メリー・フェリアの証言
「それでは、今日のところは私の医院まで来ていただけますか?」
依頼の話がまとまったところで、ジャンがそんなことを言い出した。
「医院ですか?」
「ええ。実は今日、メリーが診察に来る予定なんですよ。もちろん、彼女が話をしてくれるなら、ということになりますがね」
「おや、そうでしたか。それはちょうどよかったですねえ」
「いやあ、診察の前に一度フォールに相談しておきたかったものだから。急な話になってしまって、申し訳ない」
なるほど。メリーの診察があるから、その前にわざわざ事務所まで来たわけか。
「パパ、どうするの? 今日はまだ仕事が残ってるけど」
「ははは。依頼人のご相談とあれば、そちらを優先しませんとねえ」
「……帰ってきたら、ちゃんと続きやってもらうからね」
「もちろんですよ、メリア」
フォールはにこやかに答えているが、コメリアの目はまったく笑っていない。
まあ、俺も帰ってきたら書類仕事の続きだろうし、あまり他人事じゃないんだけどな。
こうして俺たちは、ジャンの医院へ向かうことになった。
◇
医院に着くと、ジャンは俺たちを待合室に案内し、診察の準備に戻っていった。
メリーが訪れたのは、それからしばらくしてのことだった。ジャンは一度こちらに顔を見せ、本人に話してみると言って診察室へ戻っていった。
「ねえ、パパ。メリーさん、話してくれるかしら?」
「どうでしょうねえ。ジャン先生からのお願いとはいえ、初めて会う探偵に生活のことを聞かれるわけですから」
「そうよね……。私だったら、ちょっと嫌かも」
「そのときは仕方ありませんねえ。無理にお話を伺うわけにもいきませんから」
コメリアは「そうね」と頷いたものの、診察室の方を何度も気にしていた。
やがてジャンが戻ってくると、俺たちを見てほっとしたように笑った。
「お待たせしたね。メリーに話してみたところ、会ってもいいと言ってくれたよ。ただ、あまり長い時間は……」
「ええ、分かっていますよ。ご本人の負担にならないようにしましょう」
「ありがとう。そうしてもらえると助かる」
ジャンに案内されて診察室へ入ると、若い女性が椅子に腰掛けていた。年齢は俺と同じくらいだろうか。こちらに気づくと少し戸惑った表情を見せたが、ジャンが声をかけると、きちんと姿勢を正した。
「メリー、こちらがフォールだよ。以前から何度か世話になっている探偵さんでね」
「初めまして。フォールと申します。こちらは娘のコメリアと、助手のクニタカ君です」
「初めまして! コメリアよ。よろしくね」
「どうも、クニタカです」
「……メリー・フェリアです。よろしくお願いします」
メリーは小さく頭を下げた。
「ジャン先生から、少しお話は伺っています。突然で申し訳ありませんが、普段の生活について、いくつかお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「はい。でも……私、何をお話しすればいいのか、よく分からなくて」
「ははは。難しく考えなくても結構ですよ。こちらからお尋ねしますので、答えられることだけお話しください」
フォールの言葉に、メリーは少し表情を緩めた。
「それにしても、先生。探偵さんにまで相談するなんて……」
「いや、私も君のことが心配でね。もちろん、何か悪いことをしていると思っているわけじゃないんだよ」
「そんなこと、分かってます。先生はいつも心配してくださいますから」
「それならいいんだが……いや、よくはないか。君がもう少し食べられるようになってくれれば、私も安心できるんだけどね」
「……ごめんなさい」
「ああ、違う違う! 謝ってほしいわけじゃないんだよ」
「先生ったら、そんなに慌てなくてもいいじゃない」
コメリアが思わず口を挟むと、ジャンは困ったように頭をかいた。
「いやあ、どうもいけないね。心配すると、つい余計なことまで言ってしまって」
「ふふっ。いつものことですから」
メリーも小さく笑い、診察室に漂っていた堅苦しさが少し和らいだ。
ジャンはどうやら普段からこんな調子らしい。医者として患者を心配するのは当然だろうけど、本人を前にすると少々慌てすぎるところがあるようだ。
「さて、メリーさん。普段はどのようにお過ごしなんでしょう?」
「普段、ですか? そうですね……ほとんど家にいます。あまり出かけることもありませんし」
「お仕事などは?」
「今はしていません。食事もろくに摂れない状態なので、働くのは難しくて……」
「そうでしたか。差し支えなければ、生活の方は大丈夫なんでしょうか?」
「はい。父と母が残してくれた蓄えがあるので、しばらくは大丈夫です。でも、ずっとこのままというわけにもいきませんから……」
メリーは少し視線を落としたが、すぐに顔を上げた。
「外に出るのも、買い物やこちらの診察に来るくらいで。家にいても、特に何かするわけじゃないんですけどね」
「お一人で暮らしていらっしゃるんですか?」
「はい。叔母が近くに住んでいますけど、普段は一人です」
「ローズさん、でしたね。よくお会いになるんですか?」
「ええ。心配して、いろいろ声をかけてくれるんです。でも……あまり手を煩わせたくなくて」
「どうして? 叔母さんなんでしょう?」
コメリアが尋ねると、メリーは少し困ったように笑った。
「叔母さんには叔母さんの生活がありますし……。それに、今住んでいる部屋だって、家賃も取らずに貸してくれているんです」
「えっ、そうなの?」
「はい。叔母が今の家の大家なんです。だから、これ以上迷惑をかけるわけにはいかないと思って……」
「そっか……。でも、きっとメリーさんのことが心配なのよね」
「ええ。それは分かっているんですけど……」
コメリアは何か言いかけたものの、メリーの顔を見て口を閉じた。
身内に頼ることを遠慮する気持ちは、俺にも何となく分かる。まして、家賃まで免除してもらっているとなれば、なおさらだろう。
「ところでメリーさん。ジャン先生から、夜中に食事を見かけることがあると伺ったのですが」
「ああ……あの話ですか」
メリーは少し恥ずかしそうに笑った。
「変な話ですよね。先生にも、そんなに気にしなくていいって言ったんですけど」
「いえいえ。変だなんてことはありませんよ。よろしければ、もう少し詳しく聞かせてください」
「ええと……夜中に目が覚めたとき、テーブルの上にスープとパンが置いてあることがあるんです」
「誰かが用意してくれたのかしら?」
コメリアが尋ねると、メリーは首を横に振った。
「それが、分からないんです。朝になると、なくなっていて……」
「なくなってる?」
「はい。でも、夜中には確かにあったんです。テーブルの上にスープとパンが置いてあって……。見間違いなんかじゃありません」
「うん。分かったわ」
コメリアは素直に頷いたが、俺にはどうにも不思議な話だった。
夜中に食事が現れて、朝には消えている。しかも、メリー自身は誰が用意したのか分からないという。
「メリーさん、その食事を見かけるようになったのは、最近なんですか?」
「はい。前はそんなことなかったと思うんですけど、最近になって何度か……」
「毎晩というわけではないんですね?」
「ええ。いつもではありません」
「なるほど。では、もう一つ。もし誰かが食事を用意していたとしたら、その方はお部屋に入ったことになりますよねえ。普段、玄関の鍵は掛けていらっしゃいますか?」
「はい。基本的に、家にいるときも鍵は掛けるようにしています」
「そうでしたか。では、食事を見かけた夜はどうだったか、覚えていらっしゃいますか?」
メリーは少し考えてから、首を横に振った。
「ごめんなさい。夜中のことなので、そこまでは……」
「いえいえ。分からないことを無理に思い出していただく必要はありませんよ」
フォールは穏やかに答え、それ以上は尋ねなかった。
「メリーさん、今日はお話ししていただいてありがとうございました」
「えっ、もういいんですか?」
「ええ。ひとまず、今日のところは。ただ、もしよろしければ、明日にでもご自宅へお伺いしてみたいのですが、いかがでしょう?」
「明日、ですか? ええ、大丈夫です。あまり片付いていないかもしれませんけど……」
「ははは。お気になさらず。普段のご様子を少し拝見できればと思っているだけですからねえ」
「それでしたら、明日は家にいますので、いつでもどうぞ」
「ありがとうございます。それでは、明日お伺いしますね」
翌日の訪問を約束したところで聞き取りは終わり、俺たちはジャンとメリーに礼を言って診察室を後にした。
◇
「……何だか、気になるわね」
医院を出たところで、コメリアがぽつりと言った。
「スープとパンのこと?」
「それもだけど……メリーさん、ずいぶん叔母さんに遠慮してたじゃない」
「まあ、いろいろ事情があるみたいだからな」
「分かってるわよ。でも、心配してくれる人にまで、あんなに遠慮しなくてもいいのに……」
「メリーさんなりに、考えてるんだろ」
「そうなんだろうけどさ……」
コメリアは少し納得のいかない顔をしていたが、それ以上は言わなかった。
「フォールさん、どう思います?」
「そうですねえ。メリーさんのお話だけでは、まだ分からないことが多いですねえ。明日、お部屋を拝見してから考えましょうか」
「やっぱり、夜中の食事が気になりますか?」
「もちろん、それも気になりますが……ジャン先生が心配されているのは、メリーさんの普段の暮らしぶりですからねえ。そちらも忘れてはいけませんよ」
「そうですね」
「それに、叔母様からもお話を伺えれば、何か分かるかもしれませんしねえ」
『都尊さん。メリーさんの証言には、夜間の状況について不明な点が残されています』
「まあ、そうだよな。本人もはっきり覚えてないみたいだし」
「ん? チャミーが何か言ったの?」
「ああ、夜中のことはまだ分からない部分が多いってさ」
「それはそうよね。……ねえ、チャミー。やっぱり寝ぼけてたってこともあるのかしら?」
『可能性はあります。ただし、現時点で判断するには情報が不足しています』
「そっかあ。まあ、そうよね」
俺も同じようなことを考えていた。ジャンは幻覚の可能性を心配していたけど、今のところはメリーの話しか聞いていない。実際に食事があったのか、それとも別の理由があるのか、まだ何とも言えないだろう。
「ところでパパ、明日はメリーさんのお部屋に行くのよね?」
「ええ。まずはお住まいの様子を拝見しましょう」
「それなら、そのあとローズさんにも会えたらいいわね。同じアパートに住んでるんでしょう?」
「ははは。メリアは気が早いですねえ。お会いできるかどうかは、行ってみないと分かりませんよ」
「分かってるわよ。会えたらって言ったじゃない!」
「おや、そうでしたか」
フォールは相変わらずの調子だが、コメリアはすっかり呆れた顔になっている。
「もう! それじゃ、今日は事務所に戻りましょうか」
「え、もう?」
「何よ。まだどこか行きたいところでもあるの?」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
「だったら、早く戻らないと。仕事が残ってるんだから!」
……ああ、そうだった。
せっかく新しい依頼が始まったと思ったのに、結局、書類仕事からは逃げられないらしい。
俺は小さくため息をつきながら、コメリアの後を追った。




