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赤の理由 青の盾  作者: 賢木 緋子
第5章・青の盾
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青の盾・2

 「はぁ……はぁ……、こ、ここまで来れば、ちょっとは一安心、ですかね……?」

 隣にいる玖凪くなぎが肩で息をしながら呟いた。

 屋敷の3階、日用品やベッドリネンの予備がしまわれた小部屋。壁一面に大小様々な引き出しを持つ木製の棚が並び、人間2人が入れるスペースがあることが奇跡的なほど狭い。脇目も振らずに走ってきた秋水あきみずと玖凪は、晩餐の間から一番離れていると思われるこの部屋にたどり着くと床に座り込んだ。

 晩餐の間を抜ければ『世界の狭間』につながっている可能性もあったが、出入口の先に広がっていたのは屋敷の長い廊下だった。どうやら形成されたのは晩餐の間だけではなく、屋敷まるごとのようだ。

 秋水と玖凪の手は固く握られたまま。間違えても離すわけにはいかない。今、玖凪の魔術は秋水が《赤戒せきかいくさり》で補強している。手を離そうものならすぐさま玖凪はぶっ倒れ晩餐の間に展開した壁も消滅することだろう。

 玖凪の肌は相変わらず白く、血の気がなかった。つないでいる手も芯が冷えている。それでも彼女は肌を伝う汗を拭いて、穏やかに安堵の笑みを浮かべた。

 「はぁ……よかったぁ」

 よくない。全然よくない。

 秋水は眦を決して、未だに嫌な感覚の残る口を無理矢理動かした。

 「ば、馬鹿! お前なんで……何考えてるんだ!」

 危険が及ばないよう、わざわざ目が覚める前に出て来たのに。そもそもどうやってこの場にたどり着いたのか。

 すると意外なことに、怒鳴られた玖凪もキッと鋭い視線を向けて秋水に詰め寄る。

 「それはこっちの台詞ですよ! 寒凪かんなぎさんの馬鹿阿呆あんぽんたん!」

 「あ……!?」

 生まれてこのかた受けたことのない種類の罵倒に秋水は固まった。

 玖凪はずいっと顔を寄せると、澄んだ青の瞳で秋水の目を射抜く。

 「何考えてるんですか! あんな危険な人が寒凪さんを捜して彷徨いてるっていうのに! 気づいたらいなくなってて、嫌な感じがして――ほんとのほんっとうに心配したんですからね!」

 目にはみるみる水が満ちてくる。狼狽える秋水を横目に、玖凪はスカートのポケットから取り出したものを突き出した。

 「これ、寒凪さんのものでしょう?」

 玖凪の手に握られていたのは見覚えのある金細工のペンダントだった。

 一目見てすべてを理解した秋水は、数時間前の自分を蹴り上げたい衝動に駆られて呻いた。

 認識系統探知魔術。

 玖凪は卓越した魔力探知のセンスを駆使して、ペンダントに染みついた魔力を元にここまでこぎ着けたのだった。

 「……無茶苦茶だ」

 こんな展開、どうして予想できよう。

 一時の感傷に流され、愚かにも自分につながるものを残すという軽率な行動を選んだことを、秋水は酷く後悔していた。

 「本当になんで来たんだ……」

 あのまま大人しく寝ていてくれればよかったのに。

 八つ当たりに近い感情で漏らすと、涙を拭った玖凪は不思議そうに首を傾げる。

 「なんでって……当然じゃないですか。寒凪さんが大変なことになっているのに、何もしないわけにはいかないでしょう?」

 自分だって満身創痍のくせに、あれだけ怖い目に遭ったはずなのに。玖凪は秋水を助けに来るという選択肢しか存在しないように振る舞う。

 玖凪の無垢な面持ちがトリガーとなり、

「……やめろ」

激しい自責の念が一気に秋水の内部を焦がした。

 「俺には、お前に助けてもらう義理も資格もない!」

 「か、寒凪さん?」

 「気まぐれで手を出して、挙句にこんなことに巻き込んで……俺はお前を救うどころか危険に晒しただけにすぎない! そもそも俺は、お前を助ける気なんてまったくなかった!」

 悲痛な懺悔を吐き出した。拒絶した。これ以上過剰な恩返しをしてくれるなと叫ぶ。

 魔力の暴走を止めてもらった玖凪は、錯覚してしまったのだ。この人が後始末をしてくれたことには意味があると。さながら雛鳥への刷り込みのように、無意識を弄られて。そんなもの、なかったのに。それどころか、彼女に重ねた昔の自分を助けるという自己満足だったのに。

 「お前は本当に馬鹿だ。こっちのエゴをいいように過大評価して、こんなところまでついてくるなんて。この命知らずが!」

 言い切った秋水は玖凪の顔を見ることが出来ない。

 自分がさらに酷い仕打ちを玖凪にしているという自覚もあった。ここまで来たのに今さらこんなことを言われて、玖凪の顔はどれほど歪んだだろう。それを確認してしまえば、さらに罪悪感で潰れてしまう。だから秋水は、顔を上げることが出来なかった。

 「…………えっと、あの、寒凪さん」

 おずおずと、戸惑うような玖凪の声。

 「…………」

 「寒凪さん?」

 「…………」

 「寒凪さんってば」

 「…………」


 「聞いてください。寒凪さん」


 ぴしゃり、と。

 荒ぶった波を上から押さえつける声音が耳朶を打った。

 不意打ちにも近い声の変化に秋水は一瞬硬直する。

 主導権を奪い取った玖凪は、いっそ場違いなほど朗らかに告白した。

 「私は、寒凪さんがあの場を収めてくれたから恩を感じているわけではありませんよ?」

 …………は?

 言葉の真意を掴み損なって、反射的に秋水は顔を上げる。

 その先で待ち構えていたのは、

「…………っ」

清々しいほど静寂で、穏やかでいながら凛と張りつめた空気。

 人を引き込んで離さない、あの『凪』の目だった。

 しまったと思っても後の祭り。

 深い海の色を湛えた瞳は神秘的な雰囲気に拍車をかけている。困惑して揺らぐ赤い双眸をしっかりと捉えきった。

 玖凪は柔和な笑みを浮かべると静かに胸の内を吐露した。

 「もちろん、助けてもらったことに感謝しています。でもあのとき、寒凪さんが騒動を収めることに失敗したとしても、私はこうやって駆けつけたでしょう。それどころか、出逢いがあんなに劇的でなかったとしても、同じことをしたと思います」

 「何故――そう言い切れる?」

 「私はきっと、理解者が欲しかったから」

 玖凪はほんの少しだけ目を細めた。

 「きっかけはなんだったのか、いつから始まったのか……忘れてしまうほどの長い時間、私は厄介な力に悩まされてきました。これが、もっと人の役に立ちそうな兆候があればよかったんですけど……不幸を撒き散らすだけの力なんて、誰にも相談できなかった」

 打ち明けたところで対処法が見つかるわけでもない。導いてくれる先達などいるはずもない。

 白南風しらはえ玖凪という少女は、楽しい日常の裏で常に孤独だった。

 「仕方がないことかな、とも思っていたんです。人間、生きていれば理解の及ばないことやどうしようもない出来事に遭遇するのは常です。そもそも、生まれた意味すらみんな曖昧。私の場合、そこにプラスアルファで面倒事がついてきただけだと、開き直るつもりでいました」

 でも――

「難しかった。開き直るつもりでいて、逆に私は自分の殻に閉じ籠るしかなかった」

 力を従えようとして暴発させ、付き合い方を変えようとして失敗した。

 何度も何度も、報われない努力を繰り返した。

 孤独を抱えたまま、玖凪の精神と魔力のバランスは崩壊寸前まで追いつめられていた。

 抑えつけようとしても湧いてくる魔力。それがストレスとなり、さらに調整が効かなくなる悪循環。

 何故自分だけが、こんな無意味で無価値で無情な力を持ってしまったのか、玖凪は己の境遇を恨んだ。

 玖凪は本当に狂う一歩手前、崖っぷちを歩いていたのだった。

 「そこに現れてくれたのが寒凪さん、あなたでした」

 突如出てきた自分の名前に、秋水はびくりと反応した。

 玖凪は秋水の手を両手で包み込むと花のようにほころぶ。大事な宝物を愛でるように、目尻が優しい線を描く。

 「寒凪さんが手を差し伸べてくれたとき、私は久しぶりに息を吸った気がしました。この力を知っているのは私だけじゃないって、私を助けようとしてくれてる人がいるって、その事実だけで私は嬉しかった」

 そして玖凪は、見るものすべてをとろかす春の陽だまりのような笑顔で、真っ直ぐに告げた。


 「私は、あなたの存在に救われたんです」


 全肯定だった。

 白南風玖凪は、寒凪秋水の存在自体を意味のあるものだと肯定していた。

 血も、魔術も、所詮は秋水の付随物。

 それは、カーディナルという巨大すぎる特殊性に縛られ続けてきた秋水を解放する言葉だった。

 「………………」

 ぽかんと呆気に取られている秋水に、玖凪はぱっと年相応の表情を見せる。唇を尖らせて不機嫌そうに拗ねる。

 「大体、寒凪さんが私を助けてくれたのがエゴだって言うなら、私が寒凪さんを助けようと思うのもエゴですよ。寒凪さんがいなくなったら私が困るんですから。また独りになれって言うんですか」

 するりと離れた玖凪の左手が、秋水の首筋に向かう。秋水が避ける間もなく、いたわるように指先が浅い切り傷の上をなぞった。

 ひんやりとしつつも羽毛のような柔らかな感触がゆっくりと移動していく。

 払うことなど容易なはずなのに、秋水の身体はされるがまま受け入れる。不思議と不快ではなかった。急所に触れられているこの状態が。

 むしろ、傷の痛みを忘れさせるのに十分な効果があった。

 「私があなたを守ります。だから――力を貸してください」

 真摯な懇願に秋水は躊躇して、玖凪に尋ねる。

 「……いいのか?」

 いろんなことに許可を求める問いかけに、玖凪は笑った。

 「当たり前じゃないですか。今さらですよ」

 玖凪の決意がまったく揺らがないことを確認した秋水は、一つ溜め息をつくと彼女の手を強く握り返した。

 「――わかった」

 生き残るために足掻くことを、このとき2人は決心したのだった。

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