解読の果てに
振り返った先には、二人の老人が立っていた。
一人は白髪をきれいに整えた、いかにも人のよさそうなおじいさん。穏やかな笑みを浮かべながら、こちらへ向かってゆっくりと拍手を送っている。
そして、その隣にいたのは……。
「あれ? 農園のおじいちゃんじゃない!」
「おお、よく頑張ったのう!」
コメリアの声に、見覚えのある老人が嬉しそうに手を振った。以前、怪盗との勝負で世話になった、あの農園のおじいちゃんだ。
「何でここにいるの!?」
「何でと言われてものう。ちょいと様子を見に来ただけじゃよ」
「ははは。お久しぶりですねえ」
フォールが二人に向かって軽く頭を下げると、拍手をしていた老人が満足そうに頷いた。
「ひょっひょっひょ! いやはや、お見事お見事! まさか最後まで解いてしまうとは、わしも驚いたわい」
「……えっと、失礼ですけど、どちら様ですか?」
「おお、これは失礼した。わしはここの牧場長じゃよ。まあ、気楽に呼んでおくれ」
なるほど。この人が例の牧場長か。
……まあ、農園のおじいちゃんだって、初めて会ったときは普通の好々爺に見えたんだけどな。
「ひょっひょっひょ! それにしても、馬の絵までよく解いたのう。あれは少々ひねってみたんじゃが」
「あれは本当に難しかったわよ! おかげで最初は厩舎まで行っちゃったんだから!」
「ほう、厩舎まで行ったか! ひょっひょっひょ! そいつは悪いことをしたのう」
「笑い事じゃないわよ! やっと牛舎に着いたと思ったら、今度は牛の餌やりまでさせられたんだから!」
コメリアが勢いよく抗議すると、牧場長は申し訳なさそうに眉を下げたものの、その口元にはまだ笑みが残っていた。
「いやあ、すまんすまん。本当はそこのおいぼれにやらせるつもりだったんじゃが、どうやらおぬしらを巻き込んでしまったようじゃな」
「誰がおいぼれじゃ! お前さんと大して歳は変わらんじゃろうが!」
それまで黙っていた農園のおじいちゃんが、すかさず言い返した。
「そう怒りなさんな。せっかくおぬしのために、頭も体も使える問題を用意してやったんじゃぞ?」
「余計なお世話じゃ! だいたい、わしがそんな見え透いた手に乗ると思うたか!」
「ひょっひょっひょ! おやおや、随分と威勢がいいのう。ところで、わしの暗号はどうじゃった?」
「……まあ、馬の絵はなかなかじゃったな」
「ひょっひょっひょ! そいつは嬉しいのう。おいぼれに褒められるとは思わなんだ!」
「褒めとらんわ!」
……何だ、この二人。
どちらも見た目は人のよさそうなおじいちゃんなのに、随分と遠慮のないやり取りだ。農園のおじいちゃんが呆れたように鼻を鳴らすと、牧場長は何事もなかったようにこちらへ向き直った。
「いやいや、おぬしらには余計な苦労をかけてしまったのう。じゃが、あの仕掛けをきちんと解いて、ここまでたどり着いたのは大したもんじゃよ。フォール、おぬしも腕は鈍っておらんようじゃな」
「ははは。今回は私一人の力ではありませんよ。みんなで考えた結果です」
「ひょっひょっひょ! そうかそうか。若い者たちもなかなかやるのう。わしも仕掛けを作った甲斐があったというもんじゃ!」
牧場長は嬉しそうに頷き、俺たち三人を順番に見渡した。先ほどまで農園のおじいちゃんをからかっていたのとは違い、今度は本当に感心しているらしい。
「さてと……それだけ働いてもらったんじゃ。やっぱり褒美というか、手当はやらんといけんのう」
「えっ、褒美!?」
疲れ切っていたはずのコメリアが、途端に目を輝かせた。
「ひょっひょっひょ! そうじゃ、ちょうどいいものがある。おーい、あれを人数分持ってきてくれんか!」
牧場長が近くにいた従業員へ声をかけると、相手は心得た様子で頷き、牛舎の奥へ向かっていった。
「ねえ、クニタカ! 何をくれるのかしら? あれだけ頑張ったんだもの、きっとすごいものよね!」
「いや、あんまり期待しない方がいいんじゃないか?」
「何よ! クニタカだって頑張ったじゃない!」
「そりゃ頑張ったけどさ……」
俺としても何かもらえるならありがたいが、あの牧場長のことだ。素直に期待していいものか、少々怪しい。
そんなことを考えているうちに、従業員が戻ってきた。手にしていたのは人数分の飲み物で、差し出された器には白い液体がなみなみと注がれている。
「……牛乳?」
「ひょっひょっひょ! そうじゃ! うちの牧場自慢の新鮮な牛乳じゃよ。働いたあとの一杯は格別じゃぞ!」
コメリアは受け取った器を見つめ、それから牧場長の顔を見上げた。
「……ねえ、これが褒美?」
「そうじゃが?」
「……牛乳が?」
「ひょっひょっひょ! まあまあ、よいから飲んでみなされ」
牧場長は自信たっぷりに笑っているが、コメリアはどうにも納得がいかないらしい。
確かに、あれだけ苦労した末の報酬が牛乳一杯というのは、少々拍子抜けする。とはいえ、散々歩き回った挙げ句に飼い葉まで運ばされた身としては、喉が渇いているのも事実だった。
俺はひとまず礼を言って、器に口をつけた。
「…………ん?」
一口飲んだところで、思わず器を見つめ直した。
……何だ、これ。
口に含んだ途端に広がる濃厚な味わい。それでいて妙なしつこさはなく、後味は驚くほどすっきりしている。普段飲んでいた牛乳とは、まるで別物だった。
「……うまっ!」
「えっ、そんなに?」
俺の反応を見て、コメリアも半信半疑のまま牛乳を口に運んだ。
「……何これ!? すっごくおいしいんだけど!」
「ははは。これは驚きましたねえ。実においしい牛乳です」
フォールも感心した様子で器を眺めている。さっきまで不満そうだったコメリアに至っては、もう何も言わずに牛乳を飲んでいた。
「ひょっひょっひょ! どうじゃ、うまかろう? こればかりは、どんな暗号よりも自信があるんじゃよ!」
「いや、これは本当にすごいな……」
俺も残っていた牛乳をもう一口飲んだ。牧場自慢というのも納得のうまさだ。
「ねえ、おじいちゃん! これ、もう一杯もらってもいい!?」
「ひょっひょっひょ! もちろんじゃとも。遠慮せず、たんと飲んでおくれ!」
……さっきまでの不満は、どこへ行ったんだよ。
牧場長はそんなコメリアを満足そうに眺めていたが、ふと思いついたように手を打った。
「そうじゃ。せっかくじゃから、土産にも持って帰るとよい。おーい、持ち帰り用の牛乳も用意してやってくれんか!」
「えっ!? いいの!? やったー!」
従業員が再び奥へ向かうのを見送ると、コメリアは嬉しそうに俺の方を振り返った。
「ねえ、クニタカ! 帰ってからも飲めるわよ!」
「お前、さっきまであんなに文句言ってたのに……」
「だって、こんなにおいしいんだもの! それとこれとは別よ!」
そう言い切って胸を張るコメリアに、俺は呆れながらも笑ってしまった。まあ、気持ちは分からなくもない。それくらい、この牛乳はうまかった。
ほどなくして持ち帰り用の牛乳が用意され、俺たちはそれぞれ受け取った。コメリアは何度も礼を言っているし、フォールも嬉しそうだ。まさか暗号を追いかけた末に、牛乳を土産にもらうことになるとは思わなかったが。
「ひょっひょっひょ! 気に入ってもらえて何よりじゃ。牛乳がなくなったら、また遊びに来るとよいぞ」
「本当!? 絶対また来るわ!」
「……今度は餌やり抜きでお願いしますよ」
「ひょっひょっひょ! それはどうかのう?」
「そこは約束してくれよ!」
俺が思わず突っ込むと、牧場長はますます愉快そうに笑った。隣では農園のおじいちゃんが呆れた顔をしている。
まったく、最後まで人をからかってばかりだな、この人は。
ピロン♪
そのとき、不意に聞き覚えのある通知音が鳴った。
「……ん?」
ポケットからスマートフォンを取り出すと、画面にはいつもの形式で短い文章が表示されていた。
『フィフスゲーム「ファームワーク&ミルクゲット」クリア』
「…………」
……は?
俺は思わず画面を見つめ直した。
ファームワーク……ミルクゲット……?
『都尊さん。第五のゲームのクリア通知を確認しました』
「ああ、俺も見たけど……チャミー、これ、どういうことだ?」
『牧場での作業と牛乳の入手を意味する名称ですね』
「いや、意味は分かる! 暗号解読はどこ行ったんだよ!?」
『ゲーム名には含まれていません』
「見れば分かるわ!」
思わず声を上げてしまった。
俺たちはあれだけ頭を悩ませて暗号を解き、厩舎にまで無駄足を踏んで、最後は大量の飼い葉を運ばされた。それなのに、正式なゲーム名が『ファームワーク&ミルクゲット』って……。
暗号解読は前座だったとでも言うつもりか!?
「ちょっと、クニタカ! さっきから何騒いでるのよ?」
「ああ……第五のゲーム、クリアしたらしいぞ」
「えっ、本当!? やったじゃない!」
コメリアは嬉しそうに声を弾ませ、フォールもほっとしたように微笑んだ。
「ははは。それはよかったですねえ。今回も無事にクリアできたようで何よりです」
「まあ、そうなんですけどね……」
俺はスマートフォンをしまい、手元の牛乳を見つめた。
牧場で働いて、牛乳をもらう。
……なるほど。確かにゲーム名どおりだ。
ただ、それなら一つだけ言わせてほしい。
……暗号解読、必要だったか!?




