コメリアの魔法講座
氷の橋の事件も一段落し、俺は事務所で書類を整理しているコメリアを眺めていた。
彼女は積み上がった書類を手際よく仕分けている。フォールさんが溜め込んだ仕事も、少しずつ片付いているようだ。もっとも、机の上にはまだ相当な量が残っているけど。
「……何よ。さっきからこっちばっかり見て」
「ああ、いや。ちょっと魔法のことで聞きたいことがあってさ」
「魔法? 別にいいけど」
コメリアは書類を机に置き、こちらへ向き直った。せっかく手を止めてくれたので、以前から気になっていたことを聞いてみる。
「そういえば、あの氷の橋を作ったとき、糸を使ってただろ? あれって必要なのか?」
「絶対に必要ってわけじゃないわよ。でも、糸を魔法の通り道にすれば、離れた場所にも作用させやすくなるの」
なるほど。あの糸は、単に橋の形を決めるためだけのものではなかったらしい。
「じゃあ、糸がなくても同じことはできるんだな」
「できる人はいるわよ。でも、ああいう方法を使えば、多少魔法に慣れてる人なら比較的簡単にできるの。わざわざ難しい方法を使う必要もないでしょ?」
あれだけ大がかりなものを作っておいて、比較的簡単と言われると、何とも複雑な気分になる。魔法を使えない俺からすれば、どちらも十分すごいことなのだが。
「それにしても、魔法って何でもできそうだよな」
「何でもってわけじゃないわよ。できないことだってあるんだから」
「そうなのか?」
「当たり前でしょ。クニタカ、そもそも魔法についてどれくらい知ってるの?」
改めて聞かれると困る。こっちの世界に来てから何度か魔法を見聞きしているものの、その仕組みについてはほとんど教わっていない。
「……氷の橋が作れる」
「それ以外は?」
「……」
コメリアは呆れたようにため息をつくと、書類を脇へ寄せて椅子に座り直した。
「じゃあ、基本から教えてあげるわ。魔法には大きく分けて二つの種類があるの」
そう言って、指を二本立てる。
「自然現象系魔法と、法則干渉系魔法よ」
「……いきなり難しそうな名前が出てきたな」
「名前ほど難しくないわよ。自然現象系は、その名の通り自然界で起こる現象を魔法で発生させたり、操ったりするものね。火を出したり、水を動かしたりするのもそうよ」
それなら何となく分かる。少なくとも、俺がこれまで見てきた魔法の多くは、そちらに当てはまりそうだ。
「基本になる属性は、火、水、風、土、光、闇、雷、重力の八つ。まあ、基本とは言っても、雷と重力はよほどの素養がないと使えないけどね」
「重力まであるのか……。それに、闇って何をするんだ?」
「光を遮ったり、弱くしたりするの。別に黒い何かを作り出すわけじゃないわよ」
闇と聞いて想像したものとは少し違うが、光を遮るという説明なら理解できる。どうやら、魔法の名前だけで効果を判断するのは危険らしい。
「じゃあ、氷は? 基本の八つには入ってないよな」
「水の応用ね。水魔法が得意な人ほど、氷結魔法も使えるようになりやすいのよ」
「なるほど。氷って独立した属性じゃないんだな」
「ええ。ほかにも熱や音、磁力なんかがあるわ。基本の属性から派生する魔法ね」
水から氷というのは分かりやすい。音や磁力まで魔法で扱えるとなると、応用範囲は相当広そうだ。
ところが、そこでスマートフォンからチャミーの声が聞こえてきた。
『一点、疑問があります。水を凍らせるには熱エネルギーを奪う必要があります。現象としては、水の操作よりも熱の操作に近いのではないでしょうか』
……ああ、確かに。
医学部で学んだ知識を持ち出すまでもなく、水が凍るには温度が下がる必要がある。だとすれば、熱を操る魔法でも同じことができそうだ。
「どうしたの、クニタカ?」
「いや、氷を作るなら、熱を操る魔法でもできるんじゃないかと思ってさ」
「ああ、そういうこと。まあ、考え方としては間違ってないんじゃない?」
コメリアはあっさりと答えた。
「でも、火魔法が得意な人って、普通は火を出したり熱くしたりする方向で考えるでしょ? わざわざ冷やそうとはしないわよ。水魔法が得意な人なら、水を凍らせるって考える方が自然じゃない」
「なるほど。魔法の分類と、現象の仕組みは必ずしも同じじゃないんだな」
「そういうこと。得意な魔法から覚えていく方が分かりやすいでしょ?」
『理解しました。魔法の分類には、術者の習得適性や発想も関係しているということですね』
チャミーも納得したらしい。もっとも、コメリアには今の声は聞こえていないので、俺が二人分の説明を聞いているようなものだ。
「で、もう一つの法則干渉系っていうのは?」
「自然には起こらないことを実現する魔法ね。例えば、空間に干渉して別の場所へ移動するとか」
「転移魔法か! それは便利そうだな」
「便利だけど、自然現象系とは違って、専用の魔道具が必要なの。魔法使いが自分の力だけで何でもできるわけじゃないわよ」
魔法にも道具が必要なものと、そうでないものがあるらしい。何でも術者の能力だけで済ませられるなら便利だろうが、さすがにそこまで都合よくはいかないようだ。
「じゃあ、時間を止めたり、過去に戻ったりする魔法もあるのか?」
「そんな魔法はないわよ」
「……ないのか」
「死んだ人を生き返らせる魔法もないし、何もないところから好きな物を作り出す魔法もないわ。魔法だからって、何でもありじゃないんだから」
時間を戻せたり、死者を生き返らせたりできるなら、事件の捜査もずいぶん楽になりそうだが、残念ながらそんな便利な方法は存在しないらしい。
もっとも、そういう魔法があったら、そもそも事件の意味が変わってしまいそうだけど。
「そういえば、事件の捜査で魔力紋って言葉が出てきたよな。あれも魔法の一種なのか?」
「違うわよ。魔法を使った場所に残る、魔力の痕跡のこと。魔法に詳しい人なら調べられるし、専用の魔道具でも検出できるわ」
「指紋みたいなものか?」
「似てるけど、誰が使ったかまでは分からないわよ。分かるのは魔法が使われたことと、その属性くらいね」
指紋なら、条件が揃えば誰が触れたかを調べられる。だが、魔力紋はそこまで便利なものではないらしい。
「いつ使ったかは分かるのか?」
「正確な時間は分からないわ。少なくとも三日間は残るけど、何時に使ったかまでは判断できないもの」
「じゃあ、同じ場所で何回も使った場合は?」
「同じ属性なら、何回使ったかも分からないわよ」
氷の橋の事件でも、魔法が使われたという事実と、それをどう使ったのかは別の話だった。魔力紋は重要な手掛かりになるが、それだけで事件の全容が分かるわけではない。
「……思ったより分からないことが多いんだな」
「だから捜査では、ほかの証拠も必要になるんでしょ?」
コメリアはそう言って、机の上に残った書類へ視線を向けた。そろそろ仕事に戻りたいのかもしれない。
俺もこれ以上邪魔するつもりはなかったのだが、せっかく魔法について聞けたことで、別の疑問が湧いてきた。
「しかし、魔法って面白いな。俺にも使えるようになったりするのかな?」
「さあ? 試してみれば?」
「えっ、教えてくれるのか?」
「別にいいわよ。せっかくだし、やってみる?」
思いがけない申し出に、俺は思わず身を乗り出した。異世界に来てからというもの、魔法は見るばかりだったのだ。自分でも使えるかもしれないとなれば、興味が湧かないはずがない。
「ぜひ!」
「じゃあ、まずは……」
コメリアはそこまで言って、ふと口を閉じた。
「……まずは?」
「ちょっと待って。クニタカって、魔法を使ったことないのよね?」
「もちろん」
「魔法についても、今日聞いたことくらいしか知らない?」
「そうだけど?」
コメリアは腕を組み、難しい顔で考え込んでしまった。先ほどまであれほど流暢に説明していたのに、どうしたのだろう。
「……コメリア?」
「いや、ちょっと。何から教えればいいのかしら……とりあえず、ぎゅーっとやって、ぱっとやってみて」
「わかるかっ!?」
思わず突っ込んでしまった。
さっきまで自然現象だの法則干渉だのと説明していた人間が、いざ実技となった途端に「ぎゅーっとやって、ぱっ」である。
どうやら、魔法が使えることと、魔法を教えられることは別問題らしい。
俺は手元のスマートフォンに視線を落とした。
「チャミー。何かいい方法はないか?」
『申し訳ありません。現時点では、この世界における魔法の習得方法について、ぎゅーっとやってぱっ、くらいしか十分な情報がありません』
「おいっ……」
『コメリアさんも同様の状況にあるようです』
「それは見れば分かるよ!」
「……何よ、いきなり大きな声出して」
コメリアが怪訝そうにこちらを見る。しまった。チャミーの声は彼女には聞こえていないのだった。
「あ、いや、何でもない」
「何でもないって……失礼ね!」
どうやら、俺の初めての魔法講座は、実技に入る前に早くも行き詰まったらしい。
……とりあえず、魔法の勉強より先に、コメリアの機嫌を直す方法を考えた方がよさそうだ。




