第十一話 貴族社会と汚染の真実
今回は少し長めになってしまいました。
地下水路の汚染源を突き止めたが、地下水路に入るには鍵と立入許可が必要だった。
クレセルイはベルセリールと共に、立入許可を得るため役所を訪れていた。だが、応接室で向かい合った役所員は提出した分厚い資料に目も通さず、椅子にふんぞり返ったまま薄く笑っているだけだった。
「うーん……子どもの調査報告ねぇ。まあ、検討はしておきますよ。検討は、ね」
嫌味の混じった声に、室内の空気が冷たくなる。ベルセリールは「何か言おうか」と迷ったように視線を上げたが、クレセルイは彼女の手をそっと握り、首を横に振った。言葉にするよりも先に、役所員の冷たい視線が「早く帰れ」と言っていた。
その時、廊下の奥から小気味よい足音が響いた。かつん、かつんと夜の石畳を思わせる硬質な音。その足音が近づくにつれ、応接室の緊張感はさらに張り詰めていった。
扉が静かに開く。
月光のように青白い照明の中に現れたのは、白銀の髪を持つ少女だった。長く豊かな銀髪が夜気に揺れ、幾重にも重ねられた黒のドレスは優雅な波を描く。まるで小さな王女のようなその姿に、誰もが息を呑んだ。
「検討、だけ? それじゃあ遅いんじゃないかしら?」
低く澄んだ声が響いた瞬間、室内の空気が一変する。少女のふわふわの狼耳がぴんと立ち、王冠のような髪飾りがわずかに煌めく。その青い瞳には、幼いながらも射抜くような力があった。
「ルーナリア・クアトルム様……!」
役所員たちの顔がみるみる蒼白になる。ルーナリアは部屋の中央まで進むと、わずかに首を傾けて微笑んだ。だがその笑みは、どこか底知れぬ冷たさを含んでいた。
「ふふっ。皆、私にはペコペコするのに、どうして私のお兄様にはそうじゃないの?」
低い声で囁くように告げた一言に、応接室全体が凍りつく。ベルセリールはルーナリアに目を奪われていた。暗い青のドレス、光を弾くような銀髪、あどけない顔に浮かぶ冷徹な気配──あまりの美しさと威厳に、思わず息を呑む。
「……わあ、すごい美人」
ぽつりと呟いたのはベルセリールだった。だがルーナリアも同じように目を細め、ベルセリールをじっと見つめる。
「あなたが……ベルセリール・アルドラシル・クシュル・クーデリア、第四王女様ね」
ルーナリアは近づくと、白く細い指先をそっと伸ばし、ベルセリールの桃色の髪を撫でた。指の動きは優雅でゆったりとしており、彼女自身の持つ気品が滲んでいる。
「綺麗な髪ね……私の素敵なお姉様になってくれたお姫様」
ベルセリールの瞳を覗き込みながら、ルーナリアは優しく微笑んだ。
「立ち居振る舞いも歩き方も、私なんかよりずっと洗練されてる。……“ダメ姫”なんて噂は嘘だったみたい。さすが王家に生まれた人だわ」
その言葉が静かな応接室に響き、場の空気を一気に塗り替えた。役所員たちは顔を青くし、互いに視線を交わしながら小さく震えている。
「えっ!? 姫様!?」「ま、まさか……あの子が……」
困惑と焦りの混ざった声が方々から漏れ始めた。クレセルイは思わず口を開く。
「ルーナ! 僕とベールちゃんは、もう身分を──」
「何言ってるの、クー?」
ルーナリアは一瞬だけ兄に柔らかい笑みを向けたが、すぐに役所員たちに目を戻す。先ほどまでのあどけなさが消え、青い瞳に鋭い光が宿った。
「身分があろうがなかろうが、クーは私にとって“自慢のお兄様”よ? こんなところで貴族にしか頭を下げない人たちより、ずっと立派だわ」
ルーナリアは黒いドレスを揺らしながら一歩踏み出す。ドレスの裾が静かに揺れる音が、静まり返った室内に響いた。
「ねぇ。市民の声すら無視して、誰のための役所なの? 水質が悪化して、それが貴族区域に波及したらどうなるか考えてる? “その時だけ”慌てて動くの?」
13歳の少女とは思えない毅然とした声。ルーナリアの言葉は氷のように冷たく、しかし真実を突き刺す力を持っていた。
「結局、責任を擦り付け合うだけでしょう? そんなの、恥ずかしくない?」
役所員は誰も声を出せず、資料を抱えて奥へと走り去った。静寂が戻った応接室に、ルーナリアのため息が落ちた。
※※※
「で、どうしてこんなところに?」
クレセルイが苦笑交じりに尋ねると、ルーナリアは黒いリボンを揺らしながら小さく肩をすくめた。
「ふふ、最近、水が変だって噂を聞いたの。で、その調査依頼を出そうと役所に来たら、クーが分厚い資料を抱えて立ってたんだもの……やっぱり先に動いてたかーって」
「さすがクーちゃんの妹さんだね」と微笑むベルセリールに、ルーナリアも少し頬を緩めた。
「ふふふ、お姉様の存在は偉大ね?」
「え?」
「だってね。他国の姫様にルジエールの無能ぶりを見られたら、貴族たちはどうすると思う? “あの国は頼りない”ってクーデリア王家に思われたら、外交で不利になる。それが一番怖いの」
「た、たしかに……」
「ね? 貴族たちは、“私の登場”より、ベルセリールお姉様の存在のほうがずっと怖いのよ」
ルーナリアはそう言って、小さくウィンクをしてみせた。その表情は、夜の街灯に照らされて輝いていた。
※※※
クレセルイは応接室を出ると、役所の廊下を歩きながらルーナリアにこれまでの経緯を説明し始めた。黒いドレスの裾を揺らしながら歩くルーナリアは、兄の横で真剣に耳を傾けている。
「水質悪化の原因は、地下水路に何らかの汚染源があると考えて調査を進めてた。でも、調べていく中で“デスファリア”って単語を古い記録から見つけたんだ」
「デスファリア……?」
「拒絶しあう属性ファリア同士が衝突して生まれる崩壊腐敗粒子のことだよ。デスファリアは人工的にしか発生しない粒子で、自然に生まれる例は確認されていない。性質としては、周囲にある他のファリアを次々に侵食し、同じデスファリアに変えてしまう。もし水に溶ければ、飲用水や水脈に含まれる水のファリアも侵食されて汚染が広がっていくんだ」
ルーナリアの狼耳がぴくりと動き、顔色が変わる。
「待って。じゃあデスファリアが水脈に侵入すれば、街中の水源を通じて汚染が広がり続けるってこと……?」
「その通りだよ。以前戦った凶暴化した蝙蝠たちも、中を流れるファリアがおかしくなって暴走、巨大化してた。資料にもそのことは書いて提出しておいたけど、まだ役所は動く気配がなかった……」
「じゃあ……人がデスファリアに侵食されたらどうなるの?」
ベルセリールが不安そうに尋ねる。クレセルイは少し考えてから答えた。
「人の体内を流れるファリアが侵食を受ける例は今のところ確認されていない。原理も不明だけど……“絶対に大丈夫”とは言い切れない」
「……そんなの、怖すぎるよ……」
ベルセリールの声が小さく震えた。
「とりあえず、わかりやすくまとめるね? デスファリアっていうのは、魔石の中のファリアに拒絶属性を混ぜ込むときに生まれるんだ。例えば、光のある場所でしか存在できない光属性ファリアと、光があると存在できない闇属性ファリアを無理やり一つにしようとすると、粒子が崩壊してデスファリアが生まれる。そして、この粒子は他の正常なファリアに無理やり融合しようとして、次々に同じデスファリアへと変えてしまう……」
「む、難しい……!」
ベルセリールは頭に両手を当てて苦悶の表情を浮かべる。その頭上にはクエッションマークがたくさん浮かんでいた。
「クー?確かクーが役所に提出した資料には、数日前に地下水路近辺で“謎の爆発”があったって書いてたわよね?役所で事件ファイルを漁ってたけど、何かわかったの?」
「うん。事故調査では、地下にあった大型魔石が爆発で破損して、属性粒子のバランスが完全に崩れてた痕跡が見つかったらしい。偶然か意図的かは不明だけど……」
「つまり誰かが意図的に大型魔石のファリアをいじり、爆発を引き起こしてデスファリアを生成した可能性がある……?」
「その通り。もしこれが誰かの悪意によるものなら、今回の水質悪化は“事故”じゃなく、“事件”として扱うべきなんだ。だから今回の調査では、地下水路でデスファリア発生の証拠を探すことが目的になる」
ルーナリアは真剣な表情でクレセルイを見上げ、小さく頷いた。ベルセリールはそんな二人の会話を黙って聞きながら、不安げに自分の胸元をぎゅっと握りしめる。
「うぅ……デスファリア?侵食粒子?……うーん、やっぱり難しい……」
「大丈夫だよ、ベールちゃん!帰ったら、わかるまで一緒にお勉強しようね?」
「えっ……それって、勉強漬けになるってこと!?」
「ふふっ、冗談だよ。今は調査が先だね」
「……でも、私もちゃんと理解できるように頑張るね」
ベルセリールが決意をにじませた笑顔を見せると、ルーナリアも優しく笑った。だがその顔はすぐに真剣に戻り、ピンと立った狼耳が揺れた。
「やっぱり……話を聞いて改めて思ったわ。すぐにでも調査を始めないと手遅れになるわね」
そのタイミングでベルセリールが口を開く。
「でも……役所の人が動いてくれるとしても、上への報告、上が資料の確認、調査隊の準備で……少なくとも四日はかかると思う」
「流石お姉様。政府の動きの仕組みを完璧に理解してらっしゃいますのね?」
「一応、元王女だから……でもファリアとか魔石とかの話は全然理解できなかった……ごめんね」
ベルセリールの謝罪に、ルーナリアとクレセルイは顔を見合わせて優しく微笑む。そしてルーナリアが先に口を開いた。
「気にしなくていいのですよ?お姉様にはお姉様の凄い特技がある。人には得意と不得意がある。人は好きな事以外出来ない?でしたよね?お姉様」
「え?」
「“不得より得意を伸ばせ”って意味でルジエールでも最近流行っている名言よ?お姉様がクーデリア王国で王様に言った名言として、有名になりましてね?お姉様の言葉は、私たちルジエールにまで届いてますのよ?」
「えっ……それ、確かに言ったけど……」
「ふふふ、さすがは我らが誇るクーデリアの第四王女様ですわ」
ベルセリールは顔を真っ赤に染め、思わず俯く。そんな姿を見て、クレセルイとルーナリアは思わず笑い声を漏らしていた。
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