賑やかな結末
いったい誰とチャットするんだ?
スマートフォンの画面に表示された『チャット機能』という文字を見つめながら、俺は首を傾げた。
「……チャットって、あのチャットだよな? 文字でやり取りするやつ」
『一般的にはその認識で問題ありません。ただし、今回開放された機能については、詳細を確認する必要があります』
「だよなあ。そもそも、この世界にチャットする相手なんて……あれ?」
通知の下に『機能説明』という項目がある。試しにタップしてみると、画面が切り替わり、説明文が表示された。
『チャット機能』
『チャットマスターは、一定以上の信頼関係を構築した相手を、最大三名までチャットメンバーとして選択できます』
『選択されたメンバーは、チャットマスターとAIの音声会話に参加できます』
『チャット機能は、チャットマスターから半径10m以内、かつ互いに目視可能な位置にいる場合に限り使用できます』
「…………」
俺は説明をもう一度、最初から読み直した。
「……ちょっと待て。これって、もしかして……」
『都尊さん以外の人物も、私との音声会話に参加できるようですね』
「だよな!? つまり、今まで俺にしか聞こえなかったチャミーの声が、ほかの人にも聞こえるってことだろ!?」
『説明文からは、そのように判断できます』
「マジかよ……!」
この世界に来てから、チャミーとの会話はずっと俺だけのものだった。人前で話しかければ独り言にしか見えないし、何か相談しても、その内容をほかの人に伝えるには俺が間に入らなきゃならない。
それが、直接話せるようになる?
「……いや、これって結構すごい機能じゃないか?」
『少なくとも、会話に参加できる人物が増えるという点では、これまでと大きく異なります』
「そうだよな! ……ただ、誰でもいいわけじゃないのか」
一定以上の信頼関係。そんなものをスマホがどうやって判定しているのかは分からないが、条件を満たしていなければ登録できないらしい。
「しかも三人までか……。10m以内で、お互いに見えてないと駄目ってことは、離れた相手との連絡には使えないんだな」
『はい。一般的なチャットのような遠距離通信機能ではないようです』
「チャットって名前なのに、遠くの相手とは話せないのかよ!」
思わず突っ込んでしまったが、そもそも文字のやり取りですらない。名前にこだわっても仕方がないか。
「……で、肝心の登録はどうやるんだ?」
説明画面を閉じると、見慣れないアイコンが一つ増えていることに気づいた。
「……おっ、チャット? ああ、これか!」
さっそくタップすると、『登録相手選択』という画面が開いた。
そこに表示されていた名前は、二つ。
『コメリア・ディクソン』
『フォール・ディクソン』
「……おおっ! 二人ともいるじゃないか!」
『現在、登録条件を満たしているのは、そのお二人のようですね』
「なるほどなあ。信頼関係って言われてもピンとこなかったけど、ちゃんと判定されてるんだな」
コメリアとフォールさんには、今まで何度も世話になっている。二人ともチャミーのことは知っているし、直接話せるようになれば、俺がいちいち間に入る必要もなくなる。
何より、今までの説明が本当だったことも分かってもらえるはずだ。
「……よし。じゃあ、さっそく二人に……」
「ふわぁぁ……。あれ? クニタカ、もう起きてたの?」
「うわっ!?」
突然声をかけられて振り返ると、コメリアが大きく伸びをしていた。まだ眠そうな目をこすりながら、俺の方を見ている。
「何よ、そんなに驚かなくてもいいじゃない。朝から一人で何を騒いでたの?」
「ああ、いや……ちょうどコメリアに話そうと思ってたところでさ」
「私に?」
「おや、おはようございます、クニタカ君。ずいぶん早起きですねえ」
今度はフォールさんも身体を起こし、穏やかに笑った。
「あ、おはようございます、フォールさん」
「おはようございます。いやあ、昨夜はずいぶん賑やかでしたからねえ。私もすっかり眠ってしまいましたよ」
「ほんとよ。あんなに騒いだの、久しぶりだったわ」
コメリアはもう一度あくびをすると、俺の方へ向き直った。
「それで? 何の話?」
「ああ、それが……実はさっき、スマホに新しい機能が追加されたんだよ」
「へえ? 新しい機能って、何ができるの?」
「チャット機能っていうんだけど……どうやら、チャミーと俺以外の人も話せるようになるらしい」
「……えっ?」
コメリアが目を丸くした。
「それって、私にもチャミーの声が聞こえるようになるってこと!?」
「そういうこと。登録できる相手を確認したら、コメリアとフォールさんの名前が出てきたんだ」
「私とパパ!?」
「ほほう。それは興味深いですねえ」
フォールさんが身を乗り出した。
「ということは、クニタカ君がいつもお話ししているチャミーさんと、私たちも直接お話しできるわけですか」
「はい。ただ、俺の近くにいないと使えないらしいんですけど」
「それは構いませんよ。いやあ、どんな方なのか、前から興味がありましたからねえ」
「……ねえ、クニタカ」
コメリアが俺をじっと見つめている。
「それ、本当にできるの?」
「できると思うけど……。やっぱり、ちょっと信じられないか?」
「だって、今まで私には何も聞こえなかったのよ? 急に話せるようになるって言われても、想像つかないじゃない」
「まあ、そうだよな。俺だって説明を読んで驚いたくらいだし」
「だったら、早く試してみましょうよ!」
「ははっ、分かったよ。ちょっと待ってくれ」
さっきまで眠そうだったのが嘘みたいだ。
二人とも登録には乗り気らしい。俺はスマートフォンの画面に目を戻した。
「じゃあ、まずはコメリアからな」
「ええ、いいわよ。……で、私は何をすればいいの?」
「たぶん、何もしなくていいと思う。こっちで登録するだけだから」
「ふうん……」
コメリアは少し緊張した様子で俺を見ている。
俺が画面に表示された彼女の名前をタップすると、その横に『登録済み』という文字が現れた。
「おっ、できたみたいだぞ。コメリア、何か変わったか?」
「え? 別に何も……」
『おはようございます、コメリアさん』
「ひゃあっ!?」
コメリアが飛び上がった。
「な、何!? 今の声! 誰!?」
「えっ? どうした、コメリア?」
「どうしたじゃないわよ! 今、誰かが私に話しかけたの! すぐ近くから聞こえたのに、誰もいないし……!」
「あっ! チャミーの声が聞こえたのか!」
「えっ? 今のが!?」
『はい。初めまして、コメリアさん。AIアシスタントのチャミーです』
「ひゃっ! また聞こえた!」
コメリアは慌てて辺りを見回したが、当然ながら誰の姿もない。
「ちょっと、クニタカ! これ、どこから聞こえてるのよ!?」
「どこって言われてもなあ……。俺にもチャミーの姿は見えないし」
「それは知ってるわよ! でも、すぐ近くで話してるみたいなのに、どこから聞こえてるのか分からないんだけど!」
「ああ、俺も最初は変な感じだったな」
「最初って……あんた、今は普通なの?」
「まあ、慣れたからな」
「慣れるものなの、それ!?」
「毎日話してれば、案外慣れるもんだよ」
コメリアは納得できないような顔をしていたが、しばらくすると恐る恐る口を開いた。
「……ねえ、チャミー?」
『はい、コメリアさん』
「……本当に返事するんだ」
今度は飛び上がらなかった。
「じゃあ……私が今話してることも、ちゃんと分かるの?」
『はい。コメリアさんのお話は認識できています』
「へえ……」
コメリアは感心したように声を漏らし、少し考えてから、今度は俺の方を見た。
「……じゃあ、クニタカがいつも話してた相手って、本当にチャミーだったのね」
「そうだよ。これでようやく分かってもらえたかな」
「うん……。でも、実際に話してみると全然違うわね」
コメリアはもう一度チャミーに話しかけ、返事が来ると嬉しそうに笑った。
今まで俺にしか聞こえなかった声が、ちゃんとコメリアにも届いている。
分かっていたつもりでも、実際に目の前で二人が会話しているのを見ると、何だか妙な感じだ。
「ははは。メリアの様子を見ているだけでも、ずいぶん面白そうですねえ」
フォールさんが楽しそうに笑った。
「クニタカ君、今度は私もお願いできますか?」
「あ、はい。じゃあ登録しますね」
俺はもう一つの名前をタップした。
『登録済み』
『おはようございます、フォールさん』
「……おや?」
フォールさんは軽く眉を上げ、周囲へ目を向けた。
「なるほど……。これはまた、不思議な感覚ですねえ」
『初めまして。AIアシスタントのチャミーです』
「ああ、あなたがチャミーさんでしたか。初めまして、フォール・ディクソンです」
「パパ、ずいぶん落ち着いてるわね……」
「いやいや、驚いていますよ。ですが、メリアが先に体験しているのを見ていましたからねえ」
そう言って笑うと、フォールさんは少し考えるように顎へ手を当てた。
「チャミーさん、一つお尋ねしてもよろしいですか?」
『はい。何でしょうか、フォールさん』
「今、私の声が聞こえているんですよね?」
『はい。正確には、フォールさんの発言内容を認識しています』
「なるほど。では、私がクニタカ君ではなく、あなたに直接質問した場合でも、答えていただけるわけですね」
『はい。回答可能な内容であれば、お答えできます』
「ほほう……」
フォールさんは感心したように頷いた。
「では、もう一つ。チャミーさんは、今ここで何が起きているのか、どこまで分かっているんですか?」
『周囲の状況については、都尊さんから得られる情報などに基づいて判断しています。そのため、私が直接把握できない情報もあります』
「なるほど。何でも分かるというわけではないんですねえ」
『はい。私が把握していない情報については、判断できません』
「ははは。いやあ、面白いですねえ」
フォールさんは満足そうに笑った。
「クニタカ君。これまであなたがチャミーさんと相談していた理由も、少し分かった気がしますよ」
「そうなんですよ。分からないことを相談できるのは、結構助かってますから」
『ありがとうございます、都尊さん』
「まあ、たまに話が噛み合わないこともありますけどね」
『その点については、具体的な事例を挙げていただければ検証可能です』
「ああ、いや、別に今検証しなくても……」
「ふふっ。何となく分かってきたわ」
コメリアが笑った。
フォールさんも楽しそうに頷いている。二人とも、もう姿の見えない声に驚いている様子はない。
それどころか、すっかり普通に話し始めている。
「ねえ、チャミー。これからもクニタカの近くにいれば、お話しできるのよね?」
『はい。ただし、チャットマスターである都尊さんから半径10m以内にいて、互いに目視可能な状態である必要があります』
「じゃあ、離れたところから呼びかけても駄目なのね」
『その場合、チャット機能は使用できません』
「そっか。でも、一緒にいるときなら話せるのね!」
「まあ、そういうことだな」
「ふふっ。楽しみが増えたわ!」
コメリアは嬉しそうに笑うと、ふと思いついたようにチャミーへ話しかけた。
「……あ、そうだ。チャミーに聞いてみたいことがあるんだけど」
『はい。何でしょうか?』
「クニタカって、普段はチャミーとどんな話してるの?」
「えっ?」
何でわざわざチャミーに聞くんだ?
『申し訳ありません。都尊さんとの個別の会話内容については、ご本人の許可なくお答えできません』
「……えっ? そうなの?」
『はい。都尊さんの個人的な情報や、過去の会話内容を第三者に開示することはできません』
「へえ……。そういうところはちゃんとしてるのね」
「まあ、俺としても助かるけど……」
思わずそう答えると、コメリアがこちらを向いた。
「何よ、その反応。別に秘密を聞き出そうとしたわけじゃないわよ?」
「ああ、いや、そういう意味じゃなくてさ。チャミーって結構いろんなこと知ってるから、何でも答えちゃうのかと思って」
『ご安心ください、都尊さん。個人情報の取り扱いには配慮しています』
「そっか。それなら安心だな」
「……でも、何だかちょっと残念ね」
「残念って?」
「だって、クニタカがいつも何を話してるのか、少し気になってたんだもの」
「そんなに面白い話はしてないと思うけどなあ。分からないことを聞いたり、相談したり……あとは、まあ、雑談とか?」
「ふうん。雑談もするんだ?」
「そりゃ、することもあるよ」
コメリアは俺の方を見た。
「……じゃあ、今こうして話してるのも雑談なの?」
「まあ、そうなるのかな?」
『はい。現在の会話には、特定の問題解決を目的としない発言が含まれています』
「へえ! じゃあ、私もチャミーと雑談できるのね!」
『はい。もちろん可能です』
「ふふっ。だったら、これからいろいろお話しできるわね!」
コメリアはすっかり嬉しそうだ。
フォールさんも楽しそうに笑っている。
「ははは。いやあ、メリアはすっかりチャミーさんと仲良くなったようですねえ」
「だって、面白いんだもの! 姿が見えないのに、ちゃんと話せるなんて!」
「確かに不思議ですよねえ。私も、まだ聞いてみたいことがいろいろありますよ」
……なるほど。
チャミーが俺の個人的な話を勝手に教えることはないらしい。それなら安心だけど、こうして二人が普通に話しているのを見ると、今までとはずいぶん違うな。
何しろ、これまでは俺が話しかけなければ始まらなかった会話が、今は俺抜きでも進んでいるんだから。
「さて、そろそろ帰りましょうか」
ひとしきり話したところで、フォールさんが立ち上がった。
「昨夜はずいぶん遅くなってしまいましたし、帰ったら少し休みたいですねえ」
「そうね。私もまだちょっと眠いし」
コメリアも立ち上がり、服についた草を払いながら俺を振り返った。
「ほら、クニタカ! 早く行くわよ!」
「ああ、今行くよ」
俺も立ち上がり、ふと農園の方を振り返った。
朝日を浴びた小麦畑が、まだ黄金色に輝いている。昨夜はあれだけ大騒ぎだった農園にも穏やかな風が吹き、実った穂がゆっくりと揺れていた。
怪盗との勝負も終わり、三つ目のゲームも無事にクリアした。
そして、今まで俺にしか聞こえなかったチャミーの声が、コメリアとフォールさんにも届くようになった。
これはきっと、大きな変化なんだろう。
「ねえ、チャミー! 帰り道でもお話ししていい?」
『はい、コメリアさん。会話可能な状態であれば、いつでもどうぞ』
「ふふっ。じゃあ、何から聞こうかしら!」
コメリアはすっかり楽しそうだ。フォールさんも隣で笑っているし、チャミーだって、聞かれればいつもどおりに答えるんだろう。
……まあ、二人とも喜んでくれてるみたいだし、いいか。
「クニタカ、何してるの? 置いてくわよ!」
「ああ、分かったって!」
俺が歩き出すと、コメリアは早速チャミーに何かを尋ね始めた。すぐに返事が聞こえてきて、フォールさんもその会話に加わっている。
ついさっきまで、チャミーの声を聞けるのは俺だけだったのに。
コメリアは楽しそうに話しかけ、チャミーもいつもどおりに答えている。俺が口を挟む暇もない。
……ようやく独り言じゃないって証明できたのはいいけど。
俺とチャミーの静かな会話は、どうやら今日で終わりらしい。




