絶望
「……なあ、牛舎ってどっちだ?」
「さあ?」
「さあって……お前、さっきまであんなに自信満々だったじゃないか」
「暗号が解けたんだから、あとは行くだけでしょ!」
コメリアは当然のように言い切ったが、肝心の牛舎の場所は分かっていないらしい。
結局、俺たちは厩舎の近くで作業していた従業員に道を尋ね、教えられた方角へ歩き出した。
牛舎まではそれなりに距離があった。広い放牧地を横目に歩いていると、隣町までの移動もあって、さすがに足が重くなってくる。
「ほら、あそこよ!」
コメリアが指差した先には、大きな建物が見えていた。周囲には牛たちの姿があり、近づくにつれて鳴き声も聞こえてくる。
「……やっと着いた」
「もう、クニタカったら。そんなに疲れたの?」
「誰のせいで厩舎まで行くことになったと思ってるんだよ」
「それはもう終わった話でしょ!」
便利な言葉だな、それ。
「ははは。お二人とも、看板を探しましょうか」
フォールに促されて入口の周囲を見回すと、建物の脇に一枚の看板が立てられていた。
「あった! 今度こそ本物よね!」
「さあな。また説教が書いてあるかもしれないぞ」
「ちょっと! 縁起でもないこと言わないでよ!」
コメリアが看板を覗き込み、俺とフォールもその横から文字を読んだ。
――――――――――
影の聖堂の託宣
暗き隅にうず高く積まれし『黄金の枯草』を、飢えたる者どもの祭壇へとおのおの分配せよ。さもなくば、夕闇の彼方より『全頭蜂起の咆哮』が世界を切り裂くだろう
――――――――――
「…………」
看板を読み終えた俺は、思わずもう一度最初から目を通した。
「……何これ?」
隣でコメリアが眉をひそめている。
「いや、俺に聞かれても……。影の聖堂って、ここは牛舎だよな?」
「そうよ! どう見たって聖堂じゃないじゃない!」
「ふむ……。ずいぶん大仰な託宣ですねえ」
フォールは面白そうに目を細め、看板の文字を追っていた。元暗号局長の仕掛けとあって、また何か複雑な謎が隠されているのかと思ったが、文章そのものは意外と単純に読めそうだった。
「黄金の枯草って……枯れてるのに黄金なの?」
「色のことじゃないか? 乾いた草なら黄色っぽいだろ」
「だったら普通に枯草って書けばいいじゃない!」
「それを俺に言われてもな……」
フォールはそんなやり取りを聞きながら、牛舎の奥へ視線を向けた。
「『暗き隅にうず高く積まれし』……。何かを積んで保管している場所があるのかもしれませんねえ」
「積んであるもの……あっ、あれじゃない?」
コメリアが指差した先には、建物の奥まった場所に飼い葉が積まれていた。入口からでは全体がよく見えないが、乾いた草の色は確かに黄金と呼べなくもない。
「なるほど、あれか。だったら『飢えたる者どもの祭壇』は……」
「牛の餌場でしょうねえ」
フォールの言葉に、俺は牛舎の中を見回した。牛たちが餌を食べるための場所なら、確かに祭壇という言い方もできなくはない。
「……つまり、あそこにある飼い葉を牛に配れってことか?」
「そういうことね! だったら、さっそく始めましょう!」
コメリアが飼い葉の方へ歩き出そうとしたので、俺は慌てて呼び止めた。
「いや待て。そもそも俺たちが勝手に餌をやっていいのか?」
「えっ? でも、看板にはそう書いてあるじゃない」
「書いてあるからって、ここは他人の牧場だぞ。牛の餌だって勝手に決めていいものじゃないだろ」
「むう……。それは、そうだけど……」
「ははは。クニタカ君の言うとおりですねえ。まずは牧場の方に確認しましょうか」
ちょうど牛舎の奥で作業していた従業員がいたので、俺たちは事情を尋ねることにした。
「すみません。入口の看板のことで聞きたいんですが……」
声をかけると、従業員は手を止めてこちらを振り返った。俺が看板を指差すと、彼は一瞬きょとんとしたあと、何かを察したように苦笑した。
「ああ……また牧場長の悪戯ですか」
「……悪戯?」
「ええ。あの人、昔からああいう仕掛けが好きなんですよ。皆さんも暗号を解いて、ここまで来たんでしょう?」
「そうなんですけど……。看板の指示って、牛に餌をやれってことで合ってますか?」
「合ってますよ。もちろん、勝手にやってもらうわけにはいきませんけどね」
従業員は笑いながら、牛たちの方へ目を向けた。
「ちょうど餌をやるところでしたし、私も一緒にやりますよ。やり方はこちらで説明しますから」
「本当!? 助かるわ!」
コメリアが嬉しそうに顔を輝かせた。俺としても、牧場の人が一緒なら安心だ。フォールも礼を述べ、従業員に案内されて牛舎の奥へ向かった。
「では、まずあちらの飼い葉を運びましょうか」
そう言って従業員が指差した先には、乾草の束がいくつも積み重ねられていた。高さは俺の胸ほどだが、壁際に沿ってずらりと並んでいる。
……いや、ちょっと待て。これ、全部運ぶのか?
隣にいたコメリアも、山を見上げたまま動かなくなった。
「……ねえ、クニタカ。あれ……全部?」
「……さあな」
俺たちは揃って従業員を見たが、返ってきたのは実に朗らかな笑顔だった。
「いやあ、今日はちょっと量が多いんですよね。人手が増えて助かります」
……おい、今何て言った?
「ははは……これは、なかなか骨が折れそうですねえ」
フォールまで困ったように笑っている。隣町まで来て、牧場の中を歩き回り、ようやく暗号を解いたと思ったら、最後に待っていたのが牛の餌やりとは。
しかも、従業員が手伝ってくれるとはいえ、この量だ。
……これ、暗号解読じゃなくて、ただの重労働じゃねえか!
とはいえ、ここまで来て引き返すわけにもいかない。俺たちは従業員に教えられながら、積み上がった飼い葉を牛たちの餌場へ運び始めた。
最初のうちはコメリアも張り切っていたが、何度も往復するうちに口数が減り、やがて俺と同じように黙々と作業するようになっていた。フォールも額の汗を拭いながら手を動かしており、従業員だけが慣れた様子で次々と飼い葉を運んでいる。
「……クニタカ、あとどれくらい?」
「俺に聞くなよ……。ほら、まだあそこに残ってる」
「うう……。こんなに大変だなんて聞いてないわよ……」
「俺だって聞いてない……」
何度目かの往復を終えたころには、腕も足もすっかり重くなっていた。それでも四人で作業を続けるうちに飼い葉は少しずつ減っていき、ようやく最後の束を運び終えた。
「……終わった……。もう、しばらく牛は見たくないわ……」
コメリアはぐったりと肩を落とし、俺もその場で大きく息を吐いた。従業員から礼を言われたものの、すぐに返事をする気力もない。
牛たちはそんな俺たちの苦労など知る由もなく、のんびりと餌を食べている。
……まあ、牛に文句を言っても仕方ないんだけどさ。
「……あれ? ねえ、クニタカ。あそこ、何か書いてない?」
コメリアが指差したのは、さっきまで飼い葉が積まれていた場所だった。束がなくなって露わになった床に、何やら文字が見える。
「……何だ?」
俺たちは近づいて、そこに書かれた文字を覗き込んだ。
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MISSION COMPLETE
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「……ミッション、コンプリート?」
「任務完了……という意味でしょうかねえ」
フォールが文字を読み取り、楽しそうに笑った。
「ちょっと! 何よこれ! 私たちに餌やりをさせるためだけに、あんな暗号を作ったってこと!?」
「……どうやら、そういうことらしいな」
俺は床の文字を見つめながら、思わず脱力した。
最初の謎から始まって、馬の絵に振り回され、牛舎の看板を解読した挙げ句、最後は飼い葉運び。ここまでやらせておいて、出てきた答えが『任務完了』の一言とは。
「……この牧場長、絶対楽しんでるだろ」
「ふふっ。そうですねえ。昔から、こういうことには手を抜かない方でしたから」
フォールが懐かしそうに笑った、そのときだった。
パチ、パチ、パチ……。
背後から、ゆっくりと拍手の音が聞こえてきた。
「……ん?」
俺たちは揃って振り返った。




