何もないテーブル
翌日、俺たちは約束どおりメリーの家へ向かうことになった。
事務所を出る前、コメリアはフォールの机に残っている書類を一瞥したものの、何も言わずに扉へ向かった。昨日あれだけ念を押していたのに、今日は見逃してくれるらしい。
もっとも、帰ってきてからどうなるかは分からないけどな。
「クニタカ、何してるの? 早く行くわよ!」
「ああ、今行く!」
俺が慌てて後を追うと、フォールはいつものように笑いながら事務所の鍵を掛けた。
◇
メリーが暮らすアパートに到着すると、コメリアは建物を見上げた。
「ここね。それじゃ、行きましょう!」
そう言ってコメリアが入口へ向かおうとした、そのときだった。
ポケットの中でスマートフォンが振動した。
取り出して画面を確認すると、そこには見覚えのある文字が表示されていた。
『ゲームスタート』
「……あ」
また始まった。
『都尊さん。新しいゲームの開始通知です』
「ああ、見たよ」
「クニタカ? どうしたの?」
振り返ったコメリアに、俺はスマートフォンをポケットへ戻しながら答えた。
「ゲームが始まったみたいだ」
「えっ、今? じゃあ、今回も神様のゲームなの?」
「そういうことらしい。でも、何が問題なのかまでは分からないな」
「おやおや。今回も始まりましたか」
フォールは相変わらずのんびりした口調だったが、コメリアは少し考え込むように腕を組んだ。
「でも、昨日は何も起きなかったじゃない。どうして今日なのかしら?」
「さあな。俺にも分からないよ」
『通知の時点から、ゲームの対象や達成条件を判断することはできません』
「まあ、そうだよな」
「だったら、考えてても仕方ないわね。早くメリーさんのところに行きましょう!」
コメリアはそう言って歩き出した。
……切り替えが早いな。
とはいえ、ここで立ち止まっていても仕方がない。俺たちは予定どおり、メリーの部屋へ向かった。
◇
扉を叩くと、ほどなくしてメリーが顔を出した。
「あ、皆さん。こんにちは」
「こんにちは、メリーさん。昨日はどうも」
フォールが穏やかに挨拶すると、メリーは軽く頭を下げた。
「わざわざ来ていただいて、すみません。どうぞ、お入りください」
案内された部屋は、昨日メリーが心配していたほど散らかってはいなかった。テーブルや棚もきちんと片付けられていて、特に変わったところは見当たらない。
「昨日、少し片付けたんです。人をお招きするのも久しぶりなので……」
「そうでしたか。お気遣いいただき、ありがとうございます」
フォールが礼を言うと、メリーは少し照れたように首を振った。
「いえ、そんな……。どうぞ、お掛けください」
勧められた椅子に腰を下ろそうとしたところで、フォールが口を開いた。
「その前に、一つ伺ってもよろしいですか?」
「はい。何でしょうか?」
「昨夜はどうでしたか? また食事が現れましたか?」
メリーは小さく頷いた。
「はい。昨夜もテーブルにスープとパンが置いてあったんです。でも、今朝起きたときには、やっぱりなくなっていて……」
「おやおや。昨夜もですか」
「はい。あの、私、本当に見たんです。何度も同じことを言っているようですけど……」
「ははは。疑っているわけではありませんよ。昨夜も同じことがあったと分かっただけでも、調べる手掛かりになりますからねえ」
「……はい」
フォールは部屋の中央にあるテーブルへ目を向けた。
「ちなみに、スープとパンが置かれていたのは、こちらのテーブルでしょうか?」
「はい、そうです」
「少し拝見しても?」
「ええ、どうぞ」
俺もテーブルに目を向けた。今は普段使っているらしい小物が置かれているだけで、食事があったことを示すようなものは見当たらない。
「メリーさん、食事を見たとき、部屋の明かりは点いていましたか?」
「明かり、ですか? ええと……すみません。そこまでは覚えていなくて」
「いえいえ、構いませんよ。では、食事のほかに、普段と違うものがあったかどうかは覚えていらっしゃいますか?」
メリーは少し考えてから、首を横に振った。
「いいえ。スープとパンのことしか……」
「そうですか。ありがとうございます」
フォールはそれ以上追及せず、部屋の中へ視線を巡らせた。
それにしても、食事が置かれていたというテーブルを実際に見ても、特におかしなところはない。誰かが持ち込んだのなら、玄関から入ってきたことになるんだろうけど……。
「フォールさん、昨日の鍵の話なんですけど。誰かが部屋に入った可能性もありますよね?」
俺が尋ねると、フォールはゆっくりと頷いた。
「ええ。ただ、そうなると、なぜ食事だけを置いていったのかが気になりますねえ」
「それなら、別の方法も考えられるんじゃない?」
横から声を掛けてきたのはコメリアだった。
「別の方法?」
「誰かが入ったんじゃなくて、食事だけを運んだってことよ。転移魔法を使ったなら、鍵は関係ないでしょう?」
……なるほど。そういう考え方もあるのか。
俺の世界なら真っ先に除外する話だけど、ここでは魔法が実際に存在している。
「でも、そんなことができるのか?」
「空間転移はあるわよ。ただ、実際に使うとなると大掛かりな魔道具が必要になるし、スープとパンを運ぶためだけに使うとは思えないけどね」
「じゃあ、可能性は低いってことか?」
「まあね。でも、絶対に違うとも言い切れないでしょ? 調べるだけ調べてみてもいいんじゃない?」
コメリアはフォールへ目を向けた。
「パパ、魔力紋を確認してみてもいい?」
「ええ。メリーさんに許可をいただけるなら、お願いします」
コメリアはメリーに向き直ると、少し姿勢を正した。
「メリーさん、お部屋に魔法が使われた痕跡がないか、確認させてもらってもいいですか?」
「魔法の痕跡、ですか?」
「ええ。何か分かるかもしれませんので」
「そうなんですね……。はい、お願いします」
メリーが頷くと、コメリアは部屋の中を確認し始めた。
俺には何を見ているのか分からないけど、魔法が使われた場所には魔力紋という痕跡が残るらしい。以前にも聞いたことはあるが、こうして実際に調査するところを見ると、改めて異世界なんだなと思う。
「……うーん」
しばらくして、コメリアが首を傾げた。
「どうした?」
「今のところ、魔力紋は見つからないわね」
「じゃあ、転移魔法じゃなかったってこと?」
「そう考えてよさそうね。転移先にも魔力紋は残るはずだから、昨夜使われたなら、今でも確認できるはずよ」
「なるほど……」
大掛かりな魔道具が必要なうえに、魔法の痕跡もない。少なくとも、転移魔法で食事が運ばれてきたという線は薄そうだ。
メリーはコメリアが調べていた場所へ目を向けた。
「あの……魔法で食事が運ばれてきたということなんでしょうか?」
「その可能性を調べてみただけですが……メリア」
フォールに促され、コメリアが頷いた。
「今のところ、魔法が使われた痕跡は確認できませんでした。ほかの可能性も調べてみる必要がありますね」
「そうですか……」
メリーは静かに頷いた。
「ところで、メリーさん。叔母様はこのアパートにお住まいでしたねえ」
フォールが話題を変えた。
「はい。すぐ近くですけど……」
「もしよろしければ、叔母様にも少しお話を伺えませんか?」
「叔母に、ですか?」
「ええ。普段のメリーさんのご様子について、何かご存じかもしれませんので」
「そうですね……。叔母なら、私が気づいていないことも知っているかもしれません」
「では、叔母様のお部屋を教えていただけますか?」
「はい。同じ階の、廊下を少し進んだところです」
メリーが教えてくれた場所を確認すると、フォールは穏やかに頷いた。
「ありがとうございます。では、今日はこのあたりで。何か分かりましたら、またご連絡しますねえ」
「はい。よろしくお願いします」
俺たちはメリーに礼を言って部屋を後にした。
廊下に出ると、フォールは教えられた方へ歩き出した。俺とコメリアもその後に続き、ほどなくしてローズの部屋の前に到着した。
フォールが扉を叩いた。




