消えた食事の話
ジャンは手元の書類に目を落とし、話を続けた。
「その患者というのは、メリー・フェリアという、まだ二十歳前後の女性なんだが……」
「おや、お若い方なんですねえ。お身体の具合がよろしくないのでしょうか?」
「ああ、身体のことも心配なんだが、それだけじゃなくてね。彼女は、ほとんど食事を摂れないんだよ」
「食事を?」
「水分や最低限の栄養はどうにか摂ってくれている。ただ、普通の食事となると、なかなか難しくてね。私も何とかしてあげたいんだが……」
食事が摂れないとなれば、当然、身体にも影響が出てくる。医者として心配なのは分かるけど、どうもそれだけの話ではなさそうだ。
「先生、何か食べられなくなった理由があるんですか?」
「……彼女は以前、父親を亡くしていてね。その後、母親も働き詰めで無理が重なったらしく、亡くなってしまったんだ。それも、食事をしている最中だったそうでね」
「……そんな」
コメリアが小さく声を漏らすと、ジャンは少し声を落として続けた。
「それ以来、食事を避けるようになってしまったんだよ。本人だって、食べなければいけないことは分かっていると思うんだが……。だからといって、無理に食べさせるわけにもいかないだろう?」
「そうね……。食べなさいって言われて、簡単に食べられるなら苦労しないもの」
「そうなんだよ。少しでも食べてくれればと思うんだが、焦らせてしまっては逆効果かもしれない。私もいろいろ考えてはいるんだけどねえ」
「ジャン先生。それで、私たちには何をお手伝いすればよろしいのでしょう?」
フォールが穏やかに尋ねると、ジャンは少し慌てたように顔を上げた。
「ああ、すまない。肝心なことを話していなかったね。実は、彼女が普段どう過ごしているのか、もう少し知りたいんだ。診察のときには話をしてくれるんだが、それだけではどうにも気になってしまって」
「なるほど。近くにお住まいのご親族などはいらっしゃいますか?」
「ああ。父親の妹にあたるローズ・フェリアさんという方が、同じアパートの同じ階に住んでいるよ。彼女もメリーのことを心配しているようなんだが……」
「何か問題でも?」
「いや、仲が悪いわけじゃないんだ。ただ、メリーの方がね。叔母さんにこれ以上迷惑をかけたくないと言っていて、あまり頼ろうとしないんだよ」
「……そうなの」
コメリアは少し考え込んでから、ぽつりと言った。
「心配してくれる人がいるのに、頼れないのって……何だか寂しいわね」
「そうだね。ローズさんも、きっと同じように感じているんじゃないかな。……いや、実際にどう思っているかは、本人に聞いてみないと分からないね。私もつい、あれこれ心配してしまうものだから」
なるほど。フォールが心配性だと言っていたのも、何となく分かる気がする。
「先生、メリーさんには、探偵に相談することを伝えてあるんですか?」
「いや、まだなんだ。まずはフォールに相談してからと思ってね。もちろん、本人に黙って調べてほしいわけじゃないよ」
「ははは。それなら、まずはメリーさんにお話を伺うところからでしょうねえ」
「ああ。そうしてもらえるとありがたい」
ただ、ここまでの話を聞いていて、一つ引っかかることがあった。食事の問題は以前から続いているらしい。それなら、ジャンが今になって探偵に相談しようと思ったのは、どうしてだろう。
「ところで先生、何か最近になって変わったことはないんですか?」
「変わったこと?」
「ええ。食事の問題は以前からあったんですよね。今回、相談しようと思ったきっかけでもあるのかなって」
「ああ、実は先日の診察で、少し気になる話を聞いてね」
ジャンは手元の書類をめくり、途中の一枚を確認してから続けた。
「夜中に目が覚めると、テーブルの上にスープやパンが置いてあることがあるそうなんだ」
「……スープとパン?」
「ああ。ところが、朝になると見当たらないらしい」
「それって、誰かが片付けただけじゃないんですか?」
「私もそう思ったんだがね。誰が用意したものなのか、本人にも分からないようなんだ」
「叔母さんが持ってきたとか?」
「その可能性はあるだろうね。ただ、そこまでは確認できていないんだよ」
誰かが夜中に食事を用意して、朝になったら片付ける。別に不思議なことではないと思うが、ジャンはまだ何か気になることがあるらしい。
「本人は、特に大変なことだとは思っていないようなんだ。私も最初は、誰かが用意して片付けただけだろうと思ったんだが……」
ジャンは少し考えるように間を置いてから、慎重に言葉を続けた。
「ただ、彼女は十分に食事を摂れていないだろう? 身体への影響も心配だし、もし見たという食事が実際にはなかったのだとしたら……幻覚のような症状が出ている可能性も考えなくてはいけないと思ってね」
「なるほど。だから、普段の生活の様子を確かめたいわけですねえ」
「ああ。何でもなければ、それが一番いいんだがね」
幻覚、か。確かに、実際には存在しないものが見えている可能性も考えられる。ただ、誰かが食事を用意していたとしても、今の話だけでは確かめようがない。
「ねえ、パパ。やっぱり一度、メリーさんに会ってみた方がいいんじゃない?」
「そうですねえ。ジャン先生のお話だけでは、分からないこともありますからね」
『都尊さん。現時点では、食事が置かれた経緯と、翌朝に見当たらない理由のどちらも確認できていません』
「そうだな。そもそも、メリーさんが夜中にどんな状態で見たのかも分からないし……」
「おや、クニタカ君。何か気になることでも?」
「いや、夜中に目が覚めたときって、寝ぼけてたりするじゃないですか。見間違いとか、そういう可能性もあるのかなって」
「ははは。なるほど、確かにそういうこともあるかもしれませんねえ」
フォールはジャンへ向き直った。
「ジャン先生。まずはメリーさんに直接お会いして、普段の生活についてお話を伺ってみましょう。そのうえで、必要なことを調べていくことにします」
「ありがとう、フォール。引き受けてもらえて本当に助かるよ」
「いえいえ。まだ何が分かるかは分かりませんが、できる限りのことはしてみますよ」
こうして、俺たちは新しい依頼を引き受けることになった。
しかし、夜中に見かけたスープとパンが、朝になると見当たらない、か。
誰かが用意して、誰かが片付けた。それだけなら何も不思議じゃないけど、食事を避けているメリーに、わざわざ夜中に食べ物を用意する理由は何だろう。
……まあ、本人に会って話を聞けば、案外あっさり分かることなのかもしれないな。




