第二十七話 鐘はなる
ナルシア期間に入ってから、クレセルイはずっと研究所に籠もっていた。あれから、もう二日が経っていた。
彼の胸中を占めるのは、あの夜ベルセリールと交わした言葉だった。
——あの時、彼女は怒ってなどいなかった。ただ、懸命に伝えようとしていた。優しく、遠回しに、傷つけないように。それがわかるのに、どうしてあの時、自分はあんな態度を取ってしまったのか。
疲労があったのも事実だ。しかし、それ以上に、彼の心に潜む“信じたくない真実”が、冷静な判断を奪っていたのだ。
彼は今、破ってしまったベルセリールの資料の破片を袋に詰めて机に置いていた。バラバラの断片では、もはや元の内容を読むこともできない。だが、彼女がどれだけ真剣に自分に向き合ってくれていたかは、今なら痛いほどわかる。
その時——研究室の扉がノックもなく開かれた。
「よう、クレセルイ。研究の進み具合はどうだ?」
現れたのは、親友・レグリスだった。
「ああ、うん。まあ……順調だよ」
努めて明るく返したものの、クレセルイの顔には張りつめた疲労が浮かんでいた。
その空気を察したように、さらにもう一人が姿を現す。
「クー!……あら、レグリス様もご一緒だったのね?」
銀髪の少女——ルーナリアだった。清楚な青いドレスを身にまとい、狐耳をぴくりと揺らしている。
「おお、ルーナリア嬢じゃないか。クレセルイの式典ぶりだな。相変わらず人形みたいに綺麗だ」
「ふふ、人形なら私よりも……クーの奥様のほうがずっと相応しいわ。可愛らしくて、着せ替えて遊びたくなっちゃうくらいに」
場の雰囲気は和やかに見えた。しかし、ルーナリアはすぐに兄の様子に異変を感じ取る。
「……クー? なんだか元気がないけど……まさか、喧嘩でもしたの?お姉様と?」
その言葉に、クレセルイはピクリと表情を曇らせた。
「……図星か」
「うそ、ほんとに?え、何があったの!?」
クレセルイは苦笑しながら、あの夜の出来事を語った。ベルセリールが丁寧に作ってくれた資料を、怒りに任せて破ってしまったこと。そして、彼女の言葉をまったく聞かなかったことも。
「バッカじゃないの!?ほんとに!?それ、ガチで離婚案件でしょ!?で、こっちに逃げて来たってわけ?」
「研究を片付けに来たつもりだったけど……うん、逃げたのかもしれない」
ルーナリアが破片となった資料を手に取りあきれ返ったその時、ふとレグリスが薄く笑った。
「まあまあ、そこまで言わないであげてよ。たぶん、俺の話が出たんだろ?」
その言葉に、クレセルイとルーナリアはハッと顔を上げた。
「え?」
「それ、ルーナリアが持ってるその破片……俺について書かれてたんだろ?」
「……レグリス様?」
「ありがとう、クレセルイ。本当に感謝してる。クレセルイが俺のことを信じて、ベルセリール姫の“言葉”を拒絶してくれたおかげで"あれから"時間が稼げたからさ」
「……なにを言って……?」
「もし、あの時ベルセリール第四王女が本気で動いていたら、クーデリア王国すら巻き込んで、アレを完成させる前に僕は終わっていた。けど彼女は優しかった。クレセルイのことを思ってだろうね?俺のことを密告しなかった。だから僕はこうして準備を完了できた」
レグリスは、穏やかな口調のまま、信じられない真実を語り始めた。
「……言ってしまおうか。君達が追ってるスライム核の件——あのスライムの犯人俺だよ。俺が創った。破局石を媒介にして、自分中に流れる“腐敗”デスファリアの魔力式配列をもつ粒子をを使ってね。あれは一種の実験だったんだ。とある生物と、後始末のテストのための」
「……?レグリス、まさか……っ」
「クレセルイも知らなかっただろ?俺のファリアは“腐敗”。他の魔力を侵食しさせる。別名をデスファリア、だから、触れれば魔石も魔法も死ぬ。そして……僕のファリアは特異すぎて、感知装置に映らない。だから、“魔力のない人間”としてずっと通ってきた。まぁ姉も、ルジエール家の一部は知っていたよ。ティルシャ以外な?」
クレセルイは言葉を失った。あの夜、ベルセリールが語っていた言葉が、すべて事実だったのだ。
ルーナリアが震える声で問う。
「……なぜ、あんな汚染事件を?何のために?」
「決まってるだろ?——自由になるためだよ」
レグリスの瞳が、狂気の光を宿していた。
「教会に縛られているティルシャ。貴族に縛られている姉。……そしてこの貴族達の傲慢により腐りきったルジエールの公国を、全部ぶち壊して、魂ごと解放する!クレセルイ……お前がティルシャのために誘拐罪になってしまった時に俺はこの国にガッカリした、それが一番の理由かもな?」
その言葉と同時に、都市の中心部に巨大な鐘の音が響き渡った。
——ゴォォォォン。
地鳴りが起こり、窓の外、学園の塔が崩れ落ちていく。
「……ッ、なんだ!?あの巨体……!!」
遠くに見えたのは、鉄と魔石で構成された“巨人”だった。巨大な魔石の心核を持ち、腐敗した魔力を身にまとうそれは、まさしく——
「——デスファリアゴーレム」
レグリスは誇らしげに笑う。
「破壊を尽くし、最終的には中心部の魔石が自壊して、大爆発を引き起こす。中心で爆発すれば、アルベルム学園都市は……消える」
「バカな!そんなことをして、貴方自身まで——!」
「はは、構わないよ。魂が自由になれば、それでいい。さあ、終わりの始まりだ」
ルジエール兵が研究所に駆け込んできてレグリスを拘束した。しかし、彼は最後まで勝ち誇ったように言い残す。
「忠告しておく。あのゴーレムに魔石魔法やファリア粒子を使った兵器は通じない。“腐敗”は全てのファリアを侵食して呑む。手を出せば、ただ爆発の威力を高めるだけだ。次は魂となってから会おうか?親友クレセルイ……」
——親友。その言葉の重みが、クレセルイの胸を深く貫いた。
あの夜、ベルセリールの話をちゃんと聞いていれば。資料を破らなければ。彼女を、信じていれば。
自分の“信じたかったもの”が、世界を滅ぼす扉だった。
「……僕は……なんてことを……」
膝をついた彼の腕を、ルーナリアが引いた。
「クー!ここも危険よ!早く逃げましょう!」
ルーナリアの手に引かれ、クレセルイは走り出す。崩れゆく学園を背に、今、学園の終末の鐘が鳴り響いていた。
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