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赤の理由 青の盾  作者: 賢木 緋子
第3章・滲み出す影
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滲み出す影・13

 「え? ……え? 未知(みち)さん?」

 「やあ、玖凪(くなぎ)ちゃん。随分帰りが遅いと思ったら、こんなところで寄り道してたんだね。心配したよ?」

 玖凪は我が目を疑った。

 この空間に割り込んできた人間がいるということはもちろん、その人物が顔見知りだったことに困惑していた。

 加えて、未知の格好。

 コートの下はいつものふざけた着ぐるみ姿ではない。かっちりした群青色のシャツに機能的なパンツ。格式高い軍服は背が高くスレンダーな未知を際立たせる。背筋はすっと伸び、美しいそのスタイルは気高い一輪の百合の花のよう。身なりを整えた未知は見違えるほど気品のある色香を漂わせていた。

 そして、玖凪が戸惑った最大の理由は

「未知さん、髪と目が……」

栗色とこげ茶色に見えていたはずのそれが、まばゆいブロンドとアメジストのような紫に変わっていたためだった。

 「ん? ああ、秋水(あきみず)くんのだけじゃなく、ようやく私の色も認識できるようになったんだ。そっかそっか」

 未知は一人で勝手に納得して頷いた。朱で彩られた唇が妖艶に動く。

 「今は見えてるってことは、覚醒かつ同じタイミングで認知する必要があるってことかな。でも、玖凪ちゃん自体はまだ目しか変わってないねえ。こっちの世界はイレギュラーが多すぎて確かなことは言えないや――で?」

 繊細なフレームが施された眼鏡の奥、すいと未知の目線が移った。

 ――玖凪から、ガードナーへ。

 「そこのおにーさん。うちの可愛い可愛い下宿生に何してくれてるわけ?」


 空気が慄く。


 肌がぴりりと痛くなるほどのプレッシャー。下手に動いたら押し潰されそうな気配に玖凪もガードナーも息をのんだ。

 お披露目したばかりの優雅な雰囲気などすべて霧散。

 未知のシャープな顔立ちは、相手に対する敵意で限りなく凄然たる表情に変わっていた。

 「……ミチリス家の『月の宮』」

 「その名前で呼ばれるのは久しいな。――一応訊いておいてやる。こんな世界ところで何をしている。大罪人……!」

 ありったけの憎悪を込めて、未知はその手に握られた剣をガードナー目がけて投擲した。

 雷霆。神の鉄槌。

 横投げで放たれた剣は紫電を纏い、地面と平行に宙を駆けた。

 迷いなど微塵もない直線的な爆進。滞留した空気を切り裂き、暗闇をぶち抜き、尋常でない速度で目標に迫る。

 「……時間切れか」

 その到達点、罪深い男は天罰を受ける気などさらさらなかった。

 ガードナーはオーケストラの指揮者さながらに両手を素早く引き上げた。玖凪に空洞を開ける予定だった蛇の群れが行き先を変える。

 コートのポケットから湧いて出て来た蛇たちは自ら剣に飛びかかり、口から真っ二つにおろされた。

 切断された胴体がうねうねと蠢きながら地下道中に散らばる。本物の蛇ではないと解っていても人間の生理的嫌悪を呼び起こす、禍々しい光景だった。

 バラバラに解体されては消えゆく蛇、蛇、蛇。

 しかしその犠牲は剣の勢いを少しずつ、確実に殺す。

 ガードナーに刃が届く直前で剣は推進力を失い、数多の蛇を道連れに空気中へ溶けて消滅した。

 「『月の宮』が来たんじゃ分が悪い。予定が大幅にずれたことは残念だが、今日のところはこれで失礼させてもらおうか」

 未知から距離を取りながらガードナーは逃走の態勢に入っていたが、

「逃がすとでも?」

そうはさせまいと未知の細い指が地面をさす。

 ガードナーの足元に複雑な紋様が刻まれた魔法陣が現れた。燦然と輝く紫の光。それを目くらましにして出てきた幾本もの鞭は凶悪な動きでガードナーを捕らえようとしなる。

 「おっ、と」

 並み外れた反射で素早く後ろに引いていたガードナーは体を捻じって鞭の猛攻を避けた。

 隙。

 その僅かな時間。

 未知は優雅かつ大胆に一足飛びに跳躍し、ガードナーの懐に滑り込んでいた。

 右手にあるのは、いつ創り出したのか2本目の剣。最初のものより刃渡りが短めの、それでも鋭さは変わるところのないギラギラした片手剣。

 「ぐっ……!」

 肉を断たんとする刃をガードナーはいなす。血迷ったか――猛烈な勢いで迫り来る剣先に素手を添える。

 だが、それはただの素手ではなかった。

 「……!?」

 未知の剣とガードナーの手掌がぶつかる寸前、生身の手など一刀両断できるはずの片手剣が、温めたべっこう飴のようにべろりと歪曲した。

 ガードナーの掌に発生していたのは小型の魔法陣。くすんだ銀の光は雷電すら吸収し、斬撃を無効化する。

 「……小癪な」

 「時空間系統でも防御魔術みたいなものは出来るんでね」

 未知が表情を変えたのはほんの一瞬。彼女はすぐに新しい剣を携えると怒涛の剣戟を加えた。

 左手に剣、縦に切り伏せ、魔法陣に防がれて曲がる。右手にはナイフ、横一文字になぎ払い、これも根元から曲がる。右のナイフが破棄されるときにはすでに左手に別のナイフが握られ、左のナイフが使い物にならなくなったときには右手の短剣が刺突されている。

 魔術師同士の応酬は苛烈さを増していく。


 白南風(しらはえ)玖凪は水のように流動的な彼らの動きから目が離せなかった。

 血を失っているせいか頭は麻痺して働こうとしない。天辺のあたりが霧がかったように白い。

 二人の動きをすべて正確に認識しようとしても、頭が追いついたときにはすでに遥か後ろに流れていた。情報量が玖凪の処理能力を悠に超えている。

 玖凪が一連の動きを捉えることをふっと諦めると、眼前で起きていることは笑えてしまうくらい滑稽で劇的で、ぼんやりとしている自分の頭が見せている幻か、脚本があらかじめ決められているショーのように思えた。

 ぺたりと地面に座り込み、初めて母親以外のものを見る赤子さながらに食い入るように見つめる。

 こんなことをしている状況ではないとわかっているのに。

 他に取るべき行動があるかもしれないのに。

 見惚れた。

 強烈に。

 胸の奥のさらに奥、普通の手段では絶対に到達できない部分が熱く火照って疼く。

 心の赤子はみるみる成長して幼児になり、羨望は真新しい刺激を自分のものにしようという貪欲に変化した。例えばそれは、玩具売り場に放たれた子どもが、おねだり、号泣、持ちうるあらゆる手を使って望みのものを得ようとするように。

 見境なく遠慮なく容赦なく欲していた。

 もっと、もっと。

 もっと、もっと、もっとさらけ出して。

 玖凪は我流で生きてきた。教科書などない、指導者はいない。自分が持っているものの用途どころか、名前すらわからないままここに至ってしまった。

 それがようやく、見本が与えられるときが来た。

 秋水と出逢って以降、玖凪と魔術の交わりは段違いに濃厚になった。しかし、自分が魔術の主体であるときは細部を認識できる余裕がなかった。過ぎた後に残るのは内容を思い出せない夢のような、朧げな残滓だけ。

 今は違う。

 他者の魔術を余すところなく、客観的に観察することができる。動き、流れ、タイミング、効果、対処法。こんなことができる可能性があるという指針を示されている。

 だから玖凪は目に焼きつける。方法がわからなくとも、理解できなくとも、追いつけなくとも、心に刻みつけるために。

 糧にするために。


 横薙ぎに振られた小太刀が空を切る。標的は仰け反ることでその一撃を躱し、鳥の羽毛でも撫でるような優しい手つきで流れ行く刃に触れた。すぐに小太刀は容易く曲がる。

 が、

「――よ、っと」

未知は生まれた勢いを殺さずに回転すると流れるような美しい後ろ回し蹴りをガードナーの胴体に叩き込んだ。

 「がっ!」

 よろめいた敵に新しいダガーを振り下ろす。しかし、これはガードナーが地面を転がって回避したため当たりはしなかった。

 「ああやりにくい。こんなナマクラしか出せないなんて厄介な場を展開してくれたもんだ」

 使い物にならなくなった小太刀を未知は放り投げる。カランと軽い音がしたそれは、宙へバウンドした次の瞬間には泡のように消えていた。

 未知の斬撃を回避したガードナーは受け身を取って体勢を立て直した。猫背を揺らし、困ったように頭を掻く。

 「面倒だな……これ続けてたら、スタミナ切れるのは確実にこっちだからなあ」

 未知の現出系統とガードナーの時空間系統。魔力の消費量で言えば、基本的には後者のほうが大きい。

 「わかっているならさっさと投降してくれると嬉しいんだが。牢獄の中にいれば面倒事とは無縁でいられるぞ?」

 「いやあ、そういうわけにもいかないんでね」

 ガードナーはちらりと玖凪を見た。魔術師の戦いを陶然と眺めていた少女を。当然のように目が合う。罪人の顔に意地の悪い笑みが浮かび、玖凪の危機回避能力が安全地帯にいる気になっていた鈍い頭を叩き起こした。

 玖凪が傍らのくりすを庇うように体をずらしたのと同時に、眼前に銀の魔法陣が出現した。

 続けて送りつけられたのはピンポン球くらいの大きさの黒い球体。

 「あ……!」

 未知という強力な盾をすり抜けて、ガードナーの攻撃が玖凪とくりすを襲う。

 球体は小刻みに震えたかと思うと、グロテスクに一回り大きく膨らんだ。

 また、膨らむ。細部がよく見えるほど大きくなった球体は脈打つ奇怪な肉塊だった。

 この物体が行き着く先を想像して、玖凪は凍りついた。

 膨らむ。また。もう一回り。

 サッカーボールくらいの大きさに膨らんだ球体は、はち切れんばかりに激しく震え始めた。

 だが、

「甘いな」

涼やかな声が響いてガードナーの企みを阻止する。

 球体が爆発する直前、紫の光と共に白いもふもふした物体が多数現れ、黒い球体を完全に包み込んだ。

 地下道にボンッと鈍い破裂音が轟く。

 しかし衝撃はすべて白のもふもふに吸収され、玖凪には届かなかった。さらりとした風花が舞って消えゆく。

 玖凪には、未知が出した白いもふもふが兎に見えた。ガードナーの蛇と似て非なるもの。創造物であることに違いはないが、製法や性質がまったくもって異なるもの。

 やすやすと攻撃を防いだ未知は改めてガードナーに剣先を向けた。

 「さすがは『月の宮』。――化け物め」

 一方のガードナーは少しずつ未知から後ずさり、くぼんだ目の周りに深い皺を作って呆れた声を漏らした。

 「俺の支配下(このばしょ)でもこれくらいはお手の物か。本当に魔術の才とは理不尽で意味がわからない」

 「それはこちらの台詞だ」

 未知は険しい表情で詰問する。喉から出ようともがく疑問をこれ以上抑えておくことができなかったように。

 「一介の雇われ門番にすぎなかったお前が、どうやってそこまでの力を得た? あの監獄を脱獄し、異世界移動までこなし、魔術の質が落ちるこの世界でここまで戦える。その源は、一体なんだ!」

 ガードナーはここで不確かな笑みを浮かべた。

 「どうせ貴女のことだ。薄々感づいているんだろう?」

 追い詰められた人間が到底浮かべようもない、余裕を感じさせる笑みを。

 「貴女たちが5年前に仮説を立て、結局ありえないと判断した可能性。それが答えだ」

 途端、ガードナーの姿が大きく揺れて輪郭が崩れた。

 「……しまった!」

 未知が何かに気づいて素早く鞭を走らせる。

 しかし、ガードナーに絡むはずの鞭は虚像を貫通して、虚しく宙に放り出された。

 下に落ちていたのはタバコだった。未知が駆けつける前、玖凪との戦いの最中、ガードナーが回収したもの。それから立ち昇る紫煙がガードナーの形に凝縮されて身代わりになっていた。

 未知が玖凪に意識を向けた一瞬の隙をついて、ガードナー自身はこの空間から逃走を図っていた。

 「……くっ!」

 追いかけようと足を踏み出した未知に、どこからか下卑た声が投げかけられる。

 「ここは解散するのがお互いのためだよ、『月の宮』。別に、追いかけてくるのは貴女の自由だがね……手負いのその子たちを放置する、そんなことが優しく慈悲深い貴女にできるのかな?」

 未知は2人の少女に目を向けた。嘲笑う敵の声が、腹立たしいほどに足をその場に縫いつけていた。

 「それでは、また。彼にもよろしく」

 声が聞こえなくなると同時に地下道を覆っていた重い気配が消え去った。一人の魔術師の支配下に置かれていた空間が解放されたのだと肌で解った。

 闇に塞がれていた道は先まで見通すことができる。いつもは気味が悪くて薄暗い蛍光灯が不必要なほど明るく感じられた。

 「何がよろしくだ……異常者め」

 虚空の一点を睨みつけていた未知は一言だけ呪詛を吐き出すと、玖凪のほうへ向き直った。

 「あ……未知、さん……」

 あれほど激しい動きをしていたのに、未知は息を切らすことなく立っていた。傷一つついていない。端麗な軍服姿はやはり惚れ惚れするほど美しかった。

 玖凪は訊きたいことがたくさんあった。しかし、経験したことのない脅威が去って未知の顔を見たら、唯一最後まで残っていた緊張の糸がとうとう切れてしまった。

 「玖凪ちゃん!」

 駆け寄る未知がブレる。頭の天辺に浮かんでいた白が急激に下に降りてきて目眩がした。血を、流しすぎた。

 玖凪は未知の姿に安堵しながらその場で気を失った。

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