事件の輪郭
レードス警部から一通りの説明を受けたフォールは、改めて室内を見回していた。床に広がる血痕、仕事机、施錠されていた扉。すでに警察が調べている場所にも、何かを確かめるように目を向けている。
「レードス、もう少し現場を詳しく見せてもらっても構いませんか?」
「ああ。そのために来てもらったんだ。ただし、まだ調べているものもある。なるべく触れずに確認してくれ」
「承知しました」
フォールは血痕の近くへ歩いていくと、身をかがめて床を調べ始めた。コメリアも少し離れたところから様子を覗き込んでいたが、俺はその場に立ったまま二人を眺めていた。
遺体はすでに運び出されている。それでも、ここで人が殺されたのだと思うと、血痕の近くまで行く気にはなれなかった。
「レードス。遺体は、この血痕のある場所で発見されたんですね?」
「ああ。胸を刺され、床に倒れていたそうだ。傷は心臓に達していた。少なくとも、この部屋で相当な出血があったことは間違いない」
「……そうですか」
フォールは床の様子をしばらく確かめたあと、立ち上がって仕事机へ向かった。机には何枚もの書類が広げられており、書棚に整理されたものとは違って、何かを調べていた途中のようにも見える。
「レードス、こちらの書類は?」
「ああ、被害者が管理していた貸付金の記録らしい。誰にいくら貸しているかをまとめたものだそうだ」
フォールが書類に触れないよう注意しながら名前と金額を読み始めたので、俺も横から覗いてみた。思っていた以上に多くの名前が並んでいる。
「随分と多くの方にお金を貸していたんですね」
「貿易商としての仕事以外にも、金の貸し付けをしていたらしい。詳しい取引内容までは、まだ調べきれていないがな」
「あれ? アントニー・フォルスターって、今日ここに来ていた人ですよね?」
見覚えのある名前に思わず声を上げると、レードスが書類を覗き込んだ。
「ああ。商売上の付き合いだけでなく、金の貸し借りもあったようだ」
「へえ……。商売相手って聞いてましたけど、そういう関係でもあったんですね」
レードスは頷いただけで、それ以上は何も言わなかった。名前が載っているからといって、事件に関係しているとは限らないのだろう。
その隣で、フォールが別の名前を読み上げた。
「……ヴィクター・マクファデン。この方は運送会社の社長のようですが、何か分かっていますか?」
「ああ、よく気付いたな。貸付先を転移魔道具の所有記録と照合したところ、こいつの会社が該当した。だが、事件が起きたと思われる時間帯は会社にいたそうだ。従業員からも証言が取れている」
「なるほど。そうでしたか」
フォールは軽く頷くと、広げられた書類全体に目を向けた。
「これだけ広げてあるところを見ると、被害者は亡くなる前に、この記録を確認していたのかもしれませんね」
「その可能性はある。ただ、いつからこの状態だったのかまでは分からん」
「ええ。そこは気をつけないといけませんね」
フォールは扉の周囲を確かめたあと、レードスに声をかけた。
「それでレードス、例の転移魔道具を見せていただけますか?」
「ああ、こちらだ」
案内された先には、被害者が所有していたという転移魔道具が置かれていた。
警部の説明によれば、事件が発覚した時には魔力が空になっていたという。だが、そもそも俺は転移魔道具の使い方を詳しく知らない。これが事件にどう関わっているのか、今ひとつ実感が湧かなかった。
そんなことを考えていると、手元のスマートフォンからチャミーの声がした。
『都尊さん。転移魔道具について、確認していただきたいことがあります』
「ん? 何だ?」
『先ほどの仮説を検討するため、転移魔道具の使用条件を確認してください。現時点では、どのような操作が可能なのか把握できていません』
「ああ、なるほど。そういえば、詳しい使い方までは聞いてなかったな」
俺は魔道具を眺めていたレードスに声をかけた。
「警部、ちょっといいですか? この転移魔道具って、具体的にはどうやって使うんでしょう?」
すると、レードスが答えるより先に、コメリアが意外そうな顔で振り返った。
「クニタカ、転移魔道具の使い方を知らないの?」
「いや、転移できるのは知ってるけどさ。使ったことなんてないし、詳しいことまでは……」
「ああ、そっか。クニタカはそうよね。じゃあ、私が説明するわ」
コメリアは魔道具を指し示しながら、少し声を落として話し始めた。
「まず、転移魔道具は魔力を充填してから使うの。それで、転移先に指定できるのは、使う人が実際に行ったことのある場所だけ。知らない場所へは転移できないわ」
「じゃあ、地図で場所が分かってても駄目なのか?」
「ええ。場所を知っているだけじゃ駄目なの。それと、誰でも自由に発動できるわけじゃないわ。魔道具を使えるのは、魔力を充填した本人だけ。別の人が使いたいなら、一度リセットして、自分で充填し直す必要があるの」
「へえ……。思ってたより制限があるんだな」
そう言いながら、俺は目の前の魔道具を見た。充填には時間がかかるので、普通はあらかじめ魔力を蓄えておくものだと警部は話していた。そうなると、誰が充填していたのかも重要になりそうだ。
「チャミー、今の説明でどうだ?」
『転移魔道具の使用条件は把握できました。魔力の充填に必要な時間を考慮すると、この魔道具を発動したのは被害者本人である可能性が高いと考えられます』
「やっぱり、警部の推理は当たってるってことか?」
『いいえ。被害者が魔道具を発動したとしても、誰をどこへ転移させたのかまでは分かりません』
「ああ、そっか……。使った人が分かっても、それだけじゃ駄目なのか」
俺がチャミーの説明を聞いている間も、フォールは魔道具の周囲を静かに調べていた。やがて顔を上げると、レードスに尋ねた。
「レードス。この魔道具は、事件の前からここに置かれていたのでしょうか?」
「屋敷の者によれば、そうらしい。少なくとも、事件当日に持ち出されたという話は出ていない」
「では、屋敷にあるもう一つの転移魔道具については?」
「そちらも確認を進めているところだ」
「分かりました。ありがとうございます」
フォールは小さく頷き、もう一度室内を見回した。俺もその様子を眺めていたが、ここに来てから随分と多くの話を聞いた気がする。魔道具の使い方は分かったものの、事件そのものについては、まだ分からないことばかりだった。
「パパ、どう? 何か分かりそう?」
コメリアが尋ねると、フォールは娘の方を向き、少し考えてから答えた。
「そうだね、メリア。気になることはいくつもあるけれど、今の段階では判断できないことも多いかな」
「そっか……。やっぱり、もう少し調べないと駄目ね」
「ええ。現場で分かることには限りがありますからね」
フォールはレードスに向き直った。
「レードス。被害者のご家族や使用人の方々には、まだお話を伺えますか?」
「ああ。屋敷には残ってもらっている。必要なら話を聞けるようにしてある」
「それは助かります。では、まずはレードスから、被害者を発見した方々の話を聞かせてもらいましょうか」
レードスが頷き、俺たちは部屋を出ることになった。
扉を抜けて廊下へ出ると、俺は小さく息を吐いた。遺体はなかったとはいえ、人が殺された部屋に長くいるのは、やっぱり落ち着かない。
先を歩くフォールとコメリアの背中を見ながら、俺もあとに続いた。




