ほどける思考
「組織というのは、そういうものですからねえ」
フォールの言葉に、レードスの眉間のしわが一段と深くなった。
「……おい、フォール。わざわざ調べ直させた挙げ句、今度は警察への説教か?」
「いえいえ。そんなつもりはありませんよ。ただ、最初に筋の通った説明が見つかると、どうしてもそれを前提に考えてしまうものですから」
「何が言いたい?」
「今回の事件も、そうではありませんか?」
フォールは仕事机から視線を外し、床に残された血痕へ目を向けた。
「警察は、サムさんがこの部屋で刺されたと考えていますね」
「当然だろう。サムはここで死んでいたんだ。血痕も残っている」
「ええ。ですが、レードス。サムさんがこの部屋で亡くなったことと、この部屋で刺されたことは、必ずしも同じではありませんよ」
「……何だと?」
レードスは腕を組んだまま、フォールを見据えた。
俺も思わず床を見た。ここでサムが倒れていたのは確かだし、血痕まで残っている。それなのに、ここが犯行現場ではないというのだろうか。
「ちょっと待ってください。サムさんは、別の場所で刺されたってことですか?」
「ええ。まずは、その前提で考えてみましょう」
「でも、ここには血が残ってるじゃないですか」
「刺されたあと、この部屋へ戻ってきたのなら、血痕が残っていても不思議ではありませんね」
心臓を刺された人間が、わざわざ仕事部屋へ戻ってくる。そんなことができるのかと考えていると、コメリアが口を開いた。
「でもパパ、そんな大怪我をして、どうやって戻ってくるのよ?」
「歩いて戻る必要はありませんよ」
コメリアは一瞬考え込み、すぐに仕事部屋の転移魔道具へ目を向けた。
「……転移魔法?」
「ええ」
「でも、サムさんが刺されたあとに、自分で転移魔道具を使ったってことですか?」
「いいえ。サムさん自身が使う必要はありませんよ」
「……あっ」
そこでようやく、フォールの言いたいことが分かった。
「犯人が、サムさんをここへ転移させた……?」
「ええ。その可能性もあります」
警察は、刺されたサムが犯人を屋敷の外へ転移させたと考えていた。だが、転移させられたのが犯人ではなく、サムの方だったとしたら。
レードスが片手を上げた。
「待て。仮にそうだとして、サムはどこで刺された? 誰がここへ転移させたというんだ?」
「それを考えるために、先ほど追加の聞き取りをお願いしたんです」
「……サムの外出についてか」
「ええ。使用人の方々は、サムさんが出掛けるところを見ていないのに、外から戻ってくる姿を目撃したことがあるそうですね」
「ああ。だが、それだけで転移魔道具を使ったとは言えんぞ」
「もちろんです。ただ、この部屋にはサムさんの転移魔道具があります。そして、屋敷の塀の外には魔力紋が残されていた」
フォールはレードスの顔を見た。
「警察は、あの魔力紋を犯人が脱出した痕跡だと考えたのでしたね?」
「そうだ。刺されたサムが犯人を転移させた可能性がある」
「では、サムさん自身が屋敷の外へ出た痕跡だったとしたら、どうでしょう?」
「……サムが?」
「ええ。人に知られずに出掛けたい用事があって、この部屋から塀の外へ転移した。そう考えても、魔力紋の存在とは矛盾しません」
レードスはすぐには答えず、手元の資料に目を落とした。
「……しかし、あの魔力紋がサムのものだという証拠もないだろう」
「ええ。そこはおっしゃるとおりです」
フォールがあっさり認めたので、レードスはかえって不満そうな顔をした。
俺も少し気になり、チャミーに尋ねてみた。
「なあ、チャミー。魔力紋から転移した人間を調べる方法って、本当にないのか?」
『これまでに伺った説明では、魔力紋から転移した人物や使用時刻を特定することはできないとされています。ただし、私自身が検証した情報ではありませんので、断定はできません』
「じゃあ、警察の考えも、フォールさんの考えも、どっちもあり得るってことか」
『はい。少なくとも、現在得られている情報だけでは、どちらの仮説も否定できません』
なるほど。魔力紋が残っているのは確かでも、それを誰が残したのかまでは分からない。フォールは、その解釈を変えて考えているわけだ。
「しかし、事件当日にサムが外出したという証言はないぞ」
「ええ。ですから、まだ仮説です。ただ、外出したところを誰も見ていないからといって、外出していないとまでは言えませんね」
「……それはそうだが」
レードスは口元に手を当て、しばらく考え込んだ。
「つまり、サムは自分の意思で屋敷を出た。そのあと別の場所で刺され、この部屋へ転移させられた。お前はそう考えているんだな?」
「ええ。私が考えているのは、そういう流れです」
レードスは腕を組み直し、仕事部屋を見回した。
「……なるほどな。だが、肝心の犯行現場も犯人も分からんままだ。可能性を挙げるだけなら、いくらでもできるぞ」
「おっしゃるとおりです。ですから、もう少し条件を絞ってみましょう」
フォールは仕事机の貸付台帳へ目を向けた。
「サムさんは、お金を貸していた方々と、この部屋で面談されていたそうですね」
「ああ。使用人の話では、借金の相談に来た者はほぼ全員ここに通されていたそうだ」
「では、その方々は、この部屋を訪れたことがあるわけです」
「……それがどうした?」
「転移魔道具で行き先を指定するには、使用者自身がその場所を訪れたことがある必要がありますね」
レードスは台帳へ視線を落とした。
「……なるほど。ここを訪れたことがある者なら、転移先に指定できるというわけか」
「ええ。もちろん、転移魔道具を使用できることが前提ですが」
コメリアも台帳を覗き込んだ。
「じゃあ、借金の相談に来た人の中に、サムさんをここへ転移させられる人がいるかもしれないのね」
「そういうことです」
フォールは頷くと、今度はレードスへ向き直った。
「ところで、転移魔道具の所有者を調べた際、運送会社の名前も挙がっていましたね?」
「ああ。ヴィクター・マクファデンの会社だ」
ヴィクターはサムから金を借りていた人物の一人で、運送会社を経営している男だ。警察の調査では、事件の時間帯に会社にいたことが確認されている。
「ヴィクターさんには、会社にいたという証言があるんですよね?」
「ああ。屋敷までの距離を考えれば、あの時間に犯行を行うのは難しい。そう判断していたんだが……」
レードスは言葉を止め、フォールを見た。
「……お前は、サムがヴィクターの会社へ行ったと考えているのか?」
「ええ。サムさんとヴィクターさんの間には貸付金を巡る問題がありましたし、会社には転移魔道具もあります」
「だが、サムが実際にそこへ行った証拠はないぞ」
「ええ。そこは確認が必要です。それに、ヴィクターさんが以前この仕事部屋を訪れていたかどうかも、個別に確かめなければなりません」
フォールは一度言葉を切った。
「ただ、仮にその条件を満たしていたとすれば、ヴィクターさんは会社にいながら、サムさんだけをこの部屋へ転移させることができます」
レードスの表情が変わった。
「……そうか。会社にいたという証言は、屋敷へ来ていないことの裏付けにはなっても、会社でサムを刺していないことの証明にはならんのか」
「ええ。犯行現場が会社だったとすれば、むしろそこにいたこと自体は不自然ではありませんね」
レードスは資料を開き直し、しばらく黙って考えていた。
「仮に、サムがヴィクターの会社へ行ったとする。そこで揉め事になり、刺された。ヴィクターが会社の転移魔道具を使って、サムをこの部屋へ送った……」
「そう考えれば、少なくとも密室の問題は説明できます」
「……確かにな」
俺も頭の中で、フォールの話をたどってみた。
サムが自分の転移魔道具で屋敷の外へ出る。ヴィクターの会社で刺され、会社の転移魔道具によって仕事部屋へ戻される。犯人は屋敷に来ていないのだから、誰にも姿を見られず、密室から逃げる必要もない。
警察が説明していた犯行方法とは、転移した人物も順番も違っていた。
「でも、パパ。どうしてわざわざサムさんを自分の仕事部屋へ戻したの?」
コメリアの質問に、フォールは少し考えてから答えた。
「そこは、まだ分かりませんね。犯人が何を考えていたのかについては、本人に聞かなければ確かなことは言えませんから」
「……そうよね」
コメリアは床の血痕を見つめ、口を閉じた。
レードスは資料を閉じると、フォールに向き直った。
「一つ確認しておく。お前は、ヴィクターが犯人だと言い切れるのか?」
「いいえ。現時点では、そこまでは言えません」
「……何?」
「私がお話ししたのは、こういう犯行方法も成立する、ということです。サムさんが実際にヴィクターさんの会社を訪れたのか、そこで刺されたのか、会社の転移魔道具が使用されたのか。どれも、まだ確認できていませんから」
レードスは大きく息を吐いた。
「……つまり、また調べろということか」
「ええ。ですが、今度は調べるべきことが、かなりはっきりしていると思いますよ」
「言ってみろ」
「まず、事件当日にサムさんがどこへ向かったのか。特に、ヴィクターさんの会社を訪れていなかったか確認することです」
レードスは頷き、資料に目を落とした。
「次に、ヴィクターさんの会社です。もしそこが実際の犯行現場だったなら、何か痕跡が残っているかもしれません」
「……そうだな」
「そして、会社所有の転移魔道具についても、改めて確認していただきたいんです。サムさんをこの部屋へ転移させるために使用された可能性がありますから」
フォールはそこで言葉を切った。
「もちろん、調べた結果、何も出てこないかもしれません。その場合は、別の可能性を考える必要があるでしょう。……でもまあ、とりあえずここから先は警察のお仕事ですね」
「……お前な。言うだけ言って、あとは丸投げか?」
「おや、そんなつもりはありませんよ。私は警察官ではありませんからねえ」
レードスは何か言い返しかけたが、結局、大きく息を吐いた。
「……まったく。分かったよ。そこまで言うなら、こっちで調べてみる」
レードスは資料をまとめると、仕事机から離れた。まだ納得しきってはいない様子だったが、その表情からは先ほどまでの苛立ちが薄れていた。
「ただし、何も出なかったら、また話を聞かせてもらうぞ」
「ええ。いつでもどうぞ」
「……本当に、調子のいい男だな」
フォールは穏やかに微笑むばかりで、言い返そうともしない。
コメリアは呆れたように父親を見つめていたが、俺にはレードスの気持ちが少し分かる気がした。
……この人、絶対わざとやってるよな。
レードスが部下への指示を始めたところで、俺たちも屋敷を後にすることにした。
「さて、私たちも事務所へ戻りましょうか」
「そうね。さすがに今日は疲れちゃったわ」
コメリアが小さく肩を回す。その隣で、フォールは何事もなかったかのように歩き出した。
……あれだけ警部を振り回しておいて、本人はずいぶん気楽なものだ。
屋敷の門を抜け、俺たちは事務所への帰路についた。
フォールの推理が正しかったのかどうか。あとは警察からの報告を待つだけだ。




