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異世界に転移したので、相棒のAIと謎解きを始めます~AI探偵の異世界迷推理~  作者: 土瓶蒸しの謎
第七幕

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逃げ道のない選択


     ◇ ◇ ◇


 すべてが狂い始めたのは、いつの頃からだっただろうか。


 最初は、ただ運が悪いのだと思っていた。


 長年付き合いのあった取引先から、突然契約を打ち切られた。理由を尋ねても曖昧な返事しか戻ってこず、別の相手を探しても、なぜか同じようなことが続いた。ようやくまとまりかけた話が直前になって白紙に戻されることも、一度や二度ではなかった。


 商売をしていれば、思いどおりにいかないこともある。それまでも苦しい時期は何度かあったが、そのたびに何とか乗り越えてきた。今回も、しばらく辛抱すれば状況は変わるはずだった。


 しかし、いくら手を尽くしても仕事は戻らず、収入が減る一方で支払いだけが積み重なっていった。長く一緒に働いてきた者たちも、一人、また一人と去っていく。引き留める言葉はあっても、彼らの生活を保証できるだけの金はなかった。


 そんなとき、手を差し伸べてきた人物がいた。


「ずいぶん困っているそうじゃないか」


 男は事情を聞くと、いかにも気の毒そうな顔をした。


「商売というのは難しいものだ。真面目に働いているだけでは、どうにもならないこともある。まあ、私で力になれることがあれば相談に乗ろうじゃないか」


 その言葉が、どれほどありがたかったことか。


 男は資金を貸してくれるという。提示された条件は決して軽いものではなかったが、ほかに頼れる相手もいなかった。借りた金で当面の支払いを済ませ、何とか持ちこたえることができたときには、これでようやく立て直せると信じていた。


 だが、状況は変わらなかった。


 仕事が戻らなければ、借りた金も減っていく。返済の期限が近づくたびに男のもとへ頭を下げ、ときには新たな借金を重ねることになった。


「困ったときはお互い様だ。私も鬼ではないからね」


 そう言って笑う男に、何度礼を述べただろう。返済の見通しが立たないことを申し訳なく思い、次こそは約束を守ろうと、残された仕事に必死で取り組んだ。


 ところが、借金が膨らむにつれ、男の態度は少しずつ変わっていった。


「君も、そろそろ現実を見た方がいい。返せる見込みもないのに、いつまでも待ってくれと言われても困るんだよ」


「……もう少しだけ、時間をいただけませんか。必ず何とかしますので」


「何とか、か。君はいつもそう言うね。私だって慈善事業をしているわけじゃないんだ。そろそろ、こちらの事情も考えてもらいたいものだよ」


 借りた金を返せていない以上、言い返すことはできなかった。それでも、何かがおかしいという思いは、日に日に強くなっていた。


 取引先が次々と離れていったことも、ようやく決まりかけた仕事が突然なくなったことも、今になって考えれば不自然なことばかりだった。


 そして、あるとき知ってしまった。


 自分を窮地に追い込んだ出来事の裏に、あの男が関わっていたことを。


 最初は信じられなかった。苦しいときに金を貸してくれた相手が、そもそも苦境を作り出した張本人だったなどと、どうして信じられるだろう。


 しかし、それまで不可解だった出来事を振り返るほど、男の親切が別のものに思えてきた。


 あの男は、困っている自分を助けたのではない。


 逃げ道を塞いでから、手を差し伸べてきたのだ。


     ◇ ◇ ◇


 その日も、男はいつもと変わらない調子だった。


「ずいぶん難しい顔をしているじゃないか」


 聞き覚えのある声に顔を向けると、男がこちらを見て笑っていた。


「それで、少しは状況が良くなったのかね?」


「……ご存じでしょう。何も変わっていません」


「おや、随分な言い方だね。私はただ、君のことを心配しているだけなんだが」


 以前と変わらない、人当たりのよい笑顔だった。かつてはその顔を見るだけで安心したものだが、今では男が何を言い出すのかと、身構えずにはいられない。


「まあ、いい。今日は借金の件で話があるんだ。いつまでも返済を待つわけにはいかないからね。そろそろ、きちんと決着をつけてもらいたい」


「返済については、もう少し時間をいただければ……」


「またそれかね?」


 男は呆れたように首を振った。


「もう少し待ってくれ、何とかする、必ず返す。君の言葉を信じて、私は何度待ってやったと思う? その結果がこれでは、さすがに私も困るんだよ」


 男の口ぶりは、こちらの無責任さを諭すようなものだった。だが、その言葉を聞きながら思い浮かんだのは、突然仕事を断ってきた取引先の顔だった。


「……それで、どうしろとおっしゃるんですか」


「なに、難しい話じゃない。君が今、必死になって守ろうとしているものを、私に譲ればいいんだよ」


 男は、まるで以前から決まっていたことを確認するように言った。


「このままでは、いずれ何もかも失うことになる。それなら、今のうちに手放した方がいい。借金のことも考えてやれるし、君だって少しは楽になるだろう?」


「……それだけは、できません」


「まだそんなことを言うのかね。困ったものだなあ。君のためを思って言っているというのに」


 男は小さくため息をついた。その態度に、これまで抑えてきた怒りが込み上げてきた。


「私のため……ですか」


「そうだとも。ほかに何があるというんだ?」


「だったら、教えてください。どうして、あんなことをしたんですか」


 男の笑みがわずかに薄れた。


「……何の話だね?」


「取引先との話が突然なくなったことも、何度も仕事を断られたことも……。あなたが関わっていたんでしょう?」


 男はすぐには答えなかった。しばらくこちらの顔を眺めたあと、何がおかしいのか、小さく笑った。


「ずいぶん面白いことを言うじゃないか。私が君の商売を邪魔したとでも?」


「違うんですか?」


「さあね。だが、仮にそうだったとして、それがどうしたというんだ?」


 あまりにも平然とした返答に、言葉を失った。


「商売というのは、綺麗事だけではやっていけないものだよ。君は少し、人が良すぎるんじゃないかね」


「……人が良すぎる?」


「そうとも。世の中には、利用する者と利用される者がいる。君はもう少し、物事を賢く考えた方がいい」


 男はそこで、諭すように声を和らげた。


「もっとも、今からでも遅くはない。私の提案を受け入れれば、これまでのことは水に流してやってもいいんだよ」


 何を水に流すというのだろう。


 失った仕事も、去っていった人々も、返せる当てのない借金も、すべてこちらの責任だと言いたいのか。


 男に助けられたと思っていた日々が、ひどく滑稽なものに感じられた。あのとき何度も頭を下げ、心から礼を言った相手が、今は目の前で同じ笑顔を浮かべている。


「……お断りします」


「何だって?」


「あなたには、何も渡しません」


 男の笑みが消えた。


「ほう……。随分と強気になったものだね。だが、君は少し自分の立場を勘違いしているんじゃないか?」


「勘違いなどしていません。借りた金は返します。ですが、それとこれとは別です」


「返す、返すと言いながら、今まで一体いくら返したというんだね? 君のような人間に、まだ選ぶ権利があると思っているのか?」


 男の声から、これまでの穏やかさが消え始めていた。


「いいかね。私がその気になれば、君など簡単に――」


 その先の言葉は、最後まで耳に入らなかった。


     ◇ ◇ ◇


 自分が何をしてしまったのか、理解するまでにどれほど時間が掛かったのだろう。


 あれほど腹立たしかった男の言葉も、必死になって言い返した自分の声も、今では遠い出来事のように感じられた。何度思い返しても、あのとき何をすればよかったのか、答えは見つからない。


 ただ一つ、取り返しのつかないことをしてしまったという事実だけが、頭から離れなかった。


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