異世界の交通事情
探偵事務所では、俺とコメリアが机に向かって書類の整理をしていた。
依頼の記録や経費の明細が机いっぱいに広がっているが、コメリアは慣れた手つきで次々と仕分けていく。一方の俺は、指示されたとおりに並べるだけでも精一杯だった。
「クニタカ、それはこっち。日付の古いものから順番に並べてちょうだい」
「ああ、分かった。……それにしても、ずいぶん溜まってるな」
「誰かさんが、ちゃんと片付けてくれればいいんだけどねえ」
コメリアがちらりと視線を向けた先では、フォールさんがソファに腰掛け、優雅にお茶を楽しんでいた。
「おや、私のことですか?」
「ほかに誰がいるのよ! パパも少しは手伝って!」
「もちろんですよ。ちょうど今、手をつけようと思っていたところです」
「だったら、そのカップを置いて!」
「ははは。メリアは相変わらず手厳しいですねえ」
そう言いながらも、フォールさんはお茶をもう一口。……この調子じゃ、なかなか終わりそうにないな。
苦笑しながら次の書類を手に取ると、少し離れた町へ出向いた際の経費らしいものが目に留まった。宿泊費や食事代に混じって、馬車の利用料金が記されている。
「……へえ。馬車って、結構かかるんだな」
「距離にもよるわよ。どうしたの?」
「いや、こっちじゃ移動するのも大変そうだなと思って。遠くへ行くときも、やっぱり馬車なのか?」
「遠くって、どのくらい?」
「隣町とか、もっと離れた都市とかさ」
「それなら、ほかにもあるわよ。ねえ、パパ?」
「ええ、もちろん。……ところで、クニタカ君」
フォールさんはいつの間にかカップを置き、こちらに身を乗り出していた。ようやく仕事を始める気になったのかと思ったが、どうやら違うらしい。
「君の故郷では、どのような乗り物を使っていたんですか?」
「ああ、俺のいたところなら、車とか電車とか……遠くへ行くなら飛行機ですね」
「ほほう。聞き慣れない名前ばかりですねえ。ぜひ詳しく聞かせてください」
さっきまで仕事をする気配もなかったのに、こういう話になると途端に目が輝くんだな、この人。
「ええと、どこから話せばいいかな……。チャミー、説明を手伝ってくれるか?」
『はい、都尊さん。まず、自動車について説明しましょうか』
「ああ、頼む」
『フォールさん。自動車は、馬などの力を借りずに走る乗り物です。地球では個人で所有することも一般的です』
「馬を使わずに走る車ですか。いったい何の力で動くのでしょう?」
『主に燃料や電気を利用しています』
「それなら、こちらの魔導車と似ているかもしれませんね」
「……魔導車?」
思わず書類から顔を上げると、フォールさんは楽しそうに頷いた。
「ええ。魔道具の技術を利用して走る車ですよ。ただ、まだ誰もが気軽に使えるようなものではありませんがね」
「あるのかよ! 今まで馬車しか見なかったから、てっきりそういう乗り物はないのかと思ってましたよ」
「ははは。街中では辻馬車の方がずっと身近ですからねえ」
確かに、こちらへ来てから何度か辻馬車を利用しているけど、魔導車なんて一度も見かけなかった。馬のいない車が石畳の道を走る光景を想像してみたが、どうにも不思議な感じがする。
「地球だとタクシーとかバスも走ってますね。日本じゃ自家用車を持ってる人も多いですけど」
「ほほう。では、皆さんが自分で運転されるのですか?」
「そうですね。ただ、運転するには免許が必要なんですけど」
「免許ですか……。なるほど、誰でも自由に扱えるというわけではないのですね」
フォールさんは腕を組み、何やら納得したように頷いている。俺も何となく頷き返したところで、机の端に置いた書類が目に入った。
……あ、いかん。すっかり手が止まってる。
慌てて一枚取り上げたものの、フォールさんの興味はまだ尽きないらしい。
「ところで、先ほど電車ともおっしゃっていましたね。そちらはどのような乗り物なのでしょう?」
『線路の上を走り、一度に多くの人や荷物を運ぶ乗り物です。地球では主に電気を動力としています。日本には新幹線と呼ばれる高速鉄道もあります』
「線路……ああ、それならこちらにも似たものがありますよ。魔導機関車というのですが」
「機関車もあるんですか!」
今度こそ書類を置いてしまった。こっちへ来てから目にする乗り物といえば馬車ばかりだったから、線路を走る機関車があるなんて考えもしなかった。
「ははは。さすがに馬車だけではありませんよ」
『地球では、かつて蒸気の力を利用した機関車が広く使われていました』
「蒸気で機関車を? それは面白いですねえ」
フォールさんは顎に手を当て、しばらく考え込んでいた。さっきまでお茶を飲んでいたときとは別人のような真剣な顔だ。その熱心さを少しは書類整理にも向けてくれればいいんだけど。
「ちなみに、こっちの魔導機関車って、どこでも乗れるんですか?」
「いえいえ、さすがにそこまでは。線路が通っているところに限られますからね」
「そりゃそうか。馬車と使い分ける感じなんですね」
「ええ、そうなりますねえ」
何となく、この世界の移動手段も分かってきた気がする。馬車だけの世界だと思っていたけど、魔導車や魔導機関車まであるらしい。見た目は昔のヨーロッパみたいなのに、中身はそう単純でもないようだ。
そんなことを考えていると、フォールさんがふと思い出したように顔を上げた。
「ところでクニタカ君。先ほど、飛行機ともおっしゃっていましたね。名前からすると、空を飛ぶ乗り物なのでしょうか?」
「そうです。翼があって、空を飛ぶんですよ。日本から外国に行くときなんかも、よく使われてますね」
『大勢の乗客を乗せ、海を越えて長距離を移動することもできます』
「ほほう! 空を飛んで海を越えるとは、面白いですねえ」
フォールさんは目を丸くしている。確かに、飛行機を知らなければ、そんな乗り物が当たり前のように飛び回っているなんて信じられないかもしれない。
「そういえば、この世界には空を飛ぶ乗り物ってないんですか?」
「飛行船ならありますよ。ただ、まだ珍しいものですがね」
「飛行船!? へえ……こっちにもあるんだ」
地球でも昔は飛行船が使われていたはずだ。写真で見たことはあるけど、実物を見たことはない。まさか異世界で見る機会があるかもしれないとは思わなかった。
「ちなみに、海を越えるなら、こっちではやっぱり船なんですか?」
「ええ。人も荷物も運びますからね。船は欠かせませんよ」
「その辺は地球と同じですね。今でも大きな貨物船が世界中を行き来してますから」
「いやあ、魔法のない世界で、これほど乗り物が発達しているとは興味深いですねえ」
フォールさんはすっかり上機嫌で、まだ何か聞きたそうにしている。俺もつい話に夢中になってしまったが、ふと隣を見ると、コメリアは黙々と書類を仕分けていた。
いつの間にか、俺の前にあった書類まで彼女の方へ寄せられている。
……あれ? 何だか嫌な予感がするぞ。
『フォールさん。こちらの世界では、魔導技術を利用した乗り物と、馬車などが併用されているのですね』
「ええ。新しいものができたからといって、古いものがすぐになくなるわけではありませんからねえ」
『地球でも同様です。ただ、技術の発展には大きな違いがあるようですね』
「そうでしょうねえ。いやあ、私も地球のことをいろいろ教えていただいて、勉強になりましたよ」
『こちらこそ、貴重なお話をありがとうございました』
フォールさんとチャミーは、すっかり意気投合しているようだった。
これまでは俺が間に入らなければ会話できなかった二人が、今では当たり前のように話している。何だか妙な感じもするけど、こうしてみると、チャット機能が開放されたのは結構大きな変化なのかもしれない。
「……で、パパ?」
背後から聞こえた声に、俺は思わず肩をすくめた。
振り返ると、コメリアが書類の束を抱えたまま、こちらをじっと見ている。
「……あ」
そういえば、事務処理の途中だった。
「ずいぶん楽しそうね?」
「おや、メリア。いやあ、チャミーさんのお話がとても興味深くてねえ」
「それはよかったわね。ところで、パパが片付けるはずだった書類は?」
「……おや?」
「おや、じゃないでしょ!」
コメリアが机の上を指さした。俺が仕分けるはずだった書類も、さっきからほとんど減っていない。
「パパだけじゃなくて、クニタカまで! 二人とも、何してるのよ!」
「いや、俺は……その、乗り物の話が面白くて、つい……」
「つい、じゃないわよ! もう、二人とも!」
コメリアは呆れたようにため息をついたものの、チャミーにまで怒るつもりはないらしい。
「チャミー、こっちの世界のこと、いろいろ分かった?」
『はい、コメリアさん。フォールさんのおかげで、交通事情について理解が進みました』
「そう。それならよかったわね」
『ありがとうございます』
「でもね、それとパパたちが仕事をサボっていいかどうかは、別の話なの」
『はい。それは理解できます』
「でしょ? だったら、パパにも言ってあげてよ」
『フォールさん。書類の整理を再開されてはいかがでしょうか』
「そうですねえ。では、そろそろ始めましょうか」
「そろそろじゃなくて、最初からやってよ!」
……ああ、いつもの光景だ。
俺も慌てて書類を手に取ったが、コメリアはまだ何か考えているようだった。
「あ、そうだ。チャミー、ちょっと相談してもいい?」
『はい。何でしょうか?』
「パパがちゃんと仕事するようになる方法って、何かないかしら?」
「……メリア?」
『まず、作業に集中できる環境を整えることが有効と考えられます』
「なるほどねえ。じゃあ、仕事が終わるまでお茶は禁止にしようかしら」
「いやいや、メリア。それは少々厳しいのでは?」
「だって、お茶ばっかり飲んでるんだもの。それに、面白そうな本も片付けておかないとね」
「……本までですか?」
「当然でしょ!」
フォールさんが困ったように笑っている。さっきまであれほど楽しそうだったのに、今度は自分の楽しみを次々と取り上げられそうになっているらしい。
『ただし、適度な休憩も必要です。作業の完了後に楽しみを用意する方法も考えられます』
「あ、それいいわね! じゃあ、ちゃんと仕事が終わったら、お茶とお菓子を出してあげることにしましょうか」
「おや。それはいいですねえ」
フォールさんが嬉しそうに頷くと、コメリアも満足げに笑った。
「じゃあ決まりね! パパ、今日は全部終わらせてよ?」
「もちろんですよ、メリア。お茶とお菓子が待っていますからねえ」
……いや、それでいいのか?
さっきまで仕事をサボっていたことを怒られていたはずなのに、いつの間にかお茶とお菓子がご褒美になっている。しかも、当のフォールさんはすっかり乗り気だ。
「……なあ、チャミー」
『はい、都尊さん』
「今のやり取り、どう思う?」
『コメリアさんは、フォールさんの作業意欲を高めるために報酬を設定したものと考えられます』
「まあ、そうなんだけどさ……。あれだけ怒ってたのに、最後はお茶とお菓子で丸く収まっちゃうんだなと思って」
『……確かに、当初の問題に対して適切な解決策となっているかは不明です』
「だろ?」
『ですが、コメリアさんは納得されているようです』
「そうなんだよなあ……」
俺が苦笑すると、チャミーは少し間を置いてから答えた。
『申し訳ありません。現在の情報だけでは、コメリアさんの判断基準を十分に理解できません』
「……うん。まあ、そうだろうな」
地球と異世界の交通事情については、あれだけ詳しく比較できたのに、コメリアの考え方となると、途端に話が難しくなるらしい。
「クニタカ! また手が止まってる!」
「うわっ! ごめん!」
『都尊さん。作業の再開を推奨します』
「……お前まで言うのかよ!」
慌てて書類に目を戻すと、フォールさんが楽しそうに笑っていた。どうやらチャミーという新しい話し相手を得たことで、事務所はますます賑やかになりそうだ。
……その分、俺の仕事まで増えなきゃいいんだけどな。




