農園?
「……はっ?」
農園に到着した俺の口から、思わず間の抜けた声が漏れた。
目の前には、よく手入れされた畑が広がっている。風に揺れる小麦の穂や、支柱に絡みつく蔓、青々と葉を茂らせた野菜など、さまざまな作物が区画ごとに整然と植えられていた。傾き始めた夕日が畑を柔らかく照らし、奥には農家らしい建物も見える。いかにものどかな田舎の農園といったところだ。
ただし、その周囲を囲んでいるものを無視できれば、の話だが。
農園の外周には木柵が巡らされ、そのあちこちに鳴子が取り付けられている。ここまでは、まあ分からなくもない。問題は、その内側に設けられた有刺鉄線網の壁だった。
……いや、待て。有刺鉄線網? しかも二重の囲い?
ここ、農園だよな? 軍事施設じゃないよな?
「フォールさん……あの、ここって本当に農園なんですか?」
「ええ、もちろんですよ。立派な農園でしょう?」
「いや、畑は立派ですけど! 何ですか、あの有刺鉄線!?」
「ああ、あれですか。侵入を防ぐためのものですねえ」
「それは分かりますよ! 何で農園にあるんですか!?」
フォールさんは柵を眺め、少し困ったように笑った。
「まあ、こちらは少々特別ですからねえ」
特別って、何が?
問い返そうとしたところで、フォールさんは入口へ向かって歩き出した。慣れた様子で二重の囲いを抜けていく背中を追いながら、俺は改めて農園の中を見渡す。
畑の作物はきれいに列を作り、通路も歩きやすいように整えられていた。農園としては申し分ない光景なのだが、ところどころに妙に頑丈そうな仕切りがあり、何かを移動させたような跡も残っている。
『都尊さん。一つ気になる点があります』
スマートフォンからチャミーの声が聞こえてきた。
「何だ、チャミー?」
『怪盗は、なぜ事前に予告状を送るのでしょうか。相手に警戒されることは、盗みを成功させるうえで不利なはずですが』
「……確かにな。わざわざこんなものまで準備されるんだからな」
『現時点では、合理的な理由を特定できません』
俺は改めて有刺鉄線網を振り返った。わざわざ予告状を送って、こんなものまで用意されるとは。怪盗というのも、ずいぶん面倒なことをするものだ。
そんなことを考えていると、家の方から聞き覚えのある声が飛んできた。
「あっ、パパ! クニタカも来たのね!」
コメリアがこちらに向かって歩いてきた。俺たちの姿を見つけて笑顔を見せたものの、近づくにつれてその表情が少し険しくなる。
「メリア、どうでしたか?」
「……やっぱり、やり過ぎてたわ。ある程度は撤去させたけど……もう、ほんっとに油断も隙もないんだから!」
コメリアは大きく息を吐き、畑の奥を振り返った。フォールさんが「おやおや、それは大変でしたねえ」と労うと、今度は俺の方へ向き直る。
「クニタカ。あんた、勝手にその辺を歩き回っちゃ駄目よ。何か気になるものがあっても、触る前に私かパパに聞くこと。いい?」
「……ちょっと待ってくれ。今、撤去したって言ったか?」
「言ったわよ。それがどうかした?」
俺は思わず、通ってきたばかりの有刺鉄線網を振り返った。
「……あれで撤去した後なのか?」
「そうよ。だから、まだ何が残ってるか分からないんだから、勝手なことしないでって言ってるの!」
コメリアは腰に手を当て、俺の返事を待っている。普段の彼女なら多少の危険があっても自分から飛び込んでいきそうなものだが、今は冗談を言う余裕もなさそうだった。
「分かった、分かった。勝手に触ったりしないよ」
「ならいいわ。……まったく、おじいちゃんったら、私が何か言うたびに『分かっとる』って笑うんだから。パパからもちゃんと言っておいてよね!」
「ははは……。まあ、昔からそういう方ですからねえ」
「笑い事じゃないわよ、もう!」
どうやら、俺が来る前からずいぶん苦労していたらしい。
俺たちはコメリアの案内で家の方へ向かった。途中、畑の間に置かれた仕切りが気になって足を緩めると、彼女がさりげなく俺の前へ出て進路を変える。何も言われなかったが、そこには近づかない方がよさそうだ。
家の前では、一人の老人が何やら作業をしていた。
「おお、フォールさん。来てくれたかね」
「こんにちは。お久しぶりですねえ」
「ほっほっほっ。メリアちゃんも来てくれたし、今日は賑やかでええのう」
老人は手を止め、にこやかに俺たちを迎えた。白髪の、人のよさそうなおじいちゃんだ。穏やかな声と柔らかな笑顔は、さっきまで見てきた物々しい農園の設備とはどうにも結びつかない。
「こちらが、今回予告状を受け取られた方ですよ。クニタカ君」
「あ、初めまして。環都尊です」
「おお、君がクニタカ君か。フォールさんから話は聞いとるよ。ほっほっほっ、若い人が来てくれるとはありがたいのう」
老人は嬉しそうに笑い、俺にも座るよう勧めてくれた。勧められるまま腰を下ろすと、今度は畑の方を指さす。
「どうじゃね、うちの畑は。なかなかのものじゃろう?」
「あ、はい。作物もよく育ってますし、すごくきれいに手入れされてますね」
「ほっほっほっ。そう言ってもらえると嬉しいのう。手間をかけた甲斐があるというものじゃ」
畑を褒められたのがよほど嬉しいらしく、老人は満足そうに頷いた。だが、俺としては作物よりも、外周を取り囲んでいた物騒な設備の方が気になって仕方がない。
「あの……外の柵も、全部おじいさんが?」
「うむ。大事な畑じゃからのう。勝手に入られては困るし、備えは必要じゃろう?」
「まあ、それはそうですけど……」
「今回は特に、わざわざ予告状まで届いたからのう。せっかくじゃし、少しばかり手を加えてみたんじゃよ」
「少しばかり!? あれで少しばかりなんですか!?」
「ほっほっほっ。まだまだ工夫の余地はあるんじゃがのう」
「おじいちゃん!」
コメリアがすかさず口を挟んだ。
「そうやって、また何か増やすつもりでしょ! さっきあれだけ片付けさせたばっかりなのに!」
「ほっほっほっ。せっかく準備したんじゃがのう」
「準備するのはいいけど、加減ってものがあるでしょ! クニタカだって来てるんだから、危ないものは駄目よ!」
「うむうむ。メリアちゃんの言うことももっともじゃ」
老人は何度も頷いているが、口元には相変わらず笑みが浮かんでいる。コメリアはしばらくその顔を睨んでいたものの、やがて諦めたように息を吐いた。
「……もう。ほんとに分かってるんだか」
「ほっほっほっ。心配かけてすまんのう」
まるで叱られている孫と、それを面白がっている祖父の立場が逆になったような光景だ。フォールさんも慣れているのか、二人のやり取りを穏やかに見守っている。
ひとまず話が落ち着いたところで、俺は予告状について尋ねてみることにした。
「あの、今回の怪盗って、以前にもここへ来たことがあるんですか?」
「おお、レッドリザードのことかね。うむ、あやつとは何度かやり合っとるよ」
老人は椅子に腰を下ろし、実に愉快そうに目を細めた。
「狙いを定めたものを盗む前に、わざわざ予告状を送ってくる。しかも、こちらが守りを固める時間まで与えてくれるんじゃ。なかなか律儀な怪盗じゃろう?」
「律儀って……それ、盗む側が不利になるだけじゃないですか?」
「普通ならそうじゃろうな。じゃが、あやつはそれも楽しんでおるようでのう。こちらが工夫を凝らせば、向こうも負けじと挑んでくるんじゃよ」
老人の口調には、迷惑な泥棒について語るような苛立ちはまるでなかった。むしろ、昔の楽しい出来事でも思い出しているようだ。
「実際、レッドリザードの腕前は確かなものですよ」
フォールさんが話を引き継いだ。
「予告状を出すということは、それだけ相手に警戒されるわけですからねえ。それでも挑戦を続けているのですから、決して油断できる相手ではありません」
「なるほど……。相当、自信があるってことですか」
「ええ。それに、レッドリザードはヴァンパイアですからねえ」
「……ヴァンパイア!?」
思わずフォールさんの顔を見た。予告状を送りつけてくる大怪盗というだけでも十分厄介そうなのに、そんな種族だったとは。
「ええ。種族としての能力も高いですから、普通の相手と同じようには考えられませんよ」
フォールさんの言葉を聞いて、俺は改めて老人の方を見た。ところが本人は、湯飲みを片手に相変わらず楽しそうに笑っている。
「ほっほっほっ。だからこそ、こちらも工夫のしがいがあるというものじゃ。簡単に諦めるような相手では、張り合いがないからのう」
「……いや、おじいさん。相手が強いほど危険なんじゃないですか?」
「なに、あやつのことはそれなりに知っとるからのう。それに、こう見えても昔は少々荒っぽい仕事をしとったんじゃよ」
「荒っぽい仕事?」
「こちらの方は、以前、軍にいらっしゃったんですよ」
フォールさんの言葉に、俺は思わず姿勢を正した。
「軍人だったんですか?」
「ええ。それも、特殊工作部隊の部隊長を務めておられた方でしてね」
「……は?」
老人とフォールさんの顔を交互に見比べる。特殊工作部隊、それも部隊長だって? この、にこにこ笑っているおじいちゃんが?
「ほっほっほっ。もう昔の話じゃよ。今はただの農家のじいさんじゃ」
いや、絶対ただの農家じゃないだろ!
外周の有刺鉄線網も、畑の中の妙に頑丈な仕切りも、元特殊工作部隊長が用意したものだと思えば納得できる。……いや、納得はできるけど、農園に必要かどうかは別問題だろ。
『都尊さん。先ほどの予告状についてですが』
「ん?」
『少なくとも、農園の所有者は怪盗との勝負を楽しんでいるようですね』
「……ああ。そう考えると、あの張り切りようも分かる気がするよ」
もっとも、怪盗の方が何を考えているのかは、まだ分からない。
「さて、せっかく来てくれたんじゃ。畑も見ていってくれるかのう? 今年はなかなかよい出来なんじゃよ」
老人は何事もなかったように立ち上がり、嬉しそうに畑へ目を向けた。
「私は遠慮しとくわ。さっきまで散々見て回ったし、もう疲れちゃった。予告の時間は深夜なんでしょ? それまで少し寝かせてもらうわね」
「ほっほっほっ。そうかそうか。ゆっくり休んでおくれ」
「おじいちゃんも、私が寝てる間に変なもの増やさないでよ!」
「うむうむ。分かっとる、分かっとる」
「……ほんとに分かってるんでしょうね?」
コメリアは疑わしそうに老人を見つめていたが、結局それ以上は何も言わず、家の中へ入っていった。
……まあ、あの様子じゃ疲れるのも無理はない。
俺は老人たちと一緒に畑へ向かった。きれいに並んだ作物の間を歩いていると、先ほどまでの物騒な話が嘘のように、のどかな農園の風景が広がっている。
もっとも、作物の向こうには有刺鉄線網が見えているのだが。
こんな場所に、予告状を出してまで盗みに来る怪盗がいるという。しかも、その相手を迎え撃とうとしているのは、元特殊工作部隊長のおじいちゃんだ。
……何だか、俺が想像していた怪盗事件とは、ずいぶん様子が違ってきたぞ。




