すれ違う思い
フォールが扉を叩くと、少しして中から女性の声が聞こえてきた。
「はい、どちら様でしょう?」
「突然失礼します。私、フォール・ディクソンと申します。ローズ・フェリアさんでいらっしゃいますか?」
扉が開き、一人の女性が顔を出した。俺たち三人を見て、不思議そうに首を傾げる。
「ええ、そうですけど……何かご用でしょうか?」
「実は、ジャン・ゾンダイク先生からご依頼をいただきましてね。姪御さんのメリーさんについて、少しお話を伺えればと思いまして」
「ジャン先生から?」
ローズの表情が変わった。
「あの子に何かあったんですか? 具合が悪くなったとか……」
「いえいえ。そういうわけではありませんよ。先生から、普段の生活のご様子を調べてほしいと頼まれているんです」
「そうでしたか……」
胸を撫で下ろしたローズだったが、すぐにまた心配そうな顔になった。
「メリーには、もうお会いになったんでしょうか?」
「ええ。先ほど、お部屋でお話を伺ってきたところです」
「そうですか。あの子、ちゃんとお話しできたかしら……」
「ご心配なく。いろいろとお聞かせいただきましたよ」
フォールが微笑むと、ローズもようやく表情を緩めた。
「立ち話も何ですから、どうぞ中へ。あまり広くありませんけど」
「ありがとうございます。では、お邪魔します」
フォールに続いて、俺とコメリアも部屋へ入った。
案内された室内は、先ほどまでいたメリーの部屋とよく似た間取りだった。家具の種類や配置にも共通するところが多く、全体の雰囲気まで似ている。
キッチンも同じような造りで、食器棚や調理台がきれいに片付けられていた。テーブルの上には籠に入ったパンが置かれている。
まあ、同じアパートの同じ階なんだから、間取りが同じなのは当然か。家具の趣味が似ているのも、親戚同士なら不思議じゃないだろう。
「こちらへどうぞ」
ローズに勧められ、俺たちは席に着いた。
「それで、メリーのことでしたね。私に分かることでしたら、何でも聞いてください」
「ありがとうございます。まず、普段はどのくらい顔を合わせていらっしゃるんでしょうか?」
「それが、最近はあまり……。様子は気にしているんですけど、あの子、私にまで遠慮するんですよ」
ローズは困ったように笑った。
「何か手伝おうとしても、大丈夫だからって。無理に聞こうとすると、かえって距離を置かれてしまう気がして……。同じアパートに住んでいるんですから、困ったときくらい頼ってくれてもいいのに」
「なるほど。ローズさんとしては、もっと力になりたいわけですね」
「もちろんです。兄の娘ですもの。あの子まで一人で何もかも抱え込む必要なんてないんですけどね……」
ローズは少しためらってから、言葉を続けた。
「できれば養子に迎えて、本当の家族になれたらとも思っているんです。でも、あの子の気持ちもありますから……」
最後は独り言のように呟き、ローズは小さく息をついた。
メリーが叔母に迷惑を掛けたくないと言っていたのを思い出す。本人は気を遣っているつもりなんだろうけど、どうやらローズには逆効果らしい。
「ちなみに、こちらのアパートはローズさんが管理されているんでしたね」
「ええ。私が大家をしています。何かあったときには、すぐにでも力になれるんですけど……」
ローズはそこで言葉を切り、少し困ったように笑った。
「でも、大家だからといって私が勝手にあの子の部屋で何でもしていいわけじゃありませんからね」
「それはそうですね。近くにいらっしゃるからこそ、難しいこともあるでしょう」
「そうなんですよ。あの子ったら、昔から変なところで遠慮する子で……」
ローズは苦笑しながら首を振った。
「では、お食事についてはいかがでしょう?」
フォールが話題を変えると、ローズの表情が曇った。
「それが一番心配なんです。少しでも食べてくれればと思うんですけど、なかなか……」
「ローズさんも、お食事を用意されているんですか?」
「ええ。あの子でも食べられそうな、軽くて簡単なものを時々ね。何も食べないよりは、少しでも口にしてくれた方がいいでしょう?」
「その食事は、メリーさんのお部屋へ届けているんでしょうか?」
「いいえ。以前は持っていこうとしたこともあるんですけど、あの子、申し訳なさそうにするものですから……。今は、こちらで用意しているんです。顔を見せてくれたときに、食べてもらえればと思って」
「そうでしたか」
フォールは頷いた。
叔母がせっかく食事を用意してくれても、メリーは遠慮してしまう。近くに頼れる人がいるのに、なかなかうまくいかないものだな。
「ところで、ローズさん。最近、メリーさんのことで何か気になることはありませんでしたか?」
「気になること、ですか?」
「ええ。普段と違うご様子があったとか、何か変わったことがあったとか。小さなことでも構いませんよ」
ローズは少し考え込んだ。
「そうですね……。食事のことは前からですし、ほかには……」
そこで、何か思い出したように顔を上げた。
「ああ、そういえば、最近ちょっと心配なことがあるんです」
「ほう。どのようなことでしょう?」
「夜中のことなんですけど……あの子、部屋を出ていることがあるんです」
「夜中に、ですか?」
「ええ。最初に見かけたときは驚きました。こんな時間にどうしたんだろうって」
夜中に部屋を出ている?
思わずコメリアと顔を見合わせると、向こうも意外そうな顔をしていた。
「何か用事があって外に出られたんでしょうか?」
「それが、そういう感じでもないんです。声を掛けても何だかぼんやりしていて、ちゃんと目が覚めていないような……」
「なるほど。それで、どうされたんですか?」
「そのまま廊下にいさせるわけにもいきませんから、声を掛けて、あの子の部屋に入ってもらうようにしているんです。ふらふらしたまま歩いて、どこかで倒れでもしたら大変でしょう?」
「ええ。それはご心配ですね。それで、メリーさんは落ち着かれるんでしょうか?」
「それが、そうでもないんです。二、三時間ほどすると、またふらっと外に出るんですよ」
「ほう。また出るんですか?」
「ええ。そのときも声を掛けて、あの子の家に入ってもらうんですけど、そうすると今度は落ち着くみたいで……。夜中にあの子を見かけたときは、いつもそんな感じなんです」
ローズは眉を寄せた。
「毎晩ではないんですけど、最近になって何度かあって……。以前はこんなことなかったのに、どうしたのかしら」
「メリーさんご本人には、そのことをお聞きになりましたか?」
「いいえ……。何て聞けばいいのか分からなくて。あの子に何かあったのかと聞いても、きっと大丈夫だって言うでしょうし……」
膝の上で重ねた手を見つめながら、ローズは言葉を続けた。
「食事だって満足に取れていないのに、夜中にあんな様子で歩いているなんて……。何かあってからじゃ遅いでしょう?」
そりゃ心配にもなるだろう。俺だって、知り合いが夜中にぼんやりしたまま歩いていたら放っておけない。
「ローズさん、少し伺ってもいいですか?」
「はい、何でしょう?」
「そのとき、メリーさんは普通にお話しできるんでしょうか?」
「そうですね……。声を掛ければ返事はしてくれるんですけど、どこか上の空というか……。いつものあの子とは少し違う感じでした」
「なるほど。ありがとうございます」
俺は頷きながら、今の話を頭の中で整理した。
……なるほどな。
「クニタカ、どうかした?」
隣のコメリアが小声で尋ねてきた。
「ん? いや、何でもない」
「何よそれ。変なの」
コメリアは不思議そうに首を傾げたが、フォールが口を開くと、そちらへ顔を向けた。
「ローズさん、今のお話は私からジャン先生にお伝えしておきますね」
「ええ、お願いします。あの子のことが心配で……」
「そうですね。先生にも一度こちらへお越しいただいて、今後のことをご相談するのがよいかもしれません」
「ジャン先生が、こちらに?」
「ええ。もちろん、先生のご都合もありますから、まだ何とも言えませんが」
「そうですか……。それなら、ぜひお願いします。私にできることがあれば、何でもしますから」
ローズはそう言って、深く頭を下げた。
「いえいえ。どうか頭を上げてください。先生にもきちんとお伝えしておきますから」
「ありがとうございます……」
顔を上げたローズは、少しだけほっとしたように見えた。
「いろいろとお聞かせいただき、ありがとうございました」
フォールが立ち上がると、ローズも慌てて腰を上げた。
「あら、もうよろしいんですか? 私、心配事ばかりお話ししてしまって……」
「いえいえ。大変参考になりましたよ。先生からお預かりしたご依頼を進めるうえでも、大切なお話です」
「そうですか……。どうか、あの子のことをよろしくお願いします」
ローズはもう一度、深々と頭を下げた。
◇
ローズの部屋を出て廊下を歩き始めると、コメリアが口を開いた。
「何だか、思っていたより気になる話が出てきたわね」
「ああ。メリーさんが夜中に部屋を出てたなんてな」
「しかも、ちゃんと起きていないみたいだったんでしょう? 危ないわよね」
「そうだな。ジャン先生にも早く知らせた方がよさそうだ」
「そうね。先生もきっと心配するわ」
コメリアは少し考え込んでいたが、やがて俺の方を向いた。
「それにしても、ローズさんって本当にメリーさんのことが心配なのね」
「ああ。あれだけ気に掛けてくれる人がいるんだから、もう少し頼ってもいいと思うんだけどな」
「そうよね。でも、メリーさんの気持ちも分からなくはないわ」
「まあな……」
メリーが叔母に遠慮するのも、ローズが放っておけないのも、どちらも分からなくはない。だからこそ難しいんだろうけど。
「チャミー、今の話は記録してあるよな?」
『はい。ローズさんのお話も含め、これまでの調査内容は記録しています』
「よし。ありがとう」
『どういたしまして、都尊さん』
「ねえ、クニタカ。ジャン先生のところに戻るんでしょう?」
「ああ。そのつもりだけど」
「だったら、早く行きましょうよ。メリーさんのことも心配だし」
「はいはい。分かったって」
「もう! 何よ、その返事!」
コメリアが頬を膨らませたところで、後ろからフォールの笑い声が聞こえた。
「ははは。メリアの言うとおりですね。先生にも、早めにお伝えした方がいいでしょう」
「ほら! パパもそう言ってるじゃない!」
「分かったよ。行こう」
俺が歩き出すと、コメリアは満足そうに頷いて隣に並んだ。




