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赤の理由 青の盾  作者: 賢木 緋子
第6章・赤の理由
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赤の理由・2

 序列第2位、カーディナル家。

 これが示すのはその通り、王国で2番目に権力を持つ一族だということ。

 彼らを第2位たらしめていたのは、もちろん《赤戒(せきかい)(くさり)》の特性ゆえ、ということになっている。

 しかし、穿った見方をする人間は不思議に思うかもしれない。果たしてこの序列は正しいのかと。司法を支える唯一無二の能力《赤戒の鎖》があるとはいえ、他の一族を押しのけるほどの絶対的な優位性がカーディナル家にあるのかと。

 例えば、序列第3位のリーヴィ家は武に秀でた一族とされている。

 『天装自在(てんそうじざい)』。特異な魔術、どんな武器でも悠々と使いこなすセンス、恵まれた体躯。リーヴィ家は王国警備隊・総隊長である当主をはじめ、大多数が防衛の重要なポジションに就いている王国随一の巨大一族だった。

 加えて好戦的な性格。リーヴィ家の荒々しさは隣国を飛び越えて海の果てまで届き、「戦場であの一族に遭遇したらとりあえず逃げろ」「命を無駄にするな」「あれは人間じゃない、大量破壊兵器だ」等々……『戦闘狂器(せんとうきょうき)』の異名を欲しいままにしている。

 戦争の抑止に一役買っている、華々しいエリート大家族リーヴィ家。

 一方、国内で犯罪者を坦々と裁き続ける、総員十数名に過ぎないカーディナル家。

 これだけ見れば、2位と3位を逆にしてもいいのではないかと、考えられてもおかしくはない。

 だが。

 結論を言ってしまえば。

 理由はある。

 カーディナル家がリーヴィ家を差し置いて第2位に君臨している理由は、当然ある。


 (元素系統火炎魔術……いや、これは……!)

 息が苦しくなるほど濃密な魔力の波が、熱風とともに晩餐の間に吹き荒れる。

 ざらり、とガードナーの深部を見えない何かが撫でた。

 「…………!」

 考えるより先に、ガードナーは後ろに退き牽制の蛇の雨を降らせていた。

 そして、少し遅れて自分が感じた不快感の正体に気づく。

 それは恐怖。

 この世の生き物が例外なく、本能的に、強制的に感じてしまう恐怖。

 放たれた蛇たちも、それを誘引している源を断ち切らんと狂ったように宙を駆け殺到する。

 迎え撃つは赤の末裔。

 夕陽。業火。紅玉。血液。

 この世のありとあらゆる赤を溶かして煮詰めたような2つの眼が、眼光炯炯、襲い来る黒い大群を捉えた。

 秋水(あきみず)は、口を小さく開く。浅い呼吸を一拍。内側からふつふつと湧き上がってくるマグマのような奔流に己のすべてを委ねて、練り上げられた魔力に声をのせる。

 魔力を魔術に、変質させていく儀式。詠唱と魔術名の宣言は術の効果を大幅に跳ね上げる。

 実のところ――真に意味のある魔術名を宣言できる人間というのは、ほんの一握りだ。

 魔術名にはルールがある。

 使えるのは原則として、系統と効果を並べるだけのシンプルで何の捻りもない単純なもの。いちいち独自呼称を許していたら国として管理が難しいから、という理由で、威力や規模の違いが多少あろうと同じ魔術名、もとい分類になる。炎を出す魔術は、基本的に誰が扱っても《元素系統火炎魔術》だ。こんな学術的な呼称を宣言したところで上がる効果などたかが知れているため、唱える人間もそれを聞く機会もほぼない。

 が。

 このルールには例外が存在する。

 『固有認定』。

 すなわち、単なるカテゴライズではなく、固有の魔術名が認可される制度。

 唯一無二の名を得た魔術は、イメージの力を借りて爆発的な威力を発揮する。

 もちろん、生半可なことでは『固有認定』には至らない。

 『固有認定』を受けるためには、2つの条件のうちどちらかを満たす必要があった。

 その内の1つが、傑出性。

 他の人間が真似できないほど、まったく別の魔術ではないかと疑うほど、効果・範囲・精度・持続性、すべての要素が既存の上限から振り切れた魔術に対して贈られる名誉。最高の魔術を究極に近づけるための一押し。

 「我らは神の眼に請い、目を焦がす」

 短文詠唱。続けてカーディナル家の末裔は、自らの一族だけに許された魔術名を唱えた。


 「《火焔舞(かえんぶ)》!」


 秋水を中心として真紅の魔法陣が一気に広がる。晩餐の間一面が複雑な紋様の光で埋め尽くされた。

 降り注ぐは無数の火球。世界の終末を彷彿とさせる赤の嵐。縦横無尽に周囲を舞う眷属に端的な命令が飛んだ。

 「爆ぜろ」

 2人の魔術師の中間地点で数多の爆発が起こる。

 秋水は正確無比なコントロールで、蛇の雨の一つ一つを漏らさずすべて相殺して撃ち落とした。

 「なっ……!」

 腕で顔を庇ったガードナーは白煙の先に立つ赤色を驚愕の眼差しで見る。

 何故。

 「一体何故、魔術を使える……!?」

 確認したはずだった。寒凪秋水は血筋の力を忌避し、境遇を憂慮し、とても魔術を使える状態ではないと。実際、自身が絶体絶命の危機に晒されてもされるがままだった。何がこの少年の内部を変えたのか解らないまま、ガードナーは叫ぶ。

 「大人しくしていればいいものを……薄々気づいているだろう? その血はあまりに異質で、不幸を呼ぶものだと。お前がお前である限り、災いが付いて回る。周りを傷つける。得られるものなどない。何をしたところでお前は呪縛から逃れられないんだよ、イグニス!」

 「知るか、そんなもん」

 一刀両断。秋水はバッサリと切り捨てた。

 「邪魔するな。俺はこいつと帰る」

 迷いの一切が振り切れた顔つきは薄く研いだナイフのように鋭い。

 捨てたはずの名前も、今日だけは甘んじて受け入れる。火を司る名、カーディナルの屋敷という舞台、取り巻くものすべてを味方にして魔力をさらに増幅させる。

 連なりうねる鬼火の動きは、まさしく焔の演舞。

 慈悲も、憐憫も、容赦も、私怨も、余計なものは何もない。

 ただ己の望む道を塞ぐ障害を排除するためにありったけの力を振るう。

 「このっ……ガキがああああっ!」

 思うようにならない状況に、とうとうガードナーの感情が弾け飛んだ。

 ぞぞっ、とガードナーの周囲に黒い影が踊る。

 突き出された右手に、シュルシュルと蛇が巻きついて肥大化していく。あらゆる世界から集めた負の要素が互いに喰らいあいながら不気味に蠢いた。

 それは時間を置かずに形を成す。6メートルはあるか――ガードナーの腕から生えたのは、晩餐の間の吹き抜けを占領してしまうほどの巨大な胴を持った6つ首の大蛇だった。

 「これだけの質量、さすがに一気には燃やし尽くせまい!」

 口元を醜く歪めてガードナーは右腕を横にフルスイングする。掴みどころのない動きをする痩せぎすで猫背な男の姿は、鎌を振るう死神そのものだった。

 猛り狂った6つ蛇が途轍もない圧で焔を消しながら、長くて豪奢なテーブルやら壁に埋め込まれた暖炉やら、進行方向にあるものを軒並み破壊した。

 望んだ手応えを感じなかったガードナーはそのまま腕を後ろに振り抜く。

 「くっ……!」

 背後に移動していた秋水は、玖凪(くなぎ)を庇いながら迫り来る化け物に焔を放射した。

 何処までも赤い赤い焔が秋水の周り360度をガードし、大蛇の表面を焼き焦がす。じゅうっ、と嫌な燃焼音が盛大に生じた。が、やはりその質量ゆえ、一瞬では焼き消せない。

 6首の蛇は爛れて腐臭を振りまきながら、焔の壁を破ろうとじわじわ肉薄してくる。焼けた先からコートのポケットの蛇が補充され、一定以上の質量を保ち続ける。

 ガードナーの中では手段を選んでいる段階はとうに過ぎていた。愚かにも刃向かってきた少年を徹底的に痛めつけてやらなければ気が済まなかった。効率を美徳とする男が、己の信念を曲げてまで過剰な力で蹂躙を行おうとしていた。

 どうせ医療魔術に頼れば、骨が砕けようが内臓が潰れようが――あるいは人間としての原型を留めていまいが治せる。死なない程度にいたぶって何処に問題がある?

 契約違反にさえならなければいい。

 手放しかけた理性が、かろうじて自身の役割を思い出すことで引き止められる。

 そしてそれは、ガードナーに一種の冷静さももたらした。

 すなわち、ふと、今さらながら、ガードナーは気づいたのだ。

 この少年は、イグニス・カーディナルは、どうやって自分の背後を取った?

 しかも2回も。

 これはよく考えたらありえないことだった。空間はガードナーの支配下にある。時空間系統のエキスパートであるガードナーが、同じ時空間系統の瞬間移動魔術を使われて気づかないはずがない。

 思い返せば、玖凪を拘束していた蛇の大樹を斬り捨てた魔術の正体も分からない。《火焔舞》の応用かと都合よく捉えていたが、それは違う?


 ――相手が使用しているのは、《火焔舞》だけではない。


 秋水のルーツから導かれた結論に戦慄して、ガードナーの顔から一瞬で血の気が引いた。

 まさか。

 そんな、5年も魔術を遠ざけ練習すらしていない人間が、あれを使えるとは誰が想像できるか。

 ガードナーは力任せに押し切ろうとしたが――もう遅い。

 焔に赤々と照らされた精悍な顔が、覚悟を決めた。

 「我らは神の眼に酔い、目を潰す」

 『固有認定』を受けるための2つ目の条件。

 それは特質性。

 元素系統、強化系統、認識系統、現出系統、時空間系統、契約系統。6つのどの系統にも属さない、理さえも覆すオンリーワンの魔術であること。

 だから『特質系統』というのは、正確には系統ではない。他の系統にカテゴライズできなかった魔術を総じてまとめたにすぎず、特質系統の魔術は必ず固有名を持つ。

 赤の一族が持つ、3つ目の固有魔術。

 《赤戒の鎖》に次ぐ特質系統魔術であり、カーディナルでもすべての人間が使えるわけではない最大の切り札。

 赤髪の毛先が物質としての実体をなくす。空気に同化する。

 操る焔よりも深く鮮やかな、目も眩むほどの灼光が輝いた。

 場の支配を上書きする厳粛な声が引き金を引く。


 「《赤の隷属(れいぞく)》」


 秋水はずっとこのタイミングを狙っていた。

 敵がこちらの攻撃手段を焔だけだと油断し、全力で仕掛けてくる――そして、空間が赤で染まり切ったこのときを。

 ここまできたら、外さない。

 髪から、瞳から、発生している焔から。すべての赤からテグスよりも細い煌めく糸が伸びて大蛇に巻きつく。

 「がっ! これは……瞬間移動の拒絶!?」

 糸に巻きつかれた6首の大蛇はピクリとも動かず、ガードナーは得意とする瞬間移動で逃れることも叶わない。

 《赤の隷属》は、魔術の世界随一の反則技。

 赤色さえあれば何でも起こせる、魔術の域を超えた魔法級の荒業。

 ガードナーは勘違いをしていた。少年の親族が呆気なく犠牲になったのは、仕えていた使用人たちが牙を剥くとは考えられぬほど信用していたからであり、また、子どもたちが人質になっていたからに他ならない。そうでもなければ、あそこで絨毯を染める素材になっていたのは自分たちであったかもしれないと戒めるべきだった。ガードナーはカーディナルの血を舐めて、舐めて、舐め尽くして――舐めてかかり過ぎた。カーディナル家の能力を、軽んじ過ぎた。

 これが真の実力。序列第2位の本気――!

 「やっぱり、俺には司法(家業)は向いてない」

 諦めるように、謝るように、秋水は呟いた。

 「悪いな、手加減はできそうにない」

 《赤の隷属》との相乗効果で大蛇と拮抗していた焔が勢いを増す。大蛇の修復スピードなど、ものともしない。

 業火が一瞬で大蛇たちを包み込み、消し炭に変えた。

 ビクビクと痙攣している黒い残り滓に追い討ちをかけるは、焔ではない赤。

 秋水の赤髪から揺らいで出てきた陽炎のようなものが飛びかかり、大蛇の残骸を貪った。

 触れたところから抉れ、存在が消滅していく。

 呆然とその光景を見つめることしかできないガードナーを冷ややかに一瞥して、秋水は最後の指示を出した。

 「貫け」

 絨毯、焔、魔法陣。

 赤に属するものから凶悪に鋭くて太い棘が無数に出現し、ガードナーの胴体を串刺しにした。

 「か、ふっ……!」

 棘はすぐに消え去ったが、起こした事象は消えようがない。

 支柱をなくしたガードナーは床に崩れ落ちた。

 「が、あ、あぁああああ」

 隙間風のような音が喉からもれている。穴を穿たれた身体から流れる赤い血も、この空間ではガードナーの味方ではない。すべて秋水の眷属だ。

 秋水は無感動な表情で、自分が手を下した男のことをじっと見ていた。

 熱風で髪やシャツの裾が激しくたなびく。両腕には横向きになった玖凪を抱いたまま。秋水は抗戦を決意したときとまったく同じ体勢を維持して、戦いに幕を降ろしたのだった。

 グラっと秋水の身体が傾ぐ。赤の輝きが影を潜める。玖凪を離して落とすことは回避したが、床に膝をついてしまう。

 《赤の隷属》は何でも起こせる反則魔術だが、その代償として莫大な魔力を必要とする。ただでさえ、5年ぶりに魔力を放出したのだ。術の反動で秋水の身体は悲鳴をあげていた。だるい。指一本動かすこともできない。

 「あ、はぁ、こうな、ったら、が、は、もういぃか」

 不意に。

 床で転がっていたガードナーが切れ切れながら、意味のある言葉を発した。

 同じ目線の高さになった秋水がなんとか赤い双眸を向けると、上半身だけ起こしたガードナーの姿が見えた。

 口からは命の色を垂れ流している。元々薄汚れていたコートは同じ色に染まり、持ち主と一緒で救いようがなかった。

 そして、赤銅色の目が狂気を孕んで爛々と危うい光を放っていた。

 「こうなれ、ば、契約も、っは、ひ、関係ない」

 秋水は激しい悪寒に襲われる。しかし身体は動かない。ガードナーがやろうとしていることを直感しているのに、止める手段がない。

 「これは、最高に、特別だ」

 地震のような衝撃でシェイクされた。

 晩餐の間が軋む。

 空間が収束する。

 確実に訪れる死を理解したガードナーは、強制的に『世界の狭間の狭間』を閉じようとしていた。

 「道づれか……!」

 怠惰な男は、共犯者と交わした契約を、役割を、最期の最後に放棄するという選択肢を選んだ。

 ――否、真に怠惰なのであれば、こんなに無駄なことをせずにさっさと死ぬだろう。

 やはり、この男は『特別』に酔っていた。

 改めて理解する。長い時間をかけ、犯罪に手を染め、獄中を経験し、世界を越えて標的の後を追いかけ、あらゆる手段で追い詰め、最後に致命傷を負わされた。ここまでして成し遂げたかったはずの計画を共犯者に託すこともせず、自分の手で台無しにしてしまう。そんな破滅的な『特別』に浸っているだけだ。

 晩餐の間が端から消えていく。

 ボロボロに壊された品のある椅子、投げ出されたシャンデリア、すべてが闇に溶けていく。

 止める方法も、力も、ない。

 残された空間はすでに半径3メートル程度の円になっていた。

 「はあぁっああ! 全部、全部、ぐふっ、消えろ! 滅茶苦茶になって……!」

 ガードナーの声がそこで不自然に途切れた。

 「がっ」

 一閃。

 天井から金の光が走り抜けた。

 それは髪の色。まばゆいブロンズ。

 「ちょっとさ、いろいろ舐めすぎだよ」

 アメジストの目を持つ秀麗な女性は漆黒のコートをたなびかせ、帯電した銀の剣を横薙ぎして言った。

 「玖凪ちゃんのことも、秋水くんのことも――私のこともね?」

 未知(みち)が言い終わると同時に、ガードナーの鎖骨から上がゴトリと離れ、すぐ後ろに迫っていた空間の闇に落ちていった。

 見開かれた目は状況を理解できていなかったことを物語るようにキョトンとして、こちらに目線を向けたままクルクルと回って見えなくなった。

 バランスを崩した鎖骨から下も、すぐに後を追うように消えていった。

 「あーあ、本当は延命していろいろ聞き出すべきだったけど、まあしょうがない」

 ガードナーがいなくなったことで急激な収束がおさまる。

 カラン、と剣を放り投げた未知は振り向いてにっこりと笑った。

 「ごめん、遅くなった。秋水くん」

 「未知……!」

 余裕そうな顔をしているが、かなりの無茶をしたのだろう。コートには切り裂かれたような跡がいくつもある。血が滲んでいるところも数カ所では済まない。まとめられていた金の長髪も今では解けて波打っていた。

 それでも無事でいてくれた。

 未知の姿に安堵して、秋水は完璧に気を失った。

 「おおおっと!? 秋水くん? 秋水くんってば! 疲れてるところ申し訳ないんだけど、流石に私も2人連れて帰るのは骨が折れるというか……可能であれば自力で頑張ってもらいたいなーなんて。……無理かなー、やっぱり無理かなー」

 半分本気、半分冗談で言う未知の声は届いていないらしく、秋水はピクリとも動かない。

 「……よし、頑張って帰還(サバイバル)しますか」

 独りごちた未知は、両脇に意識のない少年と少女を抱えようとして、2人の表情に微かな達成感があることに気づく。

 血で濡れていた床、激しい魔力の残滓、そもそも何故置いてきた玖凪がここにいるのか。

 後で訊かなければならないことはたくさんあるが、少なくとも、彼らが死に物狂いでやったことがこの結果に繋がったのだということだけは解った。

 「うん、頑張った。頑張ったよ」

 優しい手つきで2人の頭を撫で、未知は穏やかに微笑んだ。

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