怪盗、参上!
あれからしばらく時間が経ち、農園はすっかり夜の闇に包まれていた。
結局、あの後は老人に畑を案内してもらい、野菜についての話をたっぷり聞かされた。どれも見事な出来栄えで、思わず感心してしまったほどだ。その後、深夜の予告時刻に備えて全員で仮眠を取り、今は農園の入口が見える場所に集まって怪盗の到着を待っている。
空には月が浮かび、淡い光が畑を照らしていた。ところどころに設置された照明の魔道具も周囲を明るく照らしており、夜中とはいえ、農園の様子は十分に見渡せる。
隣にいたフォールさんが懐から懐中時計を取り出し、文字盤に目を落とした。
「クニタカ君、そろそろ予告の時刻ですねえ」
のんびりした口調で声をかけてくる。
「そうですね……。本当に来るんですよね?」
「ええ。これまでのことを考えれば、まず間違いないでしょうねえ」
その返事を聞いて、俺は改めて農園の外周へ目を向けた。木柵に取り付けられた鳴子も、その内側に張り巡らされた有刺鉄線網も、今のところ何の変化もない。月明かりの下、畑には静かな夜の景色が広がっていた。
少し離れたところでは、老人が満足そうに畑を眺めている。その横でコメリアは腕を組み、入口の方へ目を向けていた。
「なあ、チャミー。あの怪盗、どうやって入ってくると思う?」
『怪盗の能力についての情報が不足しているため、侵入方法の予測は困難です』
「やっぱりそうか。あの有刺鉄線網をどうするつもりなんだろうな……」
木柵を越えるだけなら、何とかなるかもしれない。だが、その先には有刺鉄線網が待ち構えている。俺が外周を見渡しながら考え込んでいると、背後から老人の声が聞こえた。
「ほっほっほっ。まあ、見ておれば分かるじゃろう」
振り返ると、老人はいつの間にかこちらへ歩いてきていた。予告の時刻が迫っているというのに、その顔には相変わらず余裕の笑みが浮かんでいる。
「おじいちゃん、そろそろよ」
「うむ。分かっとるぞい」
コメリアの声に頷いた老人が入口の方へ向き直ると、それにつられるように俺も視線を戻した。
辺りは静かだった。夜風に揺れる作物の葉擦れと、時折聞こえる虫の声。そんな農園の日常的な音が、かえって予告時刻の近さを意識させる。
……いよいよか。
何が起こるのか分からないまま、俺は手元のスマートフォンに目を落とした。
その瞬間、突然画面の表示が切り替わった。
『ゲームスタート』
「……え?」
見間違いじゃない。画面には、はっきりとその文字が表示されている。
「ちょ、ちょっと待て……。ここで!?」
『都尊さん。ゲーム開始の通知を確認しました』
「いや、確認したけど! 今回もゲームの対象なのか!?」
『通知が表示された以上、そのように考えられます』
俺は慌てて顔を上げた。目の前にあるのは、怪盗の到着を待つ農園だ。
……まさか、これが今回のゲームなのか?
そう思った、そのとき。
一陣の風と共に、外周の鳴子が一斉に鳴り響いた。
「なっ!?」
突然の騒音に驚いて顔を上げると、外周の木柵の上に一つの人影が立っていた。風を受けて大きくたなびくマント。その人物は木柵の上からこちらを見下ろし、堂々と胸を張っている。
「ふはははは! 待たせたのう!」
高らかな笑い声が、鳴子の音にも負けず響き渡った。
「予告の時刻は来た! 今宵こそ、わらわがその宝をいただいてゆくぞ!」
その人物は片手を大きく掲げると、夜空を背にしてマントを翻した。月明かりを受けたマントが風に広がり、まるで舞台の幕のように揺れている。
「刮目するがよい! 大怪盗レッドリザード、ここに参上じゃ!」
……おお。
なんというか、想像していた大怪盗そのものの登場だ。あの堂々とした立ち姿といい、風になびくマントといい、やたら芝居がかった口上といい、妙に様になっている。
しかも、名乗り終えたあともすぐには動かない。木柵の上で胸を張ったまま、こちらの反応を待っているようにも見える。
……ひょっとして、拍手でもした方がいいんだろうか?
「いやあ、今回も実に見事な登場ですねえ」
フォールさんまで感心したように頷いている。どうやら、この派手な登場もすっかりお馴染みらしい。
「ほっほっほっ! ようやく来おったか!」
老人が嬉しそうに笑う一方、コメリアは顔をしかめた。
「もうっ! 毎回毎回、風魔法で鳴子を全部鳴らして! おまけに声まで響かせるんじゃないわよ! うるさいったらないんだから!」
……えっ? 風魔法?
俺はもう一度、木柵の上に立つ怪盗を見上げた。マントは相変わらず、見事なまでに風になびいている。
……まさか、そのマントをかっこよくなびかせるためにも、わざわざ風を起こしてるんじゃないだろうな?
よく見ると、周囲の木々はそれほど揺れていない。それなのに、怪盗のマントだけはやたらと勢いよくはためいている。
……いや、絶対やってるだろ、これ。
当の本人はそんな俺たちのやり取りには構わず、満足げに片手を腰へ当てると、もう一方の手を優雅に振ってみせた。
……うん。完全に舞台の上の役者だな。
そんなことを考えていると、レッドリザードはマントを翻し、木柵の上から軽やかに飛び降りた。着地するや否や、今度は内側に張り巡らされた有刺鉄線網へ向かって駆け出す。
「お、おい! そっちは――!」
俺が声を上げるより早く、怪盗は地面を蹴った。
「ふはははは! このような障害など、わらわには無意味なのじゃ!」
勢いをつけた側転から、そのまま後方宙返りへ。流れるような動きで有刺鉄線網を飛び越え、危なげなく着地してみせた。
「おおっ! すげえ!」
思わず声が出た。あれだけの動きを軽々とこなすなんて、さすがは大怪盗と名乗るだけのことはある。
しかも、着地したレッドリザードは、その勢いのまま片膝をつき、片腕を大きく広げてみせた。どうやら着地の姿勢にまでこだわりがあるらしい。
『しかし、都尊さん。あれほどの運動能力があるのであれば、普通に跳び越えた方が効率的だと思われます。あの動作にどのような意味があるのか不明です』
「カッコつけさせてあげて!?」
せっかく見事な技を披露したのに、そんな身も蓋もないことを言わなくてもいいだろ!
当のレッドリザードはというと、こちらのやり取りなど気にも留めず、立ち上がってマントを大きく広げ、得意げに胸を張っていた。
……いや、だから誰に見せてるんだよ、そのポーズ。
そんな怪盗の姿を眺めながら、老人が愉快そうに笑った。
「ほっほっほっ。相変わらず見事な身のこなしじゃのう。じゃが、まだまだ始まったばかりじゃて。そのくらいは予定どおりよのう」
そして、ゆっくりと腕を組み、農園の奥へ目を向ける。
「さて、ここからが本番じゃのう」




