取説不在
探偵事務所の窓から、穏やかな午後の日差しが差し込んでいた。
フォールは机に向かって書類を整理し、コメリアはソファーで本を読んでいる。俺も特にすることがなく、何となくスマートフォンを眺めていた。
ふと顔を上げると、コメリアが読んでいる本の表紙が目に入った。そこに並んだ文字を見て、今さらながら不思議な気分になる。
「なあ、コメリア。その本、ちょっと見せてもらってもいいか?」
「え? いいけど……何よ、急に」
差し出された本を受け取って、表紙の文字を眺める。やっぱりそうだ。形は多少違うものの、俺が元の世界で見慣れたアルファベットによく似ている。本文を開いてみても、単語の区切り方や並び方には、英語を読んでいるときのような感覚があった。
「いや、こっちの文字って、俺のいた世界の文字に結構似てるなと思ってさ」
「そうなの? クニタカの世界でも、こういう文字を使うの?」
「うん。全部が同じってわけじゃないけど、単語とか、文字の並び方とか、妙に見覚えがあるんだよな」
「ふうん。じゃあ、こっちの本も読めるってこと?」
「まあ、知らない言葉もあるけど、何となく意味が分かるところは多いかな。チャミー、これってどう思う?」
『文字の形状や配列、語彙の一部に、都尊さんの世界で使用されている英語との共通点が見られます。ただし、両者が同一の言語であるとは判断できません』
「だよな。似てるからって、何でも同じとは限らないか」
「何よ、それ。せっかく読めるんだったら、もっと本を読めばいいじゃない」
「いや、読めるのと勉強が好きなのは別の話だろ!」
「もう! そういうところよ、クニタカは!」
コメリアから本を取り返され、俺は苦笑しながらスマートフォンへ目を戻した。考えてみれば、こっちへ来たばかりの頃は、何か分からないことがあるたびにチャミーを頼っていたものだが、最近ではそれもずいぶん減った気がする。こちらの生活にも少しは慣れてきたということだろうか。
「……なあ、チャミー」
『はい。何でしょうか』
「俺たち、こっちに来てから結構いろんなことやってるよな」
『はい。異世界へ転移して以降、複数の事件や問題に関わっています』
「だよなあ。いきなり遺言書の事件に巻き込まれて、いつの間にか探偵助手になってるし……。そういや、神様のゲームももう四回クリアしてるんだよな?」
『はい。現在までに四回のゲームクリアを確認しています』
「四回、か……」
改めて数えてみると、結構な回数だ。
最初は遺言書探しの事件。次は屋敷への侵入方法を調べた事件で、その次が農園での怪盗との勝負。そして、ついこの間の消える食事の謎。
どれも印象に残っているけれど、こうして並べてみると、どうにもまとまりがない。
「なあ、チャミー。今さらなんだけどさ、あのゲームって結局、何が目的なんだ?」
『ゲーム全体の目的については、現時点で判断できる情報が不足しています』
「……やっぱり?」
『はい。これまでのゲームにはそれぞれ題名が設定されていますが、ゲーム全体を通じた目的や終了条件は確認できていません』
「そうなんだよなあ……」
俺はスマートフォンを眺めたまま、ソファーの背もたれに体を預けた。
最初のゲームなんて、遺言書の事件が終わって、フォールに仕事と泊まる場所を世話してもらったところで、突然クリアの通知が出たんだよな。
しかも、表示された題名は『家を探そう』。
あのときは、あれだけ苦労して事件を解決したのに、ゲームの目的は家探しだったのかと驚いたものだ。そもそも、自分で家を探していたわけでもないんだけど……。
「二回目なんて、氷の橋を使って侵入できるって実演しただけでクリアになったんだよな。結局、犯人が本当にその方法を使ったって証明できたわけじゃなかったのに」
『はい。セカンドゲームでは、侵入方法の可能性を実証した段階でクリア通知が表示されました』
「三回目は農園で怪盗と勝負して……。あれも、勝負が終わったところでクリアになったわけじゃなかったんだよな」
『はい。サードゲームのクリア通知が表示されたのは、怪盗との勝負が終了した翌朝です』
「そうそう。通知音で起こされて、何で今さらって思ったんだよ。で、ゲーム名が『黄金の園を作れ』だろ? 朝日に照らされた麦畑を見たら、確かに黄金の園って感じだったけど……」
『その光景とゲーム名に関連がある可能性は考えられます。ただし、具体的なクリア条件は不明です』
「だよなあ。で、今回なんてスープを作ってクリアだろ? 食事が消える謎はその前に解けてたのに」
思い返すほど、何を基準にクリアになっているのか分からなくなる。
「……もしかして、事件を解決すること自体は、あんまり関係ないのか?」
『その可能性は否定できません。ただし、事件の解決とゲームのクリア条件が無関係であると判断する根拠もありません』
「うーん……。そう言われると、ますます分からなくなるなあ」
「さっきから何をぶつぶつ言ってるのよ?」
顔を上げると、コメリアが本から目を離してこちらを見ていた。
「ああ、神様のゲームのこと。もう四回もクリアしてるのに、結局どういう仕組みなのか全然分かってないなって」
「またその話? でも、ちゃんとクリアできてるんでしょ?」
「まあ、そうなんだけどさ。何をしたらクリアになるのか、いまだによく分からないんだよ」
「……え? ちょっと待って。何をしたらいいのか分からないのに、四回もクリアしてるの?」
「そうなんだよ!」
「何よ、それ! 変なゲームねえ」
「俺だってそう思うよ!」
コメリアは呆れたように笑ったあと、何か思いついたのか、こちらへ身を乗り出してきた。
「ねえ、そもそも神様に聞かなかったの? 何をしたら勝ちなのかとか、そういうこと」
「いや、最初はそんなこと考えてる余裕なかったんだって。突然知らない世界に飛ばされたんだぞ? こっちはそれどころじゃなかったんだから!」
「それは分かるけど……。でも、四回もやってるんだったら、一回くらい聞く機会はなかったの?」
「だから、神様とはあれから会ってないんだよ。ゲームの通知は来るけど、こっちから質問できるわけじゃないし」
「えっ、そうなの?」
「そうなの!」
コメリアは意外そうに目を丸くした。
「じゃあ、次に何をするのかも分からないの?」
「分からない。次にどんなゲームが来るのかも、いつ始まるのかもさっぱりだよ」
「ふうん……。何だかずいぶん勝手な話ね」
「……まあ、神様だからなあ」
自分で言っておいて何だけど、これで納得していいものなんだろうか。
そんなことを考えていると、書類を整理していたフォールが、こちらに顔を向けた。
「ははは。何やら難しいお話をしていますねえ」
「あ、すみません。ちょっと神様のゲームについて、チャミーと話してたんです」
「おや、あのゲームですか。そういえば、クニタカ君がこちらへ来たのも、それがきっかけでしたね」
「ええ。もう四回もクリアしてるのに、何をしたら正解なのか、いまだに分からないんですよ」
「ふむ……。ですが、クニタカ君。今のお話ですと、何かをしたあとにゲームが終わったことは分かるんですよね?」
「はい。スマートフォンにクリアって通知が出るんです。チャミーも確認できます」
「なるほど。では、少なくとも終わったという結果は分かるわけですね」
「そうなんですよ。ただ、どうしてクリアになったのかが分からなくて……」
「それは困りましたねえ。私もクニタカ君から聞いたお話しか知りませんから、何とも言えませんが」
フォールは椅子の背にもたれ、少し考えるように顎へ手を当てた。
「探偵としても、理由が分からないまま結果だけを知らされるというのは、何とも落ち着かないものですからねえ」
「ああ、それです! まさにそんな感じなんですよ!」
「ははは。ですが、だからといって、手掛かりもないのに答えを決めてしまうわけにはいきませんからね」
「……ですよねえ」
俺はもう一度、スマートフォンに目を落とした。
こうして四回のゲームを振り返ってみても、事件の解決とクリアのタイミングが必ずしも一致しているわけじゃない。
……いや、待てよ。
「なあ、チャミー。そもそも、これって何回クリアしたら終わるんだ?」
『現時点では不明です』
「じゃあ、神様は何のためにこんなゲームをやってるんだ?」
『都尊さんが神様から直接聞いた内容以上の情報はありません。そのため、ゲーム全体の目的についても判断できません』
「……つまり、何にも分からないってことか」
『はい。少なくとも、現時点では明確な回答は困難です』
「……取扱説明書くらい用意しといてくれよ、神様」
思わず漏れたぼやきに、コメリアが吹き出した。
「何よ、クニタカ! 神様に説明書を要求してるの?」
「だってそうだろ! ルールも分からない、いつ終わるかも分からない、おまけに質問もできないんだぞ!」
「まあ、それはそうだけど……。でも、チャミーだって知らないことは知らないんでしょ?」
「そりゃそうだけどさ……」
「だったら、次に神様に会ったときに聞けばいいじゃない」
「だから、いつ会えるか分からないんだって!」
「じゃあ、今はどうしようもないでしょ?」
「……まあ、そうなるな」
「だったら、そんなに考え込まなくてもいいじゃない。次のゲームが始まったら、また何か分かるかもしれないんだし!」
「そう簡単に言うけどなあ……」
「何よ! 分からないことを、ずーっと考えてたって仕方ないでしょ?」
コメリアは少しむっとした顔で言い返してきたが、今度ばかりは反論できなかった。
「ははは。メリアの言うことにも一理ありますねえ」
「でしょ、パパ!」
「ええ。クニタカ君、今は少し様子を見てもいいのではありませんか?」
「……そうですね」
これまでの事件だって、手掛かりを集めて少しずつ謎を解いてきたんだ。神様のゲームも、今は分からないことが多すぎるだけなのかもしれない。
「まあ、次のゲームで何か分かるかもしれないしな」
『その可能性はあります。ただし、新しい情報が得られる保証はありません』
「……チャミー。そこは少しくらい期待させてくれてもいいんじゃないか?」
『根拠のない予測を肯定することは適切ではありません』
「相変わらず容赦ないなあ……」
俺が苦笑していると、コメリアが何か思いついたように手を叩いた。
「そうだ! だったら、次のゲームが始まるまでに料理の練習をしておけばいいんじゃない?」
「……は?」
「だって、また料理が関係するかもしれないでしょ?」
「いやいや! 何でそうなるんだよ!」
「分からないんでしょ? だったら、絶対にないとも言えないじゃない!」
「そりゃそうだけど! だからって料理を覚える必要はないだろ!」
「えー? でも、できることが増えるのはいいことでしょ?」
何だか話がおかしな方向へ進んでいる。
助けを求めてフォールを見ると、なぜかこちらも笑顔で頷いていた。
「ははは。まあ、何事も経験ですからねえ。クニタカ君が料理を覚えてくれれば、私としても嬉しいですよ」
「フォールさん! そこは止めてくださいよ!」
「おや、以前も楽しみにしているとお話ししたはずですが?」
「そうでしたけど! だからってゲームと結びつけなくても!」
「ねえ、チャミー! チャミーはどう思う?」
『料理技術が今後のゲーム攻略に役立つかどうかは不明です』
「ほら! チャミーだって分からないって言ってるだろ!」
『ただし、料理技術を習得しておくこと自体に問題はありません』
「……おい、チャミー?」
『都尊さんが希望されるのであれば、調理手順の確認などはお手伝いできます』
「希望してない! 俺は一言も希望してないからな!」
「ほら、チャミーも手伝ってくれるって! よかったじゃない!」
「よくない!」
コメリアはすっかりその気になっているし、フォールまで楽しそうに笑っている。チャミーに至っては、俺の味方をしているつもりなのか、それとも本気で料理の手伝いをするつもりなのか、さっぱり分からない。
……結局、神様のゲームについては何一つ分からなかった。
それなのに、なぜか俺が料理を覚える話だけは、どんどん進んでいる気がする。
「だから! 俺は料理人じゃなくて探偵助手なんだってば!」




