実演
フォールの言葉に、コメリアは少し疑わしそうな目を向けた。
「……パパ、まさか私にあの塀を越えろって言うんじゃないでしょうね?」
「おや、そんな危険なことを娘にさせる父親だと思われていたとは。少々悲しいですねえ」
「レードスさんまで一緒になって何か企んでるんだもの。警戒くらいするわよ」
「おいおい、俺まで悪者扱いか」
「最初からちゃんと説明してくれれば、こんなこと言わないわよ」
コメリアがじろりと睨むと、レードスは苦笑しながら近くの捜査員を呼び寄せた。フォールが二台の脚立を用意してほしいと頼むと、捜査員は屋敷の方へ向かっていく。
その間にフォールは庭の木々を見上げ、塀の外側にある木との位置関係を確かめていた。
「今回の侵入方法には、あの木々が使われたと考えています。ただ、実際の場所で再現するのは危険ですから、少し規模を小さくして確かめましょう」
「木を使って侵入したってことですか?」
「ええ。もっとも、木から塀へ飛び移ったわけではありませんよ。そこに何があれば、向こう側まで渡れると思いますか?」
俺は塀の向こうを眺めた。堀を挟んだ二本の木。その位置を見比べているうちに、さっきフォールさんが容疑者を庭師だと推測した理由にも思い当たった。
なるほど。庭師なら、塀の内側だけでなく、外側の木の位置や高さも把握していておかしくない。
でも、そこからどうやって向こう側へ渡るんだ?
「……橋、ですか?」
「その通りです」
「いや、でも、橋なんてなかったですよね?」
「今は、ありませんね」
フォールが含みのある笑みを浮かべたところで、捜査員たちが脚立を運んできた。庭の開けた場所に二台を離して設置すると、フォールは片方を塀の外側の木、もう片方を内側の木に見立てるよう説明した。
脚立を運んできた捜査員たちも、そのまま近くに残っている。レードスが特に持ち場へ戻るよう指示しないところを見ると、どうやら彼らにも実演を見せるつもりらしい。
フォールは懐から小さな糸巻きを二つ取り出し、コメリアへ差し出した。
「メリア、この糸を使って、二台の脚立の間に氷の橋を作ってもらえますか?」
「……刺繍糸?」
コメリアは受け取った糸巻きをしばらく眺め、それから父親の顔を見た。
「なるほどね。そういうこと」
「おや、もう分かりましたか?」
「二本あるんだから、大体はね。糸を芯にして氷を伸ばせばいいんでしょ?」
「ええ。さすがはメリアです」
「褒めたって、さっきのことは忘れないからね」
そう言いながらも、コメリアはさっそく片方の脚立へ向かった。
糸の端を上部に固定すると、巻きから少しだけ引き出して指先でつまむ。何をするのかと見守っていると、その細い糸が白く凍り始めた。
コメリアは糸を少しずつ送り出していく。普通なら重みで垂れ下がるはずなのに、凍った部分はまっすぐ前へ伸び、空中に細い線を描いていった。時折その先端を確かめながら長さを調整し、やがて反対側の脚立に届かせると、先端の氷を広げて固定する。
「……すげえ」
思わず声が漏れた。
コメリアはそんな俺をちらりと見て、少し得意そうに笑った。
「まだ一本目よ。これだけじゃ橋にはならないわ」
今度は二つ目の糸巻きを手に取り、少し横へずらした位置から同じように伸ばしていく。一度手順を確かめたからか、今度は迷う様子もなく、二本目の糸を反対側まで届かせた。
二台の脚立の間には、氷に覆われた細い糸が平行に並んでいる。
「ここからどうするんだ?」
「見てれば分かるわよ」
コメリアは二本の糸へ手を向け、少し表情を引き締めた。
細い氷の線が徐々に太くなり、その間にも白い氷が広がっていく。最初は頼りない二本の棒にしか見えなかったものが、互いにつながり、厚みを増しながら一枚の板のような形へ変わっていった。
コメリアは途中で一度手を止め、出来上がりかけた氷の状態を確かめると、さらに魔法を加えた。両端を包む氷が厚くなり、橋の表面にも新たな氷が重なっていく。
やがて、二台の脚立の間に透明な橋が架かった。
「……本当にできた」
さっきまで何もなかった場所に、氷の橋が浮かんでいる。
実際に目の前で作られたのだから疑いようもないんだけど、どうにも現実感がない。俺の知っている氷とは、ずいぶん使い勝手が違うらしい。
いつの間にか、脚立を運んできた捜査員たちも手を止め、氷の橋を見つめていた。中には驚いた様子で顔を見合わせる者もいる。
レードスはそんな彼らの反応を横目で確かめると、満足そうに口元を緩めた。
「どう、パパ? こんなものでいい?」
「ええ、見事です。レードス、これなら十分でしょう?」
レードスは橋を眺めながら頷いたが、すぐにコメリアへ目を向けた。
「向こう側まで固定できたのは、糸に魔力を通しているからか?」
「そうよ。糸がつながっているから、離れた先にも魔力を通せるの。向こう側を凍らせて固定するのも、それほど難しくないわ」
「なるほどな。両端を固定してから氷を厚くすれば、橋として使えるというわけか」
「そういうこと。ただ、実際に人が渡るなら、長さや重さに合わせてもっと慎重に作る必要はあるわね」
コメリアはそう言いながら、橋の端を軽く確かめていた。
俺は氷の橋と、彼女が手にしている糸巻きを見比べた。最初は何の役に立つのか分からなかった刺繍糸が、こんな使われ方をするとは。
「チャミー、これって糸がなかったらどうなるんだ?」
「都尊さん、今回の方法では、糸が氷を形成する方向と位置を定める役割を果たしていると考えられます。糸を使わず同じ構造を作れるかどうかは、術者の能力にもよるでしょう」
「そうか……。少なくとも、あの細い糸があれば作りやすくなるってことだな」
ただの糸が、魔法を使うと橋の骨組みになる。そんな発想、俺にはなかった。
フォールは橋の出来栄えを確かめると、屋敷の塀へ目を向けた。
「さて、クニタカ君。これを実際の現場に当てはめてみましょう。塀の外側と内側、それぞれの木の高い位置を利用すれば、塀そのものに触れずに敷地へ入ることができます」
「ああ、そうか。塀を越えるんじゃなくて、その上を渡るのか……」
「ええ。塀に施された魔法への対策も、橋が十分に高い位置にあれば問題になりません」
俺は改めて高い塀を見上げた。
あれだけ厳重に囲まれているのに、頭上に橋を架けるという発想はなかった。しかも、氷なら必要なときだけ作れる。
そこで、ふと気になったことがあった。
「でも、事件当日は雨だったんですよね。雨の中でこんな橋を作るのって、難しくないんですか?」
「むしろ逆よ、クニタカ」
コメリアがすぐに答えた。
「雨なら凍らせる水がいくらでもあるし、空気中の水分も多いでしょ。材料を集めるのは、晴れて乾燥しているときより楽になるわ」
「えっ、雨の方が有利なのか?」
「少なくとも、氷を作ることに関してはね。もちろん、足元が滑りやすくなるとか、別の問題はあるけど」
なるほど。雨だから危険というだけじゃなく、魔法を使ううえでは都合のいい条件にもなるわけか。
「だからフォールさんは、事件当日の天気を確認したんですね」
「ええ。雨が降っていたと聞いて、少なくとも氷を作るための水分には困らなかっただろうと思いました。もちろん、それだけで侵入方法が決まるわけではありませんが」
フォールはそこで、もう一度橋を眺めた。
「そして、この方法にはもう一つ利点があります。使い終わった橋を、その場に残さずに済むことです」
「ああ、なるほど!」
ようやく俺にも分かった。
氷結魔法で作った橋なら、必要がなくなれば消してしまえばいい。実際に橋が架かっていたとしても、今は何も残っていない理由が説明できる。
「メリア、最後に橋を消してもらえますか?」
「はいはい。そこまでやればいいんでしょ」
コメリアは軽く肩をすくめると、氷の橋へ目を向け、パチンと指を鳴らした。
次の瞬間、橋を形作っていた氷が消え失せ、二本の細い糸だけが残された。
……ああ、そうか。前にも見たな、これ。
フォールさんの飲み物を丸ごと凍らせて、指を鳴らすだけで元に戻していたっけ。
あのときも驚いたけど、こうして橋が丸ごと消えるのを見ると、やっぱり不思議なものだ。
「……あとは糸だけか」
「ええ。あの程度の糸なら、始末するのも難しくありません。堀へ捨ててしまえば、見つけることも容易ではないでしょう」
フォールの言葉に、レードスは小さく頷いた。
「よし。これで俺の見立てが間違っていなかったことは確認できたな」
レードスは周囲の捜査員たちを見回した。
「お前たちも見ただろう。堀と塀があっても、侵入する方法はある。これで不可能だとは言えなくなったな」
捜査員たちが頷くのを見届けると、フォールが穏やかに口を開いた。
「ただし、実際に容疑者がこの方法を使ったと証明できたわけではありませんよ」
「ああ、そこは分かっている。だが、まずは侵入が可能だったと示せればいい。あとの捜査はこちらの仕事だ」
レードスは満足そうに答えると、コメリアへ向き直った。
「助かったよ、コメリア。これなら捜査員たちにも納得してもらえそうだ」
「だったら次からは、ちゃんと最初に説明してよね」
「ははは。善処するよ」
その返事を聞いたコメリアは、何か言いかけて口を閉じた。代わりにフォールとレードスを交互に見比べ、深いため息をつく。
「……パパを二人相手にしてる気分だわ……」
「おや、メリア。それはどういう意味ですか?」
「そういうところよ!」
フォールが本当に不思議そうな顔をすると、レードスはとうとう声を出して笑い始めた。
俺もつられて笑いかけたけれど、コメリアの視線がこちらへ向いたので、慌てて口元を引き締めた。
……うん。ここは黙っておこう。
それにしても、あの細い刺繍糸から氷の橋ができるとは思わなかった。堀も塀も、魔法を防ぐ仕掛けも、真正面から突破する必要なんてなかったわけだ。
「チャミー、異世界の事件って、やっぱり難しいな……」
「そうですね、都尊さん。今回のように魔法の具体的な運用方法が分からない場合、私たちの知識だけで侵入手段を特定するのは困難です」
「まあ、実際に見せてもらえば納得できるんだけどさ」
俺はもう一度、氷の橋があった場所を眺めた。
今は二本の脚立が離れて立っているだけで、その間には何もない。
さっきまで橋があったことさえ、知らなければ想像できそうになかった。
ポン。
「……ん?」
聞き覚えのある通知音に、俺はポケットからスマートフォンを取り出した。
画面には、短いメッセージが表示されていた。
『セカンドゲーム「道を切り拓け」クリア』
「…………は?」




