消えない傷跡・12
「姉さ――」
現実に引き戻される。
誤作動でも起きたかの如く、寒凪秋水の心臓は早鐘を打っていた。
冷たくて嫌な汗が首筋を流れる。
悪い夢から覚めた秋水は、再起動した頭で自分が置かれている状況を徐々に認識し始めていた。
しかし、心はそれを受け入れられずに否定する。ここはまだ夢の続きではないかと疑っている。そうだとしても――否、そのほうがおかしくない状況だったからだ。
目覚めた秋水の体は、これまでの人生で初めての感覚を味わっていた。
横になっているわけでも、立っているわけでもない。
そして、精巧なガラス片がはめ込まれたステンドグラスの天井がやけに近かった。
秋水は身体を拘束された状態で宙に吊るし上げられていた。
上腕、手首、胸部、下腹部、大腿、踝――体中に黒い蛇を模したものが巻きついて縛り上げている。
絶えず這い続ける蛇は接しているところから、体温、体力、生きていくのに必要な要素をみるみるうちに絞り取っていた。
逃れようと身をよじるが、逆に蛇は強く絡みつく。その痛みに耐えきれず動きを止めざるをえない。
蛇の縄の大群は下から上に立ちのぼる大樹と化していた。遠目からは大樹の頂点に磔にされているように見えるかもしれない。
それらすべての蛇の発生源は、一人の男のコートだった。
異常な数の、大小様々なポケットで覆われた薄汚れたコート。
一つ一つのポケットから黒々とした異様な長さの蛇が湧いて、絡まり、つながり、癒着している。
真紅の絨毯が敷かれた床の中央で、コートの持ち主はこちらを見上げた。
くぼんだ目は赤銅色に輝いて、かかった獲物をねっとりと、舐めるように見回していた。
元門番の男は、かつて仕えていた一族の長男の名を呼ぶ。
「久しぶりだね、イグニス」
イグニス、と。
寒凪秋水のことを、こう呼んだ。
彼が捨てたはずの名前を、無味な表情のまま突きつけていた。




