原作者
ぱしゃりっ!
その音と共に頭上から心地良さとは程遠い痛冷に目を覚ます。
ぴちゃぴちゃと垂れる水滴から水を引っ被せられたことを察する。
優しさの欠片もない横殴りのような強制水浴びに、こちらへの姿勢が伺えた。
「起きろ」
冷徹な女性の声が鼓膜を叩く。
俺はゆっくりと頭を上げ、周囲を確認するが、
目の前にある顔に、まず驚いた。
その顔には、はっきりと見覚えがあったのだ。
おいおい、マジかよ…
周囲を取り囲む5人の人間にも目をやる。
春ともう一人の見知らぬ女性を除けば、いずれもこのゲームの原作で見覚えのあるメンツだった。
こちらの両手両足は頑丈に固定され、身動き一つ取れないまま壁に吊るされている。
また鎖で捕まっているところから目覚めるわけね、俺。
愛用のザインクラフトも、ご丁寧に取り上げられている。
というか、全裸にされて吊るされていた。
最初の頃より扱いが酷いな。所持金ゼロ、装備もゼロ。実に俺らしいと言えば俺らしいけれど。
ていうか、さっき浴びせられた水、まさか下水道の水とかじゃないよね……?
「やぁ、お目覚めかい? もどき君。何か言うことは?」
相変わらず、顔に張り付いたような余所行きの笑顔。
春は目の前の椅子に乱暴に足を乗せ、机に腰掛けていた。
「目覚めのキスがご所望か? いいぜ、来いよ。噛みちぎってやる」
ふぅ~、と口を尖らせ、拘束された手を上げてぶらぶらと振ってみせる。
調子ぶっこいてやがる。
「猛々しいねぇ~! デケェコンプレックスぶら下げてる奴って、気まで大きくなるらしいからね。──『弁慶の悩み袋』だっけ?」
ヘラヘラと薄ら笑いを浮かべる春。
『弁慶の泣き所』だろ。
全然合ってねぇよ。意味も脈絡も関係ねぇし。
そもそも悩んでねぇよ、ブチ殺すぞ!
あと、単純に顔がムカつくな。
両手の指を女の子みたいに曲げて、自分の両顎を挟んでいるあのポーズ。男にやられると不快感が倍増し。
「やっぱ、マシロじゃないねぇ〜、君。喋る内容も性格も、私のイメージとだいぶズレる…」
春はつまらなそうに首を振る。
「ぱっと全身調べてみたけど、他に違いがあると言えば、その両腕と胸の穴くらいだね。それ、なんなの? 一体どうなってんの?」
「それは俺が知りたい」
動かす分には不自由しないけれど、やっぱり客観的に見て不気味だからね、これ。
「ふ~ん?」
『う、う~ん……あれ、ここは……?』
脳内で冬真も目を覚ましたらしい。
「驚いた。本当に中身が違うわけね」
先ほど俺を冷水で起こした女性が、こちらを覗き込みながら静かに口を開く。
『な、な、な、なんだ、この、超絶パーフェクトボディのおねいさまは……!?』
冬真の念波がうるさい。どうやらマザコンのストライクゾーンに直撃してしまったらしい。
それもそのはず。このお方は、こんな若々しい見た目で二児の母親。
艶やかな黒髪のストレートロング、綺麗な額が覗く、凛とした佇まいの女傑。
このゲームの主人公『光善』と、最強のアニマ『光晃』の母親──『光聖』、その人だ。
まさか、生きていたとはな。
原作ではどのルートを選んでも生死不明になるキャラクターだ。物語の前後関係から「生きている」とは推測されていたが、バッドエンド後のこの崩壊世界で生き残れているとは思わなかった。
「中身は『醜男』ではないのか? あいつの憑神は憑依系の力だろう」
聖さんが訝しげに春へ視線を向ける。
「絶対とは言わないけど、多分違うよ。ヒデオがあんなに高度な近接格闘をこなせるわけないし、こんなエッジの効いた返しもできない。あいつは良くも悪くも、もっと直情的な性格だから」
「ほぉ~ん? となると、こいつの中身は、一体誰なんだ?」
「それは直接、当人から聞いた方が早いよ。どう答えるのか、非常に興味深いしね」
春の奴、完全にこの状況を楽しんでやがるな。
俺は春の腰元を睨みつける。
「ロハネの遺物を持ち込むとはな。クソ野郎が」
「そう言ってやるなよ。この子は君のことが気に入ったみたいだよ? 今日は随分と機嫌がいい」
寝ぼけんなや。
そいつが吐き出せるのは睦言じゃなくて、ただの不快な騒音だけだ。
「……必ず、手痛いしっぺ返しを食らうことになるぞ」
ロハネの遺物とは、本来そういうものだ。必ず人間に呪いを返す。
「何事にも例外はあるさ。私はこれと相性がいい」
「ああ、いるよね。自分だけは特別だって思い込んでる奴。それ、だいたい勘違いだから」
笑顔で言った瞬間、春の拳が俺の顔面をぶん殴った。
「君、本当に口が悪いな。友達いないだろ?」
「鏡を見たことねぇのか。そっくりそのまま返してやるよ」
びっくりするぜ。
思わずひっくり返りそうな台詞を言われてしまった。
ブサイクな奴に「お前、ははっ、ブサイクだよな! ははっ!」って笑い飛ばされた時の気持ちに酷く似ている。
「くだらん漫才はそこまでにしておけ。聞きたいことは山ほどあるんだ」
ヒジリさんが低く鋭い声で遮り、話を本題へと引き戻す。
彼女が一歩前に進み出た。
「で? まず、お前は誰なんだ?」
「……『冬』と、今は名乗っています」
とりあえず正直に答えた。
別にもったいぶるほどのことでもない。
「ふざけているのか? 偽名だと言っているようなものだ」
「正確には、元の名前をとある理由で失いまして。便宜上の仮称でそう名乗っているだけですが……そうですね、本名として受け取ってもらって構わないですよ。結構、気に入っているので」
「どこまで本気なんだか」
聖さんは呆れたように息を吐く。全部本音なんだけどな。まぁいいや。
「なぜ、マシロの身体を使っている?」
「それは……成り行き、としか。狙ったわけじゃなくて、気づいたらこうなっていたので」
眉根を寄せる聖さん。どうにも信用されていない。
「お前は他人の身体を乗っ取れるのか。あるいは、魂を行き来させることが可能か? ヒデオのような憑依技術が使えるのか、と聞いている」
「できるか、できないかで言えば、技術的には可能です。ですが『今の俺にはできない』というのが正しいですね」
今この入れ物を無理に入れ替えようとすれば、取り出した瞬間にぐちゃぐちゃになって、俺と冬真は入れ替わる前に霧散してしまう。
危ない橋すぎるからやらない、というか物理的に不可能なのだ。
「あん? もっと分かりやすく話せよ。お前、マジで何言ってっかわかんねぇぞ?」
苛立ちからか、ヒジリさんの地に眠るヤンキー口調が顔を覗かせる。
「はぁ……これでもかなり正直に、噛み砕いて答えているんですけどね……」
昔からプレゼンが苦手だ。
白銀にいた頃から、自分で企画を立ち上げてやりたいことを簡潔に話しても、一発で相手に伝わった試しがない。
結論から話したし、成功した時の利益も提示した。
予算も期限も明確にして、技術的な話も専門用語は避けて短くまとめたつもりだったのに、それでも理解されなかった。
結局、圧倒的な結果を出して証明するしかなかったのだ。
結果も利益も出したのに、最終的な理解は得られなかったけれど。
一体、何がいけないんだろうな、本当に。
「意外だな。もっと激しく抵抗するかと思ったのに。降参したわけ?」
春が横から茶々を入れてくる。
「別に隠す必要もないし、聞かれたら答えるくらいはするわ」
──春は、あとで確実に殺すけどな。
「そ? じゃあ、君の目的は?」
「一つじゃないからな。まぁ、当面の最優先事項は『アニマ達を救うこと』かな。ノルマは……まぁ、成り行き次第? あいつら、次に何をしでかすか分かんないし。あと、ダエワは殺す」
「はぁ? 本当に言ってんの? できんの? 君に?」
春が小馬鹿にしたように鼻で笑う。
そりゃそうだろう。こんな場所であっさりと拿捕されている程度の奴に、何ができるんだと思われるのが普通だ。
「はぁ……一応、『ジャクラ』は殺したしね。残りは醜男と黒だけだし」
二人とも搦め手(絡め手)が得意なタイプで、直接戦闘は大したことはない。
サジャとウジャとの戦闘中、横槍を入れられなかった時点で彼らはそこまで脅威ではない。
──いや、ジャクラを倒したのは俺じゃないけれど。
「ちょっと待て……! ジャクラが、死んだ……!? どういうことだ、いつの話だ!?」
聖さんが鋭く反応する。
「気づいてなかったん? 今までどこにいたんだよ、あんたら。俺らはつい数日前に聖都入りしたんだ。知っていてもおかしくないと思うけどな」
ヒジリさんがギロリと春を睨みつける。
「お前……知っていて黙っていたな」
その身体から、凄まじい威圧感が放たれ、春へと詰め寄る。
「こっちの情報の方が重要だったので」
春は春で、けろりとした顔で受け流している。
「ジャクラを倒したというのはいい。だが、この聖都の周辺には憑神所持者が三人──いや、四人いたはずだ」
サジャとウジャは本来一人の人間だから、三人と評しても間違いではない。いちいち突っ込んで話をこんがらがらせる必要もないだろう。
ただ、その質問が飛び出してきたことで、こちらにも強烈な疑問が生じる。
「サジャとウジャは、すでに討滅されていましたよ。俺達がここに入った段階でね。理由は不明です。てっきり、そちらが片付けたのかと思っていましたが……違うんですか?」
「何……?」
「初耳だな、それは」
聖さんだけでなく、春も眉根を跳ね上げている。本当に想定外だと言わんばかりの表情。
(……じゃあ、本当に誰なんだよ。あいつらを始末したのは)
正直な話、春の持つ遺物なら、サジャとウジャを討滅するのは容易いはずだ。
奴らは物理攻撃には滅っぽう強いが、特殊な概念攻撃には弱い。
最悪の相性だったはずなのだ。
「あんたらって、一体どういう集まりなの?」
てんで、全貌が見えてこない。
特に春という存在が、この世界のタイムラインにおいてノイズすぎる。何がしたいのかが全く分からない。
春はザインクラフトを持っていない。
だとしたら、どうやってこの世界に侵入したというのだ。
「勝手に質問するな」
ぴしゃりと、ヒジリさんが冷酷に切り捨てる。
「へいへい。じゃあ、他に何が聞きたいの? これ以上は大したことは言えないと思うけど」
「お前の『正体』についてだ」
「はぁ? それは最初に答えたと思うんですけど。え? 痴呆ですか?」
すかさず、容赦のない拳が顔面に叩き込まれる。
「答えたのは『名前』だろう! アタシはお前が『何者』なのかを聞いてんだよ!」
「禅問答か何かでしょうか。それとも、俺が何で構成されているのかという話? 原子レベルで質問されても困るんですけど。それとも、ここで一発ボケろってこと? 勘弁してよ。とりあえず、愛と勇気以外の何かで構成されているのだけは確かだね」
また殴られた。痛てぇな。
まぁ、ある程度、何を暴きたいのかは察しているけれど。
まともに答えるには、少々説明しにくい質問だ。
「確かに、質問がアバウトすぎたかもね」
春が手を叩く。
「だから、もっと明確な方法で調べさせてもらうよ。ハルナ、おいで」
春に呼ばれて、一人の見知らぬ少女が前に出てくる。
(本当に誰だ、あの子……?)
メインストーリーはおろか、サブクエストにも『ハルナ』なんて名前の子は出てこない。この子も、現実世界から引っ張られてきた人間か?
少し異国の血が入っているようなエキゾチックな容姿。柔和な表情と、少し垂れがちな瞳が、周囲に優しげな空気を与えている。
「先ほどは質問が良くなかったね。ハルナ、こう聞いてくれる?──『君はどこから来たのか』って」
まぁ、そう来るよね。流れ的に。
確かに、非常に答えづらい質問だ。
仮に正直に答えたところで、信じてもらえるはずがない。
「この世界はゲームの世界です」なんて言われて、その世界の住人がすぐに納得できるかと言われれば、絶対に無理だ。
むしろ、悪質なふざけた態度だと捉えられる可能性が極めて高い。
だから、答えられない。
答えたくないのではなく、『真実を答えることが、より深い疑心を生む』からだ。真実がいつだって正しい答えとは限らない。
俺って別にふざけているつもりはないんだけど、昔からあまり言動を信じてもらえないんだよね。
ハルナと呼ばれた少女は、申し訳なさそうに眉を下げながら、こちらに小さく謝罪した。「ごめんなさい」と。
すると次の瞬間、彼女の身体が神々しく輝き始める。この光は──。
「聖寵……!?」
にやり、と春が醜悪に笑う。神が死んでから、この世界で聖寵は使えなくなったはずだ。どうやって発動させている?
「ハルナ、覗いて。彼の頭の中身を」
「見せてください。あなたが、どこから来たのかを──」
ハルナが俺の額にそっと手を当てる。
その直後、彼女は最初は苦しそうな表情を浮かべ──次いで、不思議そうな顔になり、やがて不可解さに満ちた顔へ変わり、最後には圧倒的な「驚愕」へと表情を激変させた。
「これって……! あなた、本当に人間なのですか……!?」
どうしよう。
これまでの人生、あまり人間扱いされたことがないから、「人間ですよ」って胸を張って言いづらいんだよね、俺。
「それって生物学的な話? まぁ一応、人間から生まれたから、生物学の定義上は人らしいよ」
ハルナは両手で口を覆い、ショックを隠せない様子で青ざめていく。
「あなたの頭には今……『脳みそ』が入っておりません。空っぽです」
嫌味にしてはパンチが効きすぎている──という意味ではないのだろう。薄々わかっていたことではあるけれど。
それにしても、表現がストレートすぎない? まともな人間が、君みたいな真面目そうな顔の子にそんなこと言われたら、結構ショック受けると思うよ。俺は受けないけどさ、一応ね。
「両腕も、そして『心臓』すらも存在しておりません……! どうなっているんですか!? 存在していないものは、私の力でも調べられない……信じられません……!」
少女は激しく息を呑み、一歩、また一歩と後退りする。
「はっはっは!! 脳みそが入ってないんだってさ! 冬、本当に脳みそ空っぽの奴には初めて会ったよ! くっくっく、退屈させないねぇ、君は本当に! でも困ったことになったな~」
春が愉快そうに振り返る。
「これで君の正体を知る方法が、あと一つしかなくなってしまったなぁ~」
楽しそうに指示を出す春。
ハルナが「待ってください!」と制止するが、春は彼女の身体を無理やり後ろへと下がらせ、代わりに『双子』の二人を前に来させる。
この二人は、よく知っている。ゲーム本編に登場するキャラクター──『此方』と『彼方』の姉弟だ。
この双子の役割は、尋問官。主人公のゼンも、原作で一度は通った道。
つまり、これから先に待っているのは──『拷問』、ということだ。
春としては、最初からこの手段を執りたかったのだろうな。
「どうしよ、どうしよコナタお姉さま……! ぼく、ぼく、やっぱり怖いよ……! 人を傷つけるなんて……っ」
おどおどと挙動不審になり始める、弟のカナタ。
「大丈夫よ~、カナタさん。お姉ちゃんがついてるからね~。カナタさんが嫌がるなら、お姉ちゃんが全部頑張っちゃうから」
妖艶に弟を甘やかす、姉のコナタ。
尋問官だというのに、二人ともフリル付きのメイド服のような衣装を身にまとっている。双子なのでそっくりな美少女然とした顔立ちだが、片方は男だ。一部の物好きな層には、男(弟)の方が需要が高そうなキャラクターである。
だが、どんなに気弱な言い訳をしようが、仕事になれば一切手を抜かない。性格は臆病でも、職務は極めて真面目にこなす二人だ。
情報を吐くまで、こちらの身体が人の形を保っていられるかは極めて不透明だな。
『ねぇ、なんかこの双子、普通にヤバくない……!? おどおどしてるのに、めちゃくちゃ殺る気を感じるんだけど! ねぇ大丈夫だよね!? ねぇ、冬!?』
脳内の冬真が完全にパニックを起こしている。
「落ち着けよ冬真。焦ったって事態は解決しない」
『あんたは落ち着きすぎだよ! なんでそんな平然としてられるの!? 今から拷問されるんだよ!? てか、拷問にあんなデカい刃物いらなくない!? 普通に人死んじゃうでしょ! あれなんてどこに入れるものなの!? てか入るの!? 使用用途不明な器具が多すぎるんだけど!!』
「冬様、とおっしゃいましたね。……始める前に、一つ質問させてください。僕たちに、お話を話してくれるつもりはありますか……?」
カナタがおどおどとキョロキョロ、もじもじしながら、上目遣いで律儀に問いかけてくる。
これからやろうとしている凄惨な行為を除けば、実によく教育された礼儀正しい子供だ。
「……脅迫される前なら話したけど。武力行使された時点で、喋る気は完全に失せた」
昔からこの手の強制には素直になれない、実にお買い損な性格をしていた。
というか、この程度の脅しでビビって尻尾を巻くような貧弱な神経しか持ち合わせていなければ、そもそも都市を相手に大戦争なんて起こさない。
「そうですか……残念です」
真底、申し訳なさそうに下を向くカナタ。
「カナタさん、どうしても無理なら、お姉ちゃんに代わってね?」
「コナタお姉さま……ううん、これは僕のお仕事だから。お姉さまに押し付けるわけにはいきません」
代々、組織の「裏の仕事」を担ってきた家柄の子供達。普段の性格は決して悪くない。
ただ、狂おしいほどに真面目なのだ。
キリリ、と表情を尋問官のそれへと切り替え、作業に及び始める。
パチンパチン、と爪剥がしの専用器具を持ち出すが、カナタはすぐに困惑した顔を浮かべた。
当然だ、俺のこの「マシロの身体」の両手には、すでに爪が一枚も残っていないのだから。
仕方なく、彼らは俺の足の爪へと狙いを定める。そして、容赦なく引き剥がした。
『ひ、いぃいいいいいいいッ!!!』
脳内で冬真が絶叫する。うるせぇな冬真、たかが爪くらいで。素人が。
「君、ちょっと手際が悪いね。もっとシャカシャカやりなよ」
俺は吊るされたまま、作業中のカナタに文句を言う。爪の一つ二つ剥くのに時間を掛けすぎだ。
「ご、ごめんなさい……!」
「なんで君が謝ってんの!?」
横で見ていた春が、呆れ果てた声を出す。
コナタが俺をキッと睨みつけた。
「……私の弟をいじめないでいただけますか?」
「いやいや、今いじめられてるの、客観的に見て俺の方ね?」
なんで俺が怒られてるの?
おかしいでしょ、この空間。
「拷問に慣れているな、君は」
ヒジリさんが腕を組み、冷ややかな視線を送ってくる。
「あのね、俺これでも、かつては『サルベージャー』だったこともあるんだぜ? そんな命知らずが、爪の一つ二つ剥がされたくらいで痛がると思うか?」
手足が木端微塵に吹き飛ぶようなこともあれば、内臓を垂れ流しながら一晩中戦い続けることだってザラにある職業だ。
遺跡の中には、侵入者をただ苦しめるためだけに、古代の知恵を全力を尽くして詰め込んだような悪趣味な罠もある。ロハネの遺跡がいい例だ。──いや、最悪の例だ。
サルベージャーなんて因果な商売を続けている奴は、みんなどこか頭のネジを10~20本ほど、遺跡のどこかに落っことしてきている。正気のままで遺跡探索者なんてやれるはずがないのだ。
「なるほど。そういう経緯があるんだね。でも困ったな、肉体的な拷問が効かないとなると……」
春が顎に手を当て、思考を巡らせる。
そして、思いつきのような極悪なセリフを口にした。
「もういっそ、地上にいるアニマを何人か拉致してきて、こいつの目の前で拷問してみる?」
俺が「アニマ達を救う」と言ったから、その優しさを人質に取ろうという魂胆だろう。
「そんなことできません! 無辜の民を傷つけるなんて、そんなこと……絶対に許しませんから!!」
ハルナが激昂して叫ぶ。
「聞き捨てならないな、春」
聖さんの声の温度が、一気に絶対零度まで下がる。
仲間内からすら、完全に総スカンだ。今のはさすがに失言が過ぎたな、春。
春の身体がビクリと震え、こちらに視線を向けてくる。
「……試してみるか?」
俺は低く笑う。──お前が、一体どうなるかをな。
ひやりと、春の頬を冷たい汗が伝う。
いつもの張り付いた薄ら笑いとは異なる、余裕のない表情。
部屋の中にいた全員の空気が、凍りついたように固まる。
「手足を拘束され、頼みのザインクラフトもこちらにある。私と戦った時の、君の身体にあるあの紋様が実体化するのも、すべてザインクラフト由来の技術なのだろう? 今の君に、抵抗できる余地など万に一つもないと思うがね」
春は自分に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「じゃあ、なぜ俺がここまで余裕を崩さないのか、わかるか?──『命までは奪われないだろう』とタカを括っているから? 本当にそう思うか?」
俺は吊るされたまま、春を真っ直ぐに見据える。
「俺には、いくつか切り札がある。お前が今も五体満足で生きていられる理由はただ一つ。お前が俺を『殺そう』とはせず、生け捕りにしようとしたからだ。その選択のおかげで、お前はまだ生きている」
ロハネの遺物がどうとか、そういう低次元の話ではない。
俺の魂には、敵を確実に道連れにする類の世界滅亡規模の兵装が組み込まれている。
俺はただでは死なない。
死ぬ時は、確実に敵を盛大に道連れにする。嫌がらせのプロを舐めるなよ。
「そしてお前はこう言ったな。『ザインクラフトを取り上げた』と。──物理的に取り上げた程度で、俺からザインクラフトを奪ったことにはならないんだよ」
「……なに?」
春は、ザインクラフトを保管していた厳重な箱の中身を確認する。
それは外の空間の情報伝達を完全に断絶する、特級類の遺物。
箱を運用している管理者以外には、絶対に中身を出し入れできない仕様になっている箱だ。
なのに。
頑丈な箱の中には、すでにザインクラフトの姿はなかった。
「お前の用意した設定には、こんなもの、なかったろ?」
冬の首元には──いつの間にか、鈍い輝きを放つザインクラフトが、最初からそこにあったかのように静かに垂れ下がっていた。
「止め──ッ!!」
春が叫び終わるよりも早く。
ふっと、冬の全裸の身体は、陽炎のように霞んで空間へと消え失せた。
カチャリ、と虚しく手錠と鎖が地に落ちる。
あたりを見渡すが、部屋のどこにも、もう冬の姿はない。
「いったいいつの間に……!」
春の驚愕の声が響く。だが次の瞬間、冬の声のエコーが、部屋の全方位から鳴り響いた。
音源の座標が全く特定できない。
『──俺は忙しいんでね。まずはアニマ達に届けなきゃいけない遺物がある。そのために、わざわざここに来たのだから。それを届け終わったら……心置きなく、殺しにきてやるよ、春』
今度は油断などしない。一度手の内を観た遺物が、二度も俺に通用すると思うな。たとえそれが、ロハネの遺物であろうとも。
「……敵に回してはいけない類の奴を、敵に回しちゃったかな、私」
ぽりぽりと、気まずそうに頭を掻く春。
「仕方ない、場所を移すよ。ここにいたら──」
(冬に殺されるのを待つようなものだ)
そう続けようとして、しかし、春はそれ以上言葉を紡ぐことができなかった。
サジャとウジャ。
あの凶悪な二大憑神を踏破した『謎の存在』は、結局のところ、どこへ行ったのか。
──いま、その本物の厄災が、この部屋のすぐ目の前までやってきていた。




