たとえ一人でも。
彼が本気なのだけはわかった。できるのか、できないのかじゃない。
「今の現状に満足していないのなら、やるしかないだろう」という言葉が印象的だった。
私はどうだろうか。今も、一人でも、やれる?
心の中でその想いを噛みしめて、はっきりと言える。
できる、私は一人でもやる。
私には、時間がない。だから、急がないと。せかすように自分を叱咤して、それから……。
目が覚める。
体中を伝う嫌な汗を拭う。
体中のメンテナンスも欠かさず行う。
大丈夫、まだ持つ。
まだ大丈夫、まだ大丈夫――そうやって自分におまじないをかけ続ける。
準備が整って、階下に降りようとしたときに大声が響いてくる。
その光景に驚きながらも、少しだけ痛みを忘れた。
ここ最近では日常風景になった。
「んもぉおおおおおおおおお!!! 信じられないのです! 信じられないのです! 絶対絶対許さないのです!」
ナギが地団駄を踏む。
「うるせぇな。生理の時のヒス女みたいに騒ぐな、近所迷惑だ」
「いぃいいいい!!! デリカシーのないやつなのです! きぃいいいい!!!」
ナギは今日も癇癪を起こしている。最初のころは冬のことを警戒していた。
人見知りなのに、それでも冬の持つザインクラフトの技術に興味があって、終始無言で付きまとっていた。
最終的には、冬がトイレに入ろうとしたときさえ扉を開けて、じ~っと目を大きく開きながら、瞬きもせずに無言の圧力をかけていた。さすがにあれは止めたけど。
冬も冬だ。
かまってあげればいいのに、なんで何も言わないでそのままトイレしようとするの、あなたは? そう聞いたら、
「聞き晴らしたいことがあるのなら聞けばいいのに、無言でいれば相手がかまってくれると思ってるのが、なんとなく気に入らなかった」と。
あれにはあきれた。相手はそんなことわからない子供なんだから、それをちゃんと伝えてあげないとわからないよ、って言ったら、
驚いた顔をして「そうだな、確かにそうだ」と得心がいったようにうなずく。ほんとに変な人。
ナギが目覚めたときもいろいろ聞いていたけど、答えが返ってこないとわかると渋い顔を作っていた。それで見られているのが、ナギにはにらめっこでも仕掛けられていると思ったのか、ナギまで変な顔をしだして、冬も負けじと変な顔をし返す。
いつまでもやりそうだったので止めたけど、
「なんか負けたくなかったから」とのこと。子供みたいなことを言う。
「あきないね、また喧嘩? 今度はなにしたの?」
私は二人に静かに語りかける。これも最近では日常になった。
あの日、地下から帰ってきた彼らはぼろぼろだった。ナギはなぜ地下にいたのか、本人に聞いても分からなかった。気づいたらそこにいて、記憶はあいまいだと。
「ああ、おはよう、ナツさん。聞いてくれる? こいつ、俺の手にリモコンつけるとかほざくんだぜ。マジ、イカれてるだろ?」
同意を求められても困る。
「言ってないのです!」
「どっちなの?」
あきれてしまう。
ことの発端は、ナギが冬にザインクラフトの技術についていろいろ聞きまわっていたことに始まり、いろいろな提案をしたらしい。
「この数式はどうだ」とか「この公式はどうだ」とか。専門的なことはわからないが、ナギはその手の数学的なことに強いらしい。
だが、冬はことごとくそれを拒否したらしい。
なんでも冬の扱うザインクラフトは、ほとんど数式や既存の公式などを用いない技術らしい。ナギはそれが気に食わないらしく、いつも食って掛かっては冬を困らせている。
「前にもいったろ? ザインクラフトは数学的なものより、美術、絵画に近い表現法という技法を用いている。分野で言うなら、理系より文系に近い。君のそれは俺には不要なんだよ。何度同じ話をさせる気だい?」
ザインクラフトの技術体系は数学脳の人には不向きだ。
冬の言ってることも大概意味不明だが、畑が違うというのはなんとなく伝わってくる。
「わからないのです、わからないのです! 何がそんなにいけないのですか?」
またナギは地団駄を踏む。ナギは冬の前だとかなりわがままを言う。
冬真の前だとなぜかまだギクシャクしており、よそよそしいところがある。
「気持ち悪いから」
「感情論、禁止なのです!」
「いや、あの、ザインクラフトってそこらへん大事だよ?」
自己の存在を構築するためのものが、自己にとって気持ちの悪い物では困るのだ。パフォーマンスに影響する。
自分を、世界を、他者を、どのように捉えて表現するのか。
「数式を用いてはいけないとは言わないけど、俺には合わない。とても観念的、概念的、抽象的なものを絵の具のように抽出して、練り混ぜて、描き出す。音が聞こえる絵画、味のする音楽……本来、組み合わせとしては意味不明だが、そこに意味を見出すならそこに食指をのばすのはありなのだ。なぜ好まないのか、そういう存在だからとしかいいようがない。冬真はパクチーが好きだが、俺は嫌いだ。苦いのは人生だけで充分だ。そこに理由はいらない」
とにもかくにも、数字で表すザインは自分の描きたいものとはどうしてもズレてしまう。
それが気持ち悪いのだと冬は語る。
ナギはそれが気に入らないらしい。
「どうしてそれが、リモコンに繋がるの?」
「いくら利便性を上げるためだからと言って、体になんでもぶち込めばいいというものではない。健常な腕があるのに、わざわざ腕を切り落として、高性能な義手をつける奴はほとんどいない。俺だってそうだ。どんなバグが発生するかわからないし、間違いなく機能しない。別のところにも問題が出る」
「それのなにが悪いんですか! いいじゃないですか! 腕にロケットパンチでもガトリングガンでも、冷蔵庫でも、電子レンジでも、テレビでも、リモコンでもいれればいいのです!!!」
トチ狂ったことを言う。ヤケになっているのか、支離滅裂だ。
「嫌だよ、そんなキメラ」
「んぃきぃいいいいいいいいいいい!!!!」
また地団駄を踏むナギ。
「じゃあお前は、リモコン探すの面倒だからって、リモコンを腕にはやすのか?」
「いいじゃないですか! つければいいんですよ、リモコンつければ便利なのです!」
ループしてるよ? この子ほんとに賢いのだろうか。さっき「してない」って嘘いったよね?
「冬真、頼むからこの子、どうにかしてくれ~」と、冬は辟易しながら心の中でごちた。
「あほか……あほか」
つい本音の出る冬。
「また! またアホって言った! アホって言ったのです! しかも二回も!」
顔を赤くして地団駄を踏むナギ。
「はぁ、くだらない」
あきれてしまった。
「どうしてわかってくれないのです! 私は冬さんのためを想って提案してるのに!!」
「あのね、自分の中身をいたずらにひと様に見せるものじゃないの。家族だろうが、恋人だろうが見せないよ」
「冬、これから見回りでしょう?」
冬に助け船を出す。冬は口は悪いが、さすがに今回のことはあまりにもかわいそうだ。
「ああ、そうだった」
「あ、あ、あ!! にげるのですか!?」
ナギは指をさしてそれを咎める。
「お子様にかまってられないよ。俺は忙しいの!」
「う~んんん!!!」
ナギは普段は頭のよい子なのだけど、まだまだ感情をコントロールしきれないのだろう。
ゆでだこのように赤い顔になる。
「ナギもやることがあるでしょう? この町では自分の食い扶持は、自分で稼がないと、ね」
私はしゃがみこんで、ナギと目線を合わせて話す。
「……はい、なのです」
しょぼん、と音がしそうなほどにしょげている。ナギは感情の起伏が極端だ。
彼女の着替えを手伝いながら、一緒に家を出る。
この日常が、どこかで心の清涼剤になっている。
自分だけではつぶれてしまっていたかもしれない。
「ナギ、ちゃんと準備はできたか?」
「失礼なのです。ちゃんと準備できてるのです」
膨れっ面をするナギ。
「だぁ、ちゃんとみしてみろ」
そう言って、ナギに刻んでいる刻紋を確認する。
あれ以来、ナギがいなくならないように、またナギに危険が察したときに知らせる刻紋が適宜動作するか確認している。
「……もし、どうしてもっていうのなら、手をつないでもいいのですよ?」
ナギはもじもじしながらも、出かける直前に手をそわそわさせる。
冬は面倒くさそうにしながらもナギの手を取って、外に出る。途中まではいつも一緒に行く。
「おねぇちゃんも、手、握ってくれる?」
そう言って差し出された小さな手を見た瞬間、自分の手がひどく汚れていることを思い出して、手を引いた。
反射的に私は一歩後ずさってしまう。
ナギは悲しそうな顔をした。
ああ、また傷つけてしまった。
「そんなに手をつなぎたいのか、ナギ? じゃあ俺が代わりに両方握ってやるよ」
「歩きづらいのですぅ~」
そう文句を言いながらも、ナギはうれしはずかしそうに笑っている。
ナギを肩車して歩き出す。
冬には頭が下がる。きっと、気を遣ってくれているのだ。
それが、かえって心苦しくもあった。
ナツは監査所に向かうために途中で別れる。
彼女は現在監査所で、この町に入る避難民の教練を取っている。この町のルールを説明したり、仕事の斡旋をしたり、教育もする。
「おねぇちゃん、私のこと嫌いなのかな?」
ぽつりと、ナギはつぶやいた。
嫌ってたら毎朝お前を起こしにきたり、夜怖くて泣いているときに抱きしめてくれたりしないだろう?
「じゃあ……なんでぇ?」
泣きそうになるナギに、俺はこう答えた。
「申し訳ないんだよ。なくしてしまった人たちに対して――家族とか、友達とか……みんななくしちまったんだ。自分だけが幸せを感じて、苦しくなるんだよ」
大切なものってのは代替はない。代えはきかない。
ナギは黙っていた。
理解しているかはわからないが、静かに聞いていた。
「毎日元気な姿を見せてやりな、ナギ。関わり続けて、ぶつかり続ければ、いつかお前のことも大事な一部になっていく。重ねた時間は嘘にはならない」
少なくとも、外野はそう信じるしかない。見守るしかないのだ。
「元気を出せ」とか、他人の都合で言われたくはないだろう。悲しい時になぜ笑わないといけないのか、理解できないからな。少しずつ傷が癒えていくことを願い、支えるくらいしか俺らにはできない。
「……うん」
「ナギ、わかっていると思うが、刻紋を刻んだエリアからは絶対に出るなよ」
「……わかってるのです」
ナギには家畜の世話をしてもらっている。家畜はこの町でも貴重な存在だ。任せられる人間は少ない。それに、ナギはいつふらっといなくなるかわかりづらい。
彼女の身に起こったことは俺にも理解不能だ。慎重を期さないといけない。
彼女は冬真との記憶も持ち合わせてる。在核はないので本物ではないはずだが……俺の知る補完体の性質を逸脱している。
原因は不明。この町にいることも、現状を理解し、混乱はしても順応はしてる。彼女の扱いは困難を極めたが、縛りつけておくわけにもいかない。
できるだけ近くにおいておけるように、ということで、俺の観測の届く範囲で家畜の世話をさせている。彼女には何もないことを願う。
◇
冬真はすでにヒジリさんの元にいってお手伝いをしている。
ナギは豚や牛の世話をしている。豚や牛は殺すのではなく、その体の一部分、血の一滴でもあれば生体工場で肉のみを培養し、大量生産できるらしい。だから殺さずに生かしておくだけでも意味がある。
ヒマワリとヒメは、避難民の中の子供達の案内・世話をしている。不安になる子達は多い。
みな、街のために駆けずり回っていた。
冬が地下から町に帰ってきてから、もう数か月たった。
帰ってきたときは驚いた。顔見知り含め、人が増えた。たくさんのできごとがありすぎて、いまだに収拾はついていない。そんなことよりも今、生きるためにすることが多すぎて。
毎日、夜通しで何かしら町中を走り回っている彼の姿を見かける。
いつ休んでいるのか、私は見たことがなかった。
町や住民には刻紋を刻んでいる。徴収用、監視用、警備用。
刻紋は身を守るためのものでありながら、住人から存在エネルギーを回収する手段でもある。存在エネルギーは、なんでも他人のものを混ぜ合わせて使うのは難しいらしく、洗浄というものを行わないといけないとか。そのせいもあって、生体工場と呼ばれる食料生成装置は常に稼働しているが、得られる食料が町の住民の数より少ない。深刻な問題が出ていた。
聖都を制圧してからというもの、各地に散っていた人たちが聖都の周りに集まり、中に入れてくれるように懇願してきた。だが、冬は聖都を即座に封鎖した。護神像の一柱である王国の力に酷似した刻紋で聖都周辺を覆って、人が入れないようにした。最初は戸惑ったが、理由はすぐにわかった。町中にダエワの手下のノルマが大量に紛れ込んで、問題を起こしたから。
冬はその対応に四苦八苦していた。
食料の生産ラインは死守しないといけないこと、人攫いも起こった。
ダエワ側につくノルマにもいろいろいる。アニマが嫌いなノルマや、ダエワに人質を取られているもの、改造や薬物洗脳を行われた者など様々だ。
そして今もまだ、彼らの存在はこの町に潜んでいる。油断はできなかった。
なぜなら、この町はすでに限界に来ていた。住人達も疲れ切っている。「生体工場の複製はできないのか」という話をすると、刻紋は情報をそのまま複製することができないらしい、ということがわかった。
存在学において、存在の複製は不可能なのだそうだ。
なぜかと冬に聞くと、世界にとって俺ら人間は座標のようなものだと彼は語った。
「例えば、北緯何度、経緯何度という座標情報をまるまるコピーしたとして、じゃあ同じ星の上で『その座標を複製してください』と言われて、意味が分かりますか? と。そんなことはできるわけがない。というより意味がない。座標はそもそも位置を表すだけのものだ。複製しても、そこにはすでに同じ座標情報が存在している。もし仮に実行しても、それは複製というより、上書きとか、更新ということにしかならない。たぶん、世界にとって存在を複製するって、俺らにとっての座標情報と同じで、意味が理解できないんじゃないかな?」と、冬は語っていた。
似たような刻紋を冬は作ってはいるが、それはその刻紋の本質的な技術情報を理解しているからと、簡易的なものだから、似たような性質の別物を作っているにすぎない。人間という概念一つとっても同じ存在はいないのだから、根本情報さえ理解できてるのなら可能だと冬は語った。
逆に言えば、あまりにも高度な文明技術の遺物は、情報を読み込めたくらいで似たような刻紋を生産するのは無理だとのこと。
生体工場は技術的にまだ未明な部分が多すぎて、刻紋化の大量生産のできる域に達していない。宇宙ロケットの設計図を読めるからと言って、専門家でも安全が完全に確保された宇宙ロケットを組み立てられるには、運と根気と金とセンスと時間がいるように、高度な技術の複製は多くの複合的な条件が必要だった。
冬のもたらした技術は、私たちが思っているほど万能ではなかった。
だが、冬がいなければここまで盛り返すことは不可能だったろう。感謝している。
外にはたくさんの難民がいて、今も膨れ上がっている。それらを少しでも中に入れられるようにしているが、状況は芳しくない。冬はあくまで人民の保護を最優先してくれているようで、残り二機の憑神に関しても、最後の善意に関しても、いまだに対応がなされていない。
「私も、監査所の仕事にいかないと」
そんな時に、ヒジリさんから呼び出しの連絡が入った。冬の与えた刻紋により使える、
電波を使わない通信機「Rings」は、刻まれた者のみ通信が可能。
ヒジリさんたちもいろいろあった。春と呼ばれる男とのことも。だが、みなは一様に春という人物のことについては私に話したがらなかった。
春という人物は現在、冬がとある場所に隔離している。時折面会をしているようだ。
冬が仕事を押してまで幾度も会うほど、なにかがあるのか、その男には?
疑問には思うが、今はほかにも問題が山積みだ。
私はヒジリさんより、一つの伝令を承った。




