探偵を呼んだ理由
屋敷へ向かって庭を歩いていると、フォールが隣のレードス警部へ声をかけた。
「そういえばレードス、容疑者について詳しい話をまだ伺っていませんでしたね。差し支えない範囲で、聞かせていただけますか?」
「ああ、そうだったな。外の様子を見るのが先になってしまったからな」
警部は歩調を緩め、屋敷の方へ目を向けた。
「今回の事件については、警察でも捜査を進めている。今のところ、ある人物が犯人だという見方が強い。だが、そいつの主張が少々厄介でな」
「ほう。どのような主張ですか?」
「事件当日、屋敷へ忍び込もうとしたことは認めている。ところが、実際には敷地へ入れなかったと言っているんだ。さっき話した水路の件だな」
俺は先ほど見た水路を思い出した。流れが強くて泳げず、氷結魔法を使っても水路を塞いでしまう。確かに、あそこから入るのは簡単じゃなさそうだった。
「それで、容疑者は自分には犯行が不可能だったと?」
「そういうことだ。外から入る方法がないのなら、屋敷の中にいた人間が犯人じゃないのか、とまで言っている」
「……ずいぶん思い切った反論ですね」
思わず口を挟むと、警部は小さく肩をすくめた。
「まあ、言いたいことは分からんでもない。侵入しようとしたことと、実際に侵入したことは別だからな。だが、こちらも根拠なく疑っているわけじゃない」
警察にはほかにも疑う理由があるんだろう。ただ、今の俺たちに必要なのは、事件の捜査結果を一から聞くことじゃない。
「つまり、容疑者がどうやって敷地へ入ったのか、それを明らかにしたいということですね」
フォールの言葉に、警部は頷いた。
「ああ。事件そのものについては、こちらで調べを進めている。お前には、あの堀と塀をどう越えられるのか、別の目で見てもらいたい」
「分かりました。では、侵入に使えそうな物についても確認しておきましょう。容疑者が当日持っていた物は分かっていますか?」
「ああ。財布に鍵、それから小さな糸巻きが二つだ。刺繍糸のやつだな」
「糸巻き、ですか」
「ほかに特別な道具は確認されていない。身につけていた物でいえば、靴と手袋も調べている」
「どのような物でしたか?」
「靴は滑りにくい作りのものだ。手袋は厚手の布製だったな」
滑りにくい靴に、厚手の手袋か。何だか妙に準備がいい気もするけど……。
「氷を使うつもりだったのなら、靴や手袋は必要でしょうね」
コメリアも同じことを考えたらしい。
「そうだな。少なくとも、その格好だけで供述がおかしいとは言えん」
警部が答えると、フォールは少し考えるように顎へ手を添えた。
「なるほど。ありがとうございます」
フォールはそれ以上追及せず、庭の方へ視線を向けた。
「ところで、レードス。容疑者が氷結魔法を使えるという点は、間違いないのですね?」
「ああ。本人も水路で使ったことは認めているし、現場からも氷結魔法の魔力紋が検出されている。ただ、それが侵入に使われたとまでは確認できていない」
「ふむ……」
フォールは少し離れた場所にある塀を眺めた。
俺もつられてそちらを見る。屋敷の内側からでも塀の高さは十分に感じられ、その向こうに堀があることを考えると、普通に乗り越えるのはやはり難しそうだ。
「ねえ、パパ。さっきの水路以外には、入れそうな場所はなかったの?」
コメリアが尋ねると、フォールは警部の方を見た。
「どうでしょう、レードス?」
「少なくとも、調べた範囲では見つかっていないな。だからこそ、お前に来てもらったわけだ」
「そうですか。では、もう一つ確認しておきたいことがあります」
フォールは少し考えてから、何気ない調子で続けた。
「事件当日の天候は、どうでしたか?」
「天候か? あの日は雨だったな」
「ほう、雨ですか」
「何か気になるか?」
「いえ、現場の状況を考えるうえで、知っておきたかったものですから」
警部はそれを聞くと、特に不思議がる様子もなく頷いた。
「なるほど。必要なら当日の記録も確認できるぞ」
「ありがとうございます。ひとまずは、それで十分です」
フォールはそう答えると、再び庭へ目を向けた。
雨か……。
事件当日に雨が降っていたなら、今とは地面の状態も違っていたんだろう。足跡が残ったり、逆に流されたりすることもあるかもしれない。
「チャミー、雨って侵入方法に関係すると思う?」
少し声を落として尋ねてみる。
「可能性はあります。ただし、都尊さん。雨が降っていたという情報だけでは、具体的な影響までは判断できません」
「まあ、そうだよな。どのくらい降ってたかも分からないし」
「はい。現場の状態も含めて考える必要があります」
「クニタカ、何か気になるの?」
隣を歩いていたコメリアが、こちらを覗き込んできた。
「いや、フォールさんが急に天気のことを聞いたからさ。何か意味があるのかなって」
「ああ、それね。パパ、気になったことは何でも聞くから」
「そうなのか?」
「そうよ。あとで関係なかったってこともあるし。でも、聞かずに見落とすよりはいいんじゃない?」
なるほど。そういうものなのか。
「メリア、何か私の話をしていましたか?」
少し先を歩いていたフォールが振り返った。
「別に。パパは何でも気になったら聞くって話」
「ははは。それは間違っていませんね」
「自分で言うんだ……」
コメリアは呆れたように笑ったが、フォールは気にした様子もなく、今度は警部へ声をかけた。
「レードス、屋敷へ入る前に、もう少しこちら側から塀を見て回ってもよろしいですか?」
「ああ、構わん。どこか見たい場所でもあるのか?」
「まずは一通り、庭を歩いてみたいですね。外から見たときとは、また印象が違いますから」
「そうだな。こちら側からなら、塀の内側の様子もよく分かる。案内しよう」
警部は屋敷へ向かっていた足を止め、庭の奥へ進路を変えた。
俺たちもその後に続く。庭には高さの違う木々が植えられていて、場所によっては枝が塀の向こうへ伸びているようにも見えた。外側を歩いていたときには気づかなかった景色も、内側から眺めると少し違って見える。
フォールは時折足を止め、塀や周囲の木々に目を向けていた。何かを探しているのか、それとも単に全体の様子を確かめているのか、俺には分からない。
しばらく庭を歩いたところで、フォールが不意に足を止めた。
「はぁ……またですか、レードス。相変わらずですねえ」
さっきまでと変わらない穏やかな表情だったけれど、声には少し呆れたような響きがあった。
「……なんのことやら」
警部はとぼけた返事をしたものの、フォールの顔を見ようとはしない。
「もう分かっているのでしょう? 犯人がどうやって敷地に侵入したのか」
「さてな。お前に調べてもらうために、わざわざここまで来たんだが」
「ええ、そういうことにしておきましょうか」
フォールは小さく息を吐くと、今度はコメリアへ目を向けた。
「ただ、それが本当に可能なのか、実際に確かめたいのでしょう? そのために私へ依頼するという建前で、メリアを連れてこさせた。違いますか?」
「……」
警部は答えず、口元にわずかな笑みを浮かべた。
「ちょ、ちょっと待って、パパ! どういうこと? レードスさんは最初から分かってたってこと?」
「おそらくね。少なくとも、私たちに何を確かめさせたいのかは、最初から決めていたのでしょう」
「だったら最初からそう言ってくれればいいじゃない!」
コメリアが警部へ向き直ると、レードスは困ったように笑った。
「悪かったな、コメリア。だが、頭の固い捜査員の連中を納得させるには、実演が一番なんだ」
「もう、いつも言ってるでしょ。普通に頼んでって!」
コメリアが呆れたように言うと、レードスは苦笑した。
「はは、そうだったな。次からは気をつけるよ」
「……それ、前にも聞いた気がするんだけど」
「そうだったか?」
レードスが何食わぬ顔で返すと、コメリアはもう何も言わず、諦めたように肩を落とした。
俺だけが事情を飲み込めずにいる間にも、フォールたちの話はどんどん進んでいく。
「それに、容疑者についても、おおよその見当はつきましたよ」
「ほう。まだ名前も教えていないはずだが?」
「ええ。ですが、おそらくこの屋敷に出入りしている業者の方でしょう。もっと言えば……庭師ではありませんか?」
「えっ、庭師?」
思わず声が出た。
どうしてそこで庭師が出てくるんだ? さっき聞いた所持品に、庭仕事の道具なんてあったっけ?
「……理由を聞いてもいいか?」
レードスが静かに尋ねると、フォールは庭を見回した。
「この屋敷には立派な庭があります。これだけの木々を管理するなら、定期的に手入れをする人間がいるでしょう。そして、この手段をとれるような人を考えると、まず考えられるのは庭師です」
「……なるほどな。相変わらず、よく見ている」
レードスが小さく頷くと、フォールは微笑んだ。
「お褒めいただき、ありがとうございます。ですが、あなたも同じところを見ていたのでしょう?」
「さあな」
今度は警部が、どこか楽しそうにとぼけてみせた。
「もう! 二人とも、分かってるならちゃんと説明してよ!」
コメリアが不満そうに声を上げると、フォールは申し訳なさそうに微笑んだ。
「そうですね、メリア。では、少し手伝ってもらえますか?」
「……何を?」
「それは、これから説明しますよ」
そう答えるフォールの顔を見て、俺は嫌な予感がした。
……いや、何をするつもりなのかは全然分からないんだけど。
とりあえず、コメリアが巻き込まれることだけは確定したらしい。




