借りたお金
バイロンが見せてくれた鍵束のことが、どうにも頭から離れなかった。
あの中にあった前支配人の部屋の鍵。ほかの鍵より少し大きくて、一本だけでもそれなりの重さがあった。バイロンは、あれを落としてしばらく気づかなかったと言っていたけど……。
「なあ、チャミー。さっきの鍵なんだけど――」
「クニタカ君、ちょっといいか?」
顔を上げると、フォールがこちらを見ていた。
「ヴァーノンさんに、もう一度話を聞こうと思う。君も来るか?」
「ヴァーノンさんですか? ……また怒られそうですね」
「まあ、機嫌よく答えてくれるとは思ってないがな」
フォールは苦笑したものの、気にしている様子はない。
「バイロンさんからホテルの事情を聞いただろう。あの話を踏まえて、長男の考えも確認しておきたい」
「ああ、借金のことですか。そういえばヴァーノンさん、父親と仲が悪かったって言ってましたよね」
「その理由も、まだ詳しく聞いていない。遺言書の内容を知らないのに、父親から不利な扱いを受けると思っている。そのあたりも気になるところだ」
確かに、父親が嫌いだったという話だけでは、遺言書について何を考えているのかまでは分からない。
「分かりました。俺も行きます」
「ただし、今度はあまり簡単に言いくるめられないようにな」
「……あれ、まだ覚えてたんですか」
「なかなか見事だったからな」
できれば忘れてほしかった。
◇
「……また俺かよ」
ヴァーノンは俺たちを見るなり、露骨に顔をしかめた。
「悪いな。もう少し聞いておきたいことがある」
「さっき散々聞いただろうが。今度は何だ? また鍵の話か?」
「いや、今回はあなたの父親についてだ」
その言葉を聞いた途端、ヴァーノンの顔からわずかに表情が消えた。
「……あの親父の?」
「ああ。以前、仲が悪かったとは聞いたが、何があったのかまでは聞いていない」
「そんなもん、今さら聞いてどうすんだよ」
「遺言書の件と無関係とは限らんだろう。あなた自身、父親から不利な扱いを受けるかもしれないと言っていたからな」
ヴァーノンはしばらくフォールを睨んでいたが、やがて舌打ちして椅子に腰を下ろした。
「……何が聞きてえんだ」
「まず、父親と対立していた理由だ。何か大きなきっかけでもあったのか?」
「きっかけなんざ、一つや二つじゃねえよ。昔から自分の思い通りにならなきゃ気が済まねえ親父だった。こっちが何言おうが、気に入らなきゃ聞きもしねえ」
吐き捨てるように言ってから、ヴァーノンは腕を組んだ。
「ホテルのことだってそうだ。祖父さんが苦労して築いたもんを、あいつは何だと思ってやがったんだか」
「ホテルの経営について、意見が合わなかったのか?」
「意見が合うも何も、まともに話ができる相手じゃねえよ。あの親父はホテルの金を、自分の金と勘違いしてやがったんだからな」
「……ホテルの金を?」
思わず聞き返すと、ヴァーノンがこちらを睨んだ。
「何だよ」
「いや、バイロンさんからホテルに大きな借金があるとは聞いたんですけど……」
「そりゃあるだろうよ。あんだけ好き勝手やってりゃな」
「好き勝手って、経営の失敗とかじゃなくて?」
「違うっつってんだろ。親父が自分のために使った金だ。くだらねえ道楽に金をつぎ込んで、足りなくなりゃ借りる。その借金を全部ホテルに背負わせてやがったんだよ!」
「……それ、ホテルに関係ない借金じゃないですか」
「だから俺は何度も言ったんだ。そんなこと続けてたらホテルが潰れるってな。だが、あいつは聞きゃしなかった」
ヴァーノンは忌々しそうに息を吐いた。
バイロンから聞いたのは、ホテルに多額の負債があるという話だけだった。経営がうまくいかなかったのかと思っていたけど、まさか父親が自分のために使った金だったなんて。
「フォールさん。これ、バイロンさんの話とずいぶん違いません?」
「ああ。負債があることは聞いていたが、その原因については初耳だな」
「……何だよ。バイロンがどうしたって?」
ヴァーノンが眉をひそめる。
「バイロンさんは、ホテルの負債については把握しているようだった。ただ、今あなたが話したような事情は聞いていない」
「そりゃ、あいつは今の支配人だからな。借金があることくらい知ってるだろ」
「では、父親の私的な支出が原因だということについては?」
「さあな。あいつがどこまで知ってるかなんざ、俺が知るかよ」
「あなたから弟さんたちに、この話をしたことはないのか?」
「ねえよ。わざわざ親父の尻拭いの話なんざしたくもねえ」
フォールは少し考えるように間を置いたが、それ以上は追及せず、相続の話に切り替えた。
「あなたは以前、遺言書がなければ三兄弟で均等相続になると知っている、と話していたな」
「ああ。それがどうした」
「今の話を聞く限り、ホテルには相当な負債がある。均等相続になれば、その負債も三人で引き受けることになるぞ」
「分かってるよ」
「それでも、均等相続の方がいいと?」
「……何が言いてえ」
ヴァーノンの目つきが険しくなる。
「負債を知っているあなたが、なぜそう考えるのかと思ってね」
「親父の決めたことに、今さら従えってのかよ」
「遺言書の内容は知らないんだろう?」
「知らねえよ。知りたくもねえ」
ヴァーノンは吐き捨てるように言うと、椅子の背にもたれた。
「どうせ、ろくなこと書いてねえさ」
フォールはその様子をしばらく見ていたが、無理に続きを聞こうとはしなかった。
「分かった。今日はここまでにしよう」
「……何だよ。もう終わりか?」
「聞きたいことは聞けたからな。協力に感謝する」
「礼なんざいらねえ。これ以上、死んだ親父の話を蒸し返すんじゃねえぞ」
ヴァーノンは乱暴に椅子から立ち上がると、そのまま部屋を出ていった。
扉が閉まったところで、俺はようやく息を吐いた。
「……やっぱり、怒らせちゃいましたね」
「それでも、話は聞けた。十分だろう」
「フォールさん、途中から全然気にしてませんでしたよね」
「気にしてないわけじゃないさ。だが、怒らせたくないからといって何も聞けなければ、調査にならんからな」
「それはそうですけど……俺にはちょっと真似できそうにないです」
「クニタカ君はクニタカ君のやり方でいい。もっとも、何でも素直に聞けばいいというわけでもないが」
「……それ、さっきの俺のことですか?」
「さてな」
絶対そうだ。
◇
ヴァーノンの話を聞いて、ホテルの借金については少し分かった。でも、相続についての考えは、むしろ分からなくなった気がする。
「フォールさん。あの人、借金のことまで知ってるのに、均等相続の方がいいんですね」
「ああ。父親の遺言書をよほど信用していないようだな」
「でも、中身を知らないんですよね?」
「だからこそ、かもしれん」
確かに、あれだけ父親を嫌っていたなら、遺言書にも期待できないのかもしれない。それでも、借金まで引き受けるとなったら、俺ならかなり悩むと思う。
スマートフォンを取り出すと、ちょうどチャミーから声がした。
「都尊さん。今回の証言について、一点確認しておきたいことがあります」
「ん? 何?」
「バイロンさんは、ホテルの負債を知っているのは兄弟の中で自分だけだと認識していました。しかし、ヴァーノンさんも負債を把握していたと証言しています」
「ああ……そうだったな。しかも、原因まで知ってたんだよな」
「はい。兄弟間で共有されている情報には差があるようです」
「同じホテルの話なのになあ……」
俺だったら、借金なんて大事な話は早めに相談すると思うけど、相手が家族だからこそ話しにくいこともあるのかもしれない。
「なんか、三兄弟でちゃんと話し合った方が早い気がしてきた」
「それはそうかもしれません。ただし、現在の調査で必要なのは、遺言書が移された経緯を明らかにすることです」
「……そうでした」
すっかりホテルの借金の話に気を取られていた。
「そういえば、焼けた紙の方もまだ残ってますよね」
俺がそう言うと、フォールが頷いた。
「ヴェルガさんが火魔法で燃やした紙だな」
「はい。遺言書は見つかったわけですし、あの紙は別のものだったんですよね。結局、何を燃やしたんでしょう?」
「それはまだ分からん。ただ、バイロンさんから聞いた話は気になるな」
「ヴェルガさんが前支配人からお金を借りていたって話ですか?」
「ああ。個人的な貸し借りだったそうだからな」
借金。
そう聞くと、さっきヴァーノンが怒っていた話まで思い出してしまう。
「そういうのって、借用書を書いたりしますよね。……もしかして、あの焼けた紙って借用書だったりして」
「可能性はあるな。もっとも、借用書が実際に作られていたかどうかも、まだ確認できていない」
「ですよね……」
借金があったからといって、必ず借用書があるとは限らない。あったとしても、前支配人の部屋に置かれていたかどうかは別の話だ。
「ただ、ヴェルガさんが前支配人をよく思っていなかったという話もある。借金との関係も含めて、いずれ事情を確かめる必要はあるだろう」
「そうですね」
ヴェルガが何を燃やしたのかは気になるけど、今のところ本人の話以外に確かめる方法が思いつかない。
俺が考え込んでいると、フォールが腕を組んだままこちらを見た。
「さて、クニタカ君。ほかに気になることはあるか?」
「え、また俺ですか?」
「せっかく一緒に調べてるんだ。君の意見も聞いておきたい」
「そう言われても……」
俺はこれまでに聞いた話を頭の中で並べてみた。
前支配人の部屋に入ったのは、ヴァーノンだけじゃない。ヴィクターも、父親に貸していた本を取り戻すためにバイロンから鍵を借りている。そのときはヴェルガも一緒だった。
そういえば、バイロンが見せてくれた鍵束には、いくつも鍵が付いていた。その中で前支配人の部屋の鍵だけが、ほかより少し大きかった。
「……あ、そうか」
「何か思いついたか?」
「さっきの鍵なんですけど、前支配人の部屋の鍵だけ、ほかより大きかったじゃないですか」
「ああ、そうだったな」
「だったら、ヴァーノンさんも拾ったときに分かったのかもしれませんね。父親の部屋の鍵なら、見覚えがあってもおかしくないですし」
「そうだな。以前から知っていたなら、拾った時点で分かった可能性はある」
「ですよね。名前が書いてなくても、あの大きさなら見分けられそうですし」
ヴァーノンは、拾ったときには何の鍵か分からなかったと言っていた。でも、鍵を知っていたなら話は違ってくる。
「……そう考えると、やっぱりヴァーノンさんもあの部屋に入れたんですよね」
「鍵を持っていた以上、その可能性はあるな。ただ、入れたことと実際に入ったことは別だ」
「あ、そっか」
鍵を拾ったという話だけでは、そこまでは分からない。
フォールは少し考えるように腕を組んだ。
「それより、ヴィクターさんにも確認しておきたいことがある」
「ヴィクターさんですか?」
「ああ。彼も父親の部屋へ入っているだろう。ヴェルガさんと一緒にな」
「そういえば、本を取りに行ったんでしたよね」
「そのときのことを、もう少し詳しく聞いておきたい。部屋に入ってから何をしていたのか、二人がどのくらい一緒にいたのか。まだ分からないことがあるからな」
「なるほど……」
ヴィクターは以前、ヴェルガが紙を燃やしたことを知っていながら、何だったのかは話そうとしなかった。
今度は、もう少し聞けるだろうか。
「じゃあ、次はヴィクターさんですね」
「ああ。行こうか、クニタカ君」
俺はスマートフォンをポケットにしまい、フォールの後を追った。
ヴィクターは、ヴェルガが燃やした紙について、どこまで知っているんだろう。




