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赤の理由 青の盾  作者: 賢木 緋子
第3章・滲み出す影
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滲み出す影・12

 「あー、めんどくさいな……」

 玖凪(くなぎ)から距離を取ったガードナーは心底煩わしそうに呟いた。

 魔力持ちのくせに自分の魔力をコントロールできない、白南風(しらはえ)玖凪は中途半端でか弱い存在だった。――つい先ほどまでは。

 「想定外。そういうことされると本当に面倒なんだよ。折角上手くいってたのに? 折角順調だったのに? 折角の計画が全部、ぜーんぶずれてくる」

 青い目を得た玖凪は毅然とした表情でガードナーと対峙していた。

 彼女から湧き上がる魔力はその瞳の色と同じ青。清浄、かつ密度が高い光。迂闊に触ろうものなら余分なものまで浄化されそうなほど澄み切っている。それは幻想的に揺らめいて、ガードナーが仕掛けた閉塞を打ち破ろうとしていた。

 すでに涙は止んでいる。そう簡単には屈服しないという強い意志。玖凪の決意を感じ取ったガードナーは表情を一変させた。

 「あー……めんどくさい」

 能面のような無表情に。ただし、くぼんだ目だけは獲物を狩る前の動物さながらにギョロリと動いた。そして躊躇することなく、熟考することなく、当たり前のように方針を修正した。


 「うん、君はここで殺そう」


 ガードナーはタバコを投げ捨てた。ふわりゆらり、煙と小さな火を伴い重力に従って地面に着くはずのものが、落下の途中でふっと消える。

 「なに、それ……」

 玖凪は目を見張った。

 ガードナーのコート、その全面についているポケット。そこから蛇のようなものが一斉に顔を出した。

 黒々とした細長い胴体が蠢いている。タバコが空中で消えたように見えたのは、そのうちの一つが素早く体を伸ばして丸呑みしたせい。百を下らない黒蛇のようなものの群れはぞわりぞわりと絶えず動いていたが、それらはどう見ても生き物とは言い難い存在だった。この世の醜いもの、不快なもの、怒り、嫉妬、悲しみ、憎悪、負の感情。そんなものを蒐めて纏めて繋ぎ合わせて出来た道具、蛇に見せかけている人工物。ぼやけた輪郭が妖しくざわめいて空間を侵している。

 「こうなってくると次善の策になっちゃうなあ。面倒なことになったもんだ――よ!」

 ガードナーの右腕が鋭くしなった。

 それを合図に発射されるは、黒い蛇の弾丸。

 「!」

 反射的に玖凪は左手を前方へ突き出した。

 魔力が密集して透明な層が発生し、肉を抉ろうと迫る悪意の塊を遮蔽する。衝突した蛇もどきはボロボロと崩れて一瞬で闇に溶けた。

 「看板を防いだあれか。でも、そんな燃費の悪い使い方でどれだけもつかな?」

 降りしきる雨の如く連射。蛇は間断なく玖凪に襲いかかる。

 初手では防御できたものが

「……! ぐぅ……っ!」

鋭さを増して魔力の層を食い破った。

 抵抗により、攻撃の進路はかろうじて左右に逸れた。流れ弾は玖凪の背後、地下道の壁に衝突して消滅していく。衝突した場所にはクレーターのような跡が残されてコンクリートの細かな破片が勢いよく舞った。

 五月雨式の突撃を抑えきるため、玖凪は左手に反対側の手を添えて必死に踏ん張る。ジリジリと後退する右足。顔の真横を通り抜けていった弾丸が頬の皮膚を裂き、血が汗と共に空気中で花弁のように散った。

 「お嬢さん。白南風玖凪。君を生かしておくと非常にめんどくさそうだ。いや、すでにめんどくさい。だから大人しく死んでくれ」

 ガードナーは攻撃の手を緩めずに死の宣告をした。

 「……お断りします!」

 即答する玖凪に、ガードナーは肩を竦める。相変わらず無表情のまま。

 「そりゃあそうなるか。――じゃあ、暇潰しに一つ聞いておこう」

 ガードナーは玖凪に問うた。

 「君は彼に恩義を感じているのかもしれない。だがね、よく考えてごらん。君の不幸の元凶は彼だ。彼にさえ遭わなければ死ぬことはなかっただろうし、友人が巻き込まれることもなかった。彼は君を救ったようだが、それ以上の災厄を運んできた。それについてはどう思う?」

 今の白南風玖凪を突き動かしているのは秋水(あきみず)への恩だ。だからその土台が揺らげば、玖凪が戦う理由の大半は吹き飛ぶ。それは戦意を削ぐことと同義。玖凪の心を挫くための唆し。

 ――だが、

「元凶はあなたでしょう」

どの口がそれを言うのだと玖凪は一蹴した。

 「大体、なんで死ぬ事前提なんですか。さっきも言いましたけど、私は死ぬ気なんてこれっぽっちもありませんから」

 玖凪は満身創痍だった。直撃は避けていたものの余波で切創ができ、制服はあちこち裂けていた。しかし、その双眸から戦意が失われることはなく、寧ろ輝きが強くなる。

 変化は魔力の層にも現れ始めていた。半分程度の割合で蛇に食い破られていた防御。それが次第に――。

 「…………?」

 強固になり、蛇を通す割合が明らかに減った。かろうじて突破した蛇も大きな角度でずれ、見当違いの場所に着弾する。

 「私、まだやりたいことがたくさんあります」

 玖凪は独白する。

 生殺与奪の権を握られかけたこの状況で、口元に微かな笑みさえ浮かべながら。

 「くるちゃんと遊びに行きたいし、コトリ弁当の新作も食べたいし、千佳(ちか)ちゃんとまた会いたい。新しい甘味屋さんも発掘しなきゃいけないし、部活の定期公演の準備もあるんです」

 そして――と付け足す。


 「寒凪(かんなぎ)さんのこと、もっと知りたい」


 透明な魔力の層が強い光を発した。

 「何より、死んで寒凪さんの迷惑になるなんて、死んでもごめんです!」

 刹那、地下道全体をまばゆく照らしたそれは、もはや未完成品などではなかった。

 玖凪の体全体を隠す巨大な円形の盾。

 空色を基調としたボディは釉薬をかけた陶器の如くつるりと滑らかで、美しい光沢を帯びていた。優雅な花を象った金のレリーフがシンメトリーに施され、攻撃を躊躇わせるほどのオーラを放っている。

 出現した盾は確かな質量を持ち、この世界に存在していた。

 ガードナーは舌打ちをした。

 「現出系統か……!」

 現出系統。魔力を用いて、想像したものをこの世に出現させる系統。

 保有する魔力量の割に技術が圧倒的に不足している、それが白南風玖凪という少女だった。だからガードナーは軽んじていた。魔力を垂れ流して防御したところで、いずれ魔力が尽きるか黒蛇に食い破られると。玖凪の決意や魔力の激しさを目の当たりにしてもなお、殺す必要があると直感してもなお、真の脅威とは呼べないと楽観視していた。

 しかし、盾が魔術として昇華されてしまった――あろうことか、ガードナーが圧倒的に優位であるはずのこの空間で開花されてしまった今、ガードナーは心の底から思い知らされた。

 この女は、危険だ。

 ガードナーは少しの労力で多くの結果を得るという自分のスタイルをかなぐり捨てて全力で蛇を差し向けた。

 集中し、魔力を込めて加速、これまでで一番研ぎ澄ました鋭利な攻撃。それは途轍もない速度で盾に突っ込んだ。

 が、

「無駄です」

空色の盾は傷一つ付けられることなくいとも容易く攻撃を防ぎ、さらにはね返した。蛇はガードナーの足元スレスレの地面を抉って消える。

 ぴしり、とタイルに大きなヒビが入った。

 「もう諦めてください」

 盾を一時的に消した玖凪はガードナーに向き合った。

 血に塗れていようが、気高い立ち姿。

 玖凪の言葉は弱者から強者に対する嘆願ではなかった。互いの力量を冷静に分析した戦士の停戦要求だった。

 「…………」

 ガードナーは使役する蛇とお揃いの、爬虫類を思わせる無表情で無言のまま玖凪のことを見ていた。

 無表情である、ということは感情がないということではない。これはあくまでもガードナーの戦い方であり、スタイルの一部であった。

 戦いに集中するとき、ガードナーは表情を変えることすら億劫になる。表情筋にリソースを使うくらいならば他のことに分配すると言わんばかりに。その性格故に勝手に無表情になるのであり、努めて無表情であるわけではない。

 だからこのときも、内部ではヘドロに似た粘着質なものが噴き出していて、玖凪の全身を舐めるように回し見た。何処かに弱点、付け入る隙はないかと。こうなった以上、ここで始末するほかないという執念をもって。

 ふと。

 ガードナーの目線が下――少し離れたところに倒れ伏しているくりすに固定された。

 その口元に引きつった笑みが浮かぶ。

 「しまっ――!」

 次に起こりうることを予測した玖凪からサッと血の気が引いた。

 ガードナーがくりすに攻撃を仕掛けたのと、玖凪が左手をくりすに差し出したのはほぼ同時だった。

 くりすに迫る黒の害悪。くりすの首を噛み切らんと宙を走る。それは、目的を果たす寸前で進路を妨げられ、グズグズに崩れて消滅した。玖凪の盾が出現するほうが僅かに先だった。

 しかし。

 くりすに自らの盾を展開した玖凪は完全に無防備になった。そして、その一瞬を見逃すガードナーではなかった。


 ガードナーが間髪入れずに放った蛇は、殺意を撒き散らしながら玖凪に直撃した。


 「あ、あああああああっ!」

 玖凪は背後の壁に激しく体を打ちつけた。鮮血が飛ぶ。玖凪の体は意志に反して地に崩れ落ち、上体だけ地下道の壁面にしなだれかかる体勢になる。

 「うっ、あ……」

 玖凪の口から痛々しい声が漏れた。

 ガードナーは数歩玖凪に近づき、冷徹な眼差しで状況を確認した。

 直撃したのは左腕。肘に近い上腕。玖凪はくりすを守るために左手を右へ傾けたため、上腕外側に攻撃が当たっていた。

 他の切創とは比べものにならないほどの長くて深い傷ができ、赤い染みはじんわりとブレザーに広がりつつあった。

 だが、これはガードナーにとって予想外に浅い傷だった。ガードナーは腕をもぎ取るつもりで蛇を放っていたのだから。

 「咄嗟に魔力の層を纏って防御したわけか。末恐ろしい娘だよ」

 ガードナーはありったけの蛇をポケットから出し、玖凪に狙いを定めた。蛇を模した悪意は首をもたげて合図を待つ。すっぽりと黒に覆われたガードナーの姿はおぞましい瘴気を発していた。

 玖凪はすでに盾を出せる状態ではなかった。左手は玖凪にとって魔力を放出するためのトリガー。それを負傷したということは、もはや安定して魔力を扱えないということ。決定的すぎるほどの致命傷。

 距離を取らずにはいられないほど吹き荒れ、威圧していた玖凪の魔力の嵐はなりを潜めつつあった。残った魔力が多少邪魔をしたとしても、この距離で急所を乱れ打ちされれば確実に死ぬだろう。

 痛みのせいか、玖凪の目は潤んでいた。

 それでも絶望に染まるでもなく、青い目はひたすらに生を求めていた。

 だが、これでもう終わり。


 「さよならだ、お嬢さん」


 玖凪の頭を目がけて弾幕が降り注いだ。

 風を切る音。黒い牙。

 「――っ!」

 諦めたくない。しかし――もう打つ手がない。

 最後の最後、命を絶つ一撃が無慈悲に体を貫くそのときを玖凪は覚悟した。

 動く右手で頭を庇い、目を瞑る。



 …………。



 ………………。



 ……………………。



 「………………?」

 そのときは一向に来なかった。

 玖凪は恐る恐る目を開ける。

 闇とは違う、濡れ羽色。

 眼前に広がっていたのは翻った黒いロングコートだった。

 細かな水滴がパッと散り星屑のように光る様は、夜の帳という言葉が相応しい。ガードナーのものとは異なる、女性もののコート。

 その人物の右手に握られたのは一本の剣。余計な装飾の一切が削ぎ落とされた、艶やかな長剣。銀色に輝いた剣は帯電し、威嚇するような音をあげていた。

 彼女は自らの得物で、すべての蛇をぶった切っていた。

 黒いもやが一斉に空気に溶ける中、彼女――月影(つきかげ)未知(みち)は振り返って、その耳に着いたイヤリングを煌めかせながら美しく微笑んだ。


 「おまたせ」

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