第十話 開かれし心
夜、巨大蝙蝠との死闘の興奮がまだ冷めやらぬまま、クレセルイは血の気の引いたベルセリールを抱え、崩れ落ちた会場の中央で声を失っていた。胸に耳を当てれば、かすかに微かな心音を感じる。だが彼女は目を開けない。震える腕に力を込めながら、クレセルイは必死に呼びかけた。
「ベールちゃん……ベールちゃん!頼む、目を開けて……!」
その時だった。崩れた扉の向こうから足音が響き、一筋の光が差し込んだ。聖女の白衣を纏った小柄な少女──ティルシャが教会の神官たちを引き連れて戻ってきたのだ。彼女の手には、黄金に淡く輝く《太陽の魔石》。ティルシャ自身の聖なるファリアを宿す、唯一無二の癒しの魔石だった。
自身も負傷していたはずのゲイルがすかさず、救援を要請する様にと指示を出して、教会にもその知らせが届いたのだ。
「クレセルイ様、どいてください!」
強くも澄んだ声が響く。クレセルイがベルセリールをそっと寝かせると、ティルシャは小さく祈りを捧げ、太陽の魔石を高く掲げた。温かな光が魔石から広がり、ベルセリールの身体を包む。砕けた肋骨、裂けた筋肉、全てを慈愛の光が癒していった。
「……大丈夫。命に別状はありません」
魔法が収まったと同時にティルシャが告げた言葉に、クレセルイは力なく床に座り込んだ。安堵のあまり、膝に力が入らなかった。
「ありがとう、ティルシャ……ありがとう……」
ティルシャは静かに頷くと、その場にいる教会の神官たちに合図を送り、周囲の負傷者たちへも次々と癒しを施し始めた。
※※※
それから三日後。
クレセルイは、まだ薄暗い早朝の屋敷の寝室へそっと足を運んでいた。真っ白な寝具の上、ベルセリールはまだ目を閉じていたが、その表情は安らかだった。彼女の手をそっと握ると、指先がかすかに動き──瞼がゆっくりと開いた。
「……クーちゃん?」
「ベールちゃん……!」
瞳に光を宿したベルセリールが微笑む。クレセルイの胸に、温かく優しい安堵が広がった。
「私……どれくらい眠ってたの?」
「三日くらいだよ。ずっと眠ってたんだ」
「そっか……心配かけちゃったね」
ベルセリールはか細い声でそう言うと、申し訳なさそうに笑った。だがその時、廊下から聖歌のような声が聞こえてきた。扉を開けると、ティルシャが教会の神官たちを伴い訪ねてきたのだった。
「ベルセリール様……!」
ティルシャは小走りで寝室へ入り、ベルセリールの枕元に膝をつく。その後ろでは、教会の神官たちも深々と頭を下げていた。
「実はあの会場で、巨大蝙蝠に襲われていた教会の人々がいました。ベルセリール様のおかげで救われた方も少なくありません。心から感謝をお伝えしたくて……そして、私自身も……」
ティルシャは言葉を切り、ベルセリールを見つめた。二人の間に張り詰めた空気が流れる。
「クレセルイ様とは、事件以来、大聖堂への出入りを許可されています。ですから、あの後……少しずつですが、私とクレセルイ様もまた、話せるようになりました」
ティルシャはベルセリールに向き直り、その青紫の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「ベルセリール様……あの時、あなたが私にし……クレセルイ様と再び話が出来るようにしようとしてくれた事、本当に感謝しています。でも……同時に怖かった。あの二人で過ごした教会での夜のことを思い出すと、心が痛むのです」
ティルシャの小さな手が震えていた。だがベルセリールは、優しくその手を包み込む。
「ティルちゃんは強いね?さすが聖女様だね!私なんて弱々とは全然違う」
ベルセリールは笑顔をティルシャに向けた。
「……私いつも逃げてばかりで強くなんて……あの日も、私は逃げ出してしまいましたし」
「でも、私を助けてくれた!本当に逃げ出したのならどんな状況でもあの場所に戻ろうだなんて思わないと思う?私なら!それなのに私を、傷ついた皆んなを教会の人たちと助けてくれた!本当にありがとう」
「いえ!さっきもお伝えしましたが……私達セラファリカ星竜教会の者達こそ!ベルセリール様に救われたのです!」
それを聞いたベルセリールが笑顔で笑う。
「ふふふ、じゃあお互い様だね!」
「ふふ、ええ!そうですね!」
そこにはベルセリールに釣られたのか今のティルシャが絶対に見せないような笑顔を見せていた。クレセルイはそんな二人の姿を、ただ静かに見守った。
ティルシャは立ち上がると、もう一度深く礼をし、教会の人々を連れて部屋を後にした。
扉が閉まった後も、クレセルイの心には言いようのない感慨が残っていた。
(あの二人が出会えたことは、きっと間違いじゃなかった……)
しかし、感傷に浸っている暇はない。クレセルイは机に広げた地図に目を落とした。ファリア汚染の原因を辿った結果、ついに地下水路の一角に怪しい反応があることを突き止めたのだ。
研究室に戻り、資料を再び確認する。
あの怪物蝙蝠の羽、川の水、そして、ファリアを測定するクレセルイの自己制作品、調べちゃうぞファリアで測定を開始した。
そこへベルセリールがやってきた。
「クーちゃん!何その機械?そんなの前なかったよね?」
「あーこれね!調べちゃうぞファリア君って言ってベールちゃんが眠ってる間に作った魔導機械なんだ!」
ベルセリールはその名前を聞いて思わず声に出して笑ってしまった。
「何その、ふざ……いや、わかりやすいネーミングセンス!」
「あ!今笑ったなー!?君のために作ったのにー!」
「えー!?それどう言う意味ー?そしてどう言う事ー!」
クレセルイは今のこの時、自分の中にある物をベルセリールに伝えたくなった。
「ねぇ?ベールちゃん」
「ん?」
「君は僕に大切な事を教えてくれた」
「大切な事?私って頭は良くないからクーちゃんに教えてあげれたような事はないかと……」
その回答に今度はクレセルイが笑ってしまった。
「ははは、そんなことない、君は大切なことを教えてくれたんだ!まぁ、でもこれは言いたくて……一緒になってくれてありがと、最初は戸惑ったけど、君が僕の妻になってくれて良かった」
それを聞いたベルセリールは笑顔で応える。
「私こそ、私の知らなかった事を沢山教えてくれてありがとう!」
クレセルイはベルセリールの手を取った。
そして——。
夜明け前の微かな月明かりが、二人の未来を照らしていた。




