割れたキング
「ああ、間違いないな。フォールさんだ」
コメリアの指さす方を見ると、少し離れた店の前にフォールの姿があった。隣にいる人物と何やら話し込んでいるようで、こちらにはまだ気づいていないらしい。
「パパ! こんなところで何してるの?」
コメリアが声をかけながら駆け寄ると、フォールはこちらを振り返った。
「おや、メリア。それにクニタカ君も。二人とも買い物かい?」
「そうよ! 今日はクニタカの初めてのお給料で、記念になるものを探してるの!」
「ほう、それはいいね。何か見つかったかい?」
「いや、それがまだ……」
「でも、お菓子は買ったわよ!」
「ははは! それなら十分記念になったじゃないか!」
フォールは楽しそうに笑った。確かに、初めての給料でコメリアと一緒に菓子を食べたことは、あとになっても覚えていそうだ。そう考えると、あながち間違いでもないのかもしれない。
「それよりパパは? こんなところで何してるの?」
「ああ、ちょっと相談を受けてね。今からこの店を確認するところなんだよ」
フォールの話によると、このあたりを散歩していたところ、店の前で何やら焦った様子の従業員を見かけ、気になって声をかけたらしい。話を聞いてみると、店主がいなくなったうえに店内の商品まで散乱していて、どうすればいいのか分からず困っていたという。
「いなくなったって……行方不明って事?」
「さて、どうなんだろうね。ずいぶん取り乱していて、詳しい事情を聞こうにも、なかなか話がまとまらなかったんだよ。それなら直接見てみた方が早いと思ってね」
フォールはそう言って、隣に立っている従業員へ目を向けた。先ほどから落ち着かない様子で店の入口を気にしていたその人物は、俺たちの視線に気づくと困ったように頭を下げた。
「店主さんは、いつからいないんですか?」
「それが……私にも、はっきりとは分からなくて……。店を開けようと思ったら店主が見当たらなくて、中を確認したら商品まで散らばっていたんです……」
従業員は不安そうに店の入口を見つめた。店主が見当たらないだけなら、単に出かけている可能性もあるけど、店内まで荒れていたとなれば話は別だ。慌てて相談に来たのも無理はないかもしれない。
「まあまあ。まずは中を確認してみましょう。お話はそれからでも遅くありませんよ」
フォールが穏やかに促すと、従業員は小さく頷き、鍵を取り出した。
「ねえ、パパ。私たちも一緒に見ていい?」
「構わないよ。ただし、店のものには勝手に触らないようにね」
「もう! そんなこと分かってるわよ!」
コメリアは少し不満そうに頬を膨らませたものの、すぐに店の入口へ向き直った。
……いや、そこは念を押されても仕方ないと思うぞ。
◇
従業員が鍵を開けて店内に入ると、真っ先に目についたのは床に散らばっている商品だった。
棚にはさまざまな品物が並んでいるものの、一部は床に落ち、別の商品に紛れるように置かれているものもある。ただ、店全体がひどく荒らされているわけではなく、棚が倒れていたり、商品が片っ端から壊されていたりする様子もない。
「……何よ、これ」
コメリアが足元の商品を避けながら、店内を見回した。
「昨日までは、ちゃんと片付いていたんですよね?」
「は、はい……。こんな状態になっているなんて……。店主もいませんし、いったい何があったのか……」
従業員は床に落ちた商品を見つめ、不安そうに両手を握りしめていた。
俺も周囲を見回してみる。誰かが何かを探したようにも見えるけど、それにしては荒らされ方が中途半端な気がする。もちろん、普段の店内を知らない俺には、どこまでが異常なのか判断できないんだけど。
フォールは店の奥まで視線を巡らせると、足元に落ちていた品物の前でしゃがみ込んだ。
「ふむ……クニタカ君はどう思う?」
「そうですね……。誰かが何かを探した、とかでしょうか?」
「なるほど。そういう可能性もあるね」
フォールはそれ以上何も言わず、別の棚へと視線を移した。
そのとき、ポケットの中でスマートフォンが振動した。
……ん?
取り出して画面を確認すると、そこにはすっかり見慣れてしまった文字が表示されていた。
『ゲームスタート』
「……またかよ」
『都尊さん。新しいゲームの開始通知です』
「ああ、見たよ……」
思わずため息が漏れる。店主の不在に、散らばった商品。いかにも何かありそうな状況だけど、だからといって今回のゲームと関係があるとは限らない。
「クニタカ? どうしたの?」
「いや、ゲームが始まったみたいだ」
「えっ!? ここで?」
コメリアは驚いたように店内を見回したあと、俺の方へ身を乗り出してきた。
「じゃあ、今回のゲームって、このお店に関係あるの!?」
「さあ? そもそも、何のゲームが始まったのかも分からないしなあ……」
そのやり取りを聞いていたフォールも、興味深そうにこちらへ歩み寄ってきた。
「またゲームかい? 今回も何か面白い謎が待っているのかもしれないね」
「いや、面白いかどうかは分かりませんけど……」
「ははは! それもそうだね。まずは目の前のことから調べていこうか」
相変わらず楽しそうだなあ、この人は。
スマートフォンをポケットに戻すと、フォールはすでに従業員へ話を聞き始めていた。俺もそちらへ近づき、二人の話に耳を傾ける。
◇
従業員に改めて事情を確認したものの、先ほど聞いた話以外に新しい情報は得られなかった。
フォールは話を聞き終えると、もう一度店内を見渡した。
「何かなくなっているものはありませんか? 念のため、商品を確認していただけますか?」
「は、はい! すぐに!」
従業員が棚の商品を確認している間、俺たちも店内を見て回ることにした。コメリアは棚の間を覗き込み、フォールは床に落ちた商品と棚に残っているものを見比べている。
「ねえ、クニタカ。これって泥棒が入ったのかしら?」
「どうだろうな。まだ何か盗まれたって決まったわけじゃないし」
「でも、こんなふうに商品が落ちてるのよ? 絶対何かあったに決まってるじゃない!」
「そりゃ、何もなかったとは思わないけどさ……」
コメリアの言いたいことも分かる。とはいえ、泥棒が入ったにしては、商品が残りすぎているような気もするんだよなあ。
『都尊さん。商品の散乱と店主の不在に関連があるかどうかも、現時点では不明です』
「ああ、そうだな……」
しばらくして、商品を確認し終えた従業員が戻ってきた。
「あの……一つだけ、見当たらないものがありまして……」
「ほう。何でしょう?」
「チェスセットです。盤と駒が一式になっている商品なんですが、それだけが見当たらないんです」
「チェスセット?」
思わず聞き返してしまった。こっちの世界にもチェスがあるのか。いや、これまでにも地球と似たものは見かけているし、今さら驚くようなことでもないのかもしれないけど。
「何よ、クニタカ。チェスがそんなに珍しいの?」
「いや、俺のいた世界にもあったからさ。ちょっと意外だっただけだよ」
「ふーん。そうなんだ」
コメリアはそれ以上気にする様子もなく、フォールの方へ顔を向けた。
フォールは従業員に、ほかに不足している商品がないことを確認すると、店主がチェスセットを持ち出した可能性について尋ねた。しかし、従業員にも心当たりはないらしい。
「そうですか。では、店主の部屋も確認してみましょう」
従業員の案内で、俺たちは店の奥へと向かった。
◇
店主の部屋に入ると、フォールが室内を見回した。俺もその後ろから中を覗き込んだところで、あるものが目に留まった。
「あれ? あそこにあるのって……」
部屋の中にチェス盤が置かれている。
「あっ! チェスセットじゃない!」
コメリアが声を上げると、従業員も驚いた様子でそちらへ近づこうとした。
「おっと、少し待ってください。そのままにしておきましょう」
フォールに制止され、従業員は慌てて足を止めた。
俺もチェス盤を覗き込んでみたのだが、そこに置かれている駒を見て思わず眉をひそめた。
「……何だ、これ?」
盤の上には、真っ二つに割れた木製のキングが倒れていた。割れた部分の近くには、血のようにも見える赤黒い染みがうっすらと付いている。
さらに妙なのは、ほかの駒の並び方だった。白と黒の駒が、盤の向こう側にきれいに整列している。本来なら盤上で対局しているはずの駒たちが、まるで片付けられたかのように盤の外へ並べられていた。
ただ、よく見ると黒のキングだけが見当たらない。
「キングが壊れてるじゃない! どうしてこれだけ?」
コメリアも不思議そうに覗き込んでいる。
フォールはチェス盤に顔を近づけ、割れたキングと整列した駒を順番に眺めていた。
「これ、誰かがチェスをしていたわけじゃないですよね?」
「そうだね。少なくとも、普通の対局途中には見えないな」
「店主さんが、こんなふうに置いたんでしょうか?」
「さて、どうだろうね。店主がここにいない以上、誰が並べたのかも分からないからね」
フォールはそう言うと、もう一度チェス盤へ目を向けた。
俺も改めて盤面を眺めてみる。
真っ二つに割れたキング。盤の外に整列した白と黒の駒。そして、姿の見えない店主。
……ん?
ちょっと待てよ。
これって、もしかして……。
「えっ、これってまさか……ダイイングメッセージ……?」




