ジョーカーが笑ってる
探偵事務所で助手として働き始めてから、俺もずいぶん仕事に慣れてきた。
最初の頃は書類の整理や依頼の記録をまとめるだけでも苦労していたけど、最近ではフォールの調査に同行することも増えている。
もっとも、探偵事務所に持ち込まれる依頼が、いつも奇妙な事件ばかりというわけではない。迷子になったペットの捜索に、夫婦間の浮気調査、婚約相手の身辺調査や家族から頼まれた素行調査など、むしろ地道な仕事の方が多いくらいだ。
どうやら人が抱える悩みや心配事というのは、世界が違っても大して変わらないらしい。それにしても、異世界に来てまで浮気調査をすることになるとは思わなかったなあ……。
そんなわけで、今日もいくつかの仕事を終え、事務所に戻ってきたところだった。
「クニタカ君、今日の仕事はこれで終わりだよ。お疲れさま」
「はい! お疲れさまでした!」
フォールが机の上の書類を片付けながら声をかけてくれた。まだ日が暮れるには早い時間だし、急いで帰る理由もない。せっかくだから少しゆっくりしていこうかと椅子に腰を下ろしたところで、コメリアがこちらへやってきた。
「ねえ、クニタカ。仕事も終わったんだし、何かして遊ばない?」
「遊ぶって、何するんだ?」
「それは……これから考えるのよ!」
どうやら何も決めずに誘ってきたらしい。まあ、コメリアらしいと言えばコメリアらしいけど、俺も特に予定があるわけじゃない。何か手頃な遊びはなかったかと考えているうちに、先日買ったものを思い出した。
「あ、そうだ。ちょっと待ってろ」
荷物から小さな箱を取り出すと、コメリアの目がぱっと輝いた。
「あっ! この前買ったトランプじゃない! やっと遊ぶのね!」
「ああ。せっかく買ったんだしな」
買ったときに一緒に遊ぼうと約束していたこともあって、コメリアはさっそく椅子を引き寄せ、テーブルの前に陣取った。箱を開けるより早く、何をして遊ぶのかと期待に満ちた目を向けてくる。
さて、どうするかな。せっかくなら、こっちではあまり知られていない遊びを教えてみたい。
「コメリアは普段、トランプで何して遊ぶんだ?」
「ポーカーとか、いろいろよ。クニタカの世界にもあるんでしょ?」
「ああ。ブラックジャックなんかもよく知られてるな」
「それも知ってるわよ! だから、今日はあんたの世界の遊びを教えてほしいの!」
ポーカーもブラックジャックもあるとなると、こちらのカードゲームは思った以上に日本と共通しているらしい。もっとも、細かいルールまで同じとは限らないし、逆に俺の知らない遊び方だってあるかもしれない。
それなら、まずは子供の頃によく遊んだものから試してみるか。
「じゃあ、ババ抜きなんてどうだ?」
「ババ抜き? 何よ、その変な名前」
「名前はともかく、簡単で面白いぞ。同じ数字のカードを二枚ずつ揃えて捨てていって、最後にジョーカーを持ってた人が負けになるんだ」
カードを引く順番や細かなルールも説明すると、コメリアは面白そうだと身を乗り出した。どうやら名前の奇妙さよりも、勝負ができることの方に興味が移ったらしい。
ただ、ババ抜きは二人でも遊べるけど、もう少し人数がいた方が面白い。俺がフォールに目を向けると、こちらの話を聞いていたらしく、片付け終えた書類を机の端に寄せて笑った。
「ははは! それなら私も混ぜてもらおうかな。仕事も終わったことだしね」
「やった! パパも一緒なら三人ね!」
コメリアは嬉しそうに椅子を一つ引き寄せた。フォールも上着を整えて席に着く。
俺はトランプの箱を開けようとして、ふとチャミーのことを思い出した。
「……そうだ。チャミーもやる?」
『私はカードを直接操作できません』
「そこは俺が手伝えばいいんじゃないか?」
『その場合、都尊さんが私の手札を把握することになります。ゲームの公平性を維持できません』
確かに、俺がチャミーのカードを持つなら、当然その内容も分かってしまう。知らないふりをすることはできても、知っているカードを頭から追い出すのは無理だろう。
『今回は参加を見送ります。カメラモードを起動していただければ、観戦は可能です』
「ああ、そうか。じゃあ、それで」
「えーっ! チャミーも一緒にやればいいのに!」
不満そうなコメリアを横目に、俺はスマートフォンのカメラモードを起動し、テーブルの様子が映るように向きを調整した。
『映像を確認しました。観戦可能です』
「よし、じゃあ始めるか!」
待ちきれない様子のコメリアに急かされながら、俺はカードをよく混ぜて三人に配った。
まずは手札から同じ数字の組を取り除く。コメリアはカードを一枚ずつ確かめ、揃ったものを嬉しそうにテーブルへ置いていった。フォールも説明を聞きながら手際よくカードを整理している。
「これでいいのよね?」
「ああ。じゃあ、俺からコメリアのカードを引くぞ」
「ふふん! どれにする?」
コメリアが手札を扇形に広げ、得意げに差し出してくる。俺が適当に一枚を選ぶと、ちょうど同じ数字が揃ったので、その二枚をテーブルへ置いた。
「ええっ!? もう揃ったの!?」
「いや、そういうゲームだからな?」
コメリアは少し悔しそうに口を尖らせたものの、すぐにフォールの方へ向き直った。
それからは順番にカードを引き合い、揃った組を捨てていく。コメリアは組が揃うたびに喜び、揃わなければ悔しがる。一方のフォールは何が起きても穏やかな笑みを浮かべたままで、二人の反応は見事なまでに対照的だった。
……そして、どうやらコメリアは、こういう駆け引きがあまり得意ではないらしい。
「ふふふ……」
俺がカードを引く番になると、コメリアが妙に楽しそうに笑い始めた。
何だ、その自信満々な顔は。ジョーカーを持っているから引かせようとしているのか、それとも何か別のことを考えているのか。どちらにしても、さっきから妙にこちらを見てくるのが気になる。
「クニタカ! 早く引きなさいよ!」
「ああ、分かってるって」
俺が一枚のカードに指を伸ばすと、コメリアの口元がぴくりと動いた。試しに隣のカードへ指を移すと、今度は少し残念そうな顔になり、もう一度最初のカードへ戻してみれば、笑いを堪えるように口を結んでいる。
……分かりやすすぎるだろ!
俺は迷わず別のカードを引いた。
「あーっ! そっちじゃない!」
コメリアが声を上げる。どうやら狙いどおり、引いてほしくないカードを避けられたらしい。そう思いながら引いたカードを確認して、俺は固まった。
……ジョーカーじゃねえか!
「あははっ! 引っかかった!」
「お前、さっきの顔、わざとだったのかよ!」
「ふふん! さあ、どうかしらね!」
コメリアは得意げに笑っている。さっきまでの反応が本当に演技だったのか、それともたまたま上手くいっただけなのか、何とも判断しづらい。
「ははは! メリアは楽しそうだねえ」
「だって、クニタカが勝手に引っかかったんだもの!」
「くそっ……」
フォールまで楽しそうに笑っているし、どうやら完全に俺がからかわれる側になってしまったらしい。
その後も勝負は続いたけど、ジョーカーだけはなかなか俺の手元から離れてくれなかった。フォールが俺のカードを引くときも、なぜかジョーカーだけは見事に避けていく。
コメリアはそんな俺の様子が面白いらしく、カードを引かれるたびににやにやしていたけど、こちらも負けじと表情を隠してみせた。……まあ、実際に隠せているかどうかは別だけど。
そんな調子で遊んでいるうちに、手札はすっかり少なくなっていた。
「おや、これで上がりかな?」
フォールが俺の手札から一枚を引き、自分の持っていたカードと組にしてテーブルへ置いた。これでフォールの手札はなくなったらしい。
「あっ! パパ、ずるい!」
「ははは! ずるいことはしていないよ。普通にカードを引いただけさ」
フォールは楽しそうに笑いながら、残った俺たちの勝負を眺めている。
これで残るは俺とコメリアの二人。俺の手札は三枚、コメリアは二枚。俺の手元には、例のジョーカーがまだ残っていた。
「ふふん! ここからが本番ね、クニタカ!」
「いや、もうほとんど終わりだろ……」
俺はコメリアが差し出した二枚から一枚を引き、自分の手札と組にしてテーブルへ置いた。残った手札はジョーカーと数字のカードが一枚ずつで、コメリアの手元にも数字のカードが一枚だけ残っている。
「じゃあ、次は私ね!」
コメリアが勢いよく身を乗り出してきた。
「ふふん! どっちを引こうかしら?」
俺が持っているのは、ジョーカーと普通のカードが一枚ずつ。コメリアが普通のカードを引けば、その場でペアが揃って上がり。逆にジョーカーを引けば、今度はコメリアが二枚持つことになる。
つまり、ここが勝負どころだ。
「ほら、好きな方を引けよ」
俺は二枚のカードを裏向きにして差し出したけど、コメリアはすぐには手を伸ばさず、なぜか俺の顔をじっと見つめている。
「……何だよ?」
「さっき、クニタカは私の顔を見てカードを選んだでしょ?」
「ああ、まあ……そうだけど」
「だから、今度は私がクニタカの顔を見て選ぶの!」
……なるほど、そう来たか。とはいえ、こっちだって簡単に読まれるつもりはない。俺はできるだけ平静を装い、二枚のカードを持ち直した。
「ふふん……」
コメリアがゆっくりと右側のカードに指を伸ばす。
……おっと、そっちはジョーカーだ。
俺は慌てて表情を変えないようにしたけど、コメリアはカードを引こうとせず、指先を近づけたままじっとこちらを見ている。
「……何だよ。早く引けって」
「別にぃ? どっちにしようかなって考えてるだけよ」
そう言いながら、コメリアは指を左側のカードへ移した。
今度は普通のカードだ。……いや、待て。そっちを引かれたら負ける!
そう思った瞬間、コメリアの口元がにやりと動いた。
「あっ! 今、顔が変わった!」
「えっ!?」
「ふふん! じゃあ、こっち!」
コメリアは迷わず左側のカードを引き抜いた。その表を確認した途端、ぱっと顔を輝かせる。
「あっ、揃った!」
コメリアは自分の手札と合わせて二枚のカードをテーブルへ置き、空になった両手を俺に見せつけた。
「やったー! 私の勝ち!」
……やられた。
俺の手元には、最後の一枚が残っている。ジョーカーだ。
「ふふん! クニタカの負けね! あれだけ偉そうなこと言ってたのに!」
「いやあ……まさか最後まで残るとは」
コメリアは椅子から立ち上がる勢いで喜び、勝ち誇った顔をこちらへ向けてくる。フォールも楽しそうに笑っていた。
『都尊さん。今回の敗者は都尊さんです』
「いや、それは分かってるって……。チャミー、見てたなら何か助言してくれてもよかったんじゃない?」
『私は観戦していただけです。また、他の参加者の手札は確認できません』
「まあ、そうなんだけどさ……」
『ただし、最後にコメリアさんがカードを選択する際、都尊さんの表情が変化していたことは確認できます』
「……え?」
思わずコメリアを見ると、彼女は待ってましたとばかりに胸を張った。
「そうよ! 右のカードに指を伸ばしたときは、クニタカ、なんだか緊張してたもの! それで左に移したら、今度は焦った顔になったんだから!」
「えっ!? そんなに顔に出てた?」
「出てたわよ! だから左のカードにしたの!」
自分では何も顔に出していないつもりだったんだけどなあ。
「ふふん! クニタカだって、すっごく分かりやすかったんだから! それに、私が途中から変な顔してたのも、わざとだったのよ!」
「えっ、あれわざとだったの!?」
「当たり前でしょ!」
……いや、絶対途中までは素だっただろ。
そう言い返そうとしたけど、また面倒なことになりそうなのでやめておいた。
フォールはそんな俺たちのやり取りを眺めながら、テーブルに散らばったカードを集め始めた。
「ははは! なかなか面白い遊びだね。もう一回やってみようか」
「もちろん! 今度も私が勝つんだから!」
「いや、次は俺が勝つからな?」
俺も負けっぱなしというのは悔しいし、もう一回くらいなら付き合ってもいいだろう。カードを集めて混ぜ直していると、コメリアがまた身を乗り出してきた。
「ねえ、クニタカ! ババ抜きが終わったら、次は違うゲームも教えて!」
「えっ、まだやるの!?」
「もちろんよ! せっかく買ったんだから、いっぱい遊ばなきゃもったいないじゃない!」
フォールも笑いながら頷いている。どうやら、しばらく帰れそうにない。
……次こそは、絶対に顔に出さないようにしよう。
そう決意してカードを混ぜ始めた俺を見て、コメリアがまた得意げに笑った。
「ふふん! クニタカ、もう負けそうな顔してるわよ!」
「まだ配ってもいないだろ!」




