幕開けの来訪者
第二幕の投稿は本日22時台からと予告していましたが、少し予定を早めて公開しました。
なお、第二幕の第2話は予定どおり、本日22時台に投稿します。
ディクソン家に世話になり始めて、数日が経った。
フォールさんやコメリアに色々と教えてもらい、こちらの生活にも少しずつ慣れてきた。貨幣の種類や物価、仕事の仕組みなど、まだ覚えることは山ほどあるけれど、ひとまず助手として働くための基本的なことは分かってきたつもりだ。
今朝も、フォールさんから頼まれた帳簿を整理していた。机の上に広げた書類には、見慣れない通貨の名前や項目が並んでいる。最初は戸惑ったものの、コメリアに教えてもらいながら確認していくうちに、少しずつ内容が分かるようになってきた。
それにしても、こうして暮らしてみると、この世界は思っていた以上に不思議なところだ。
石造りの建物が並ぶ街並みや人々の服装、馬車が行き交う通りなどは、地球でいえば十九世紀後半から二十世紀初頭のヨーロッパに近い気がする。もちろん、歴史の教科書や写真で見た程度の知識だから、正確な比較ができるわけではない。
ただ、生活を支える技術は地球とはずいぶん違う。先日知った照明や調理器具のように、こちらでは魔法が当たり前に使われている。地球では電気やガスを利用していたものが魔法で動いているのだから、ほかにも色々と違いがあるのだろう。
街並みは近代ヨーロッパを思わせるのに、暮らしを支える仕組みはまるで別物。まだ数日しか過ごしていない俺には、分からないことの方が多いけれど、少なくとも地球の常識だけで判断できる世界ではなさそうだ。
「チャミー、こっちの計算は合ってる?」
「はい、都尊さん。ご提示いただいた金額に基づく計算結果は一致しています。ただし、元の記載内容が正しいかどうかについては、別途確認が必要です」
「それはさっき確認したから大丈夫。じゃあ、これで終わりかな」
俺は机の上に広げていた書類を揃え、項目ごとに分けた束の上へ重ねた。
探偵助手と聞いて、最初は調査への同行や聞き込みの手伝いを想像していたのだが、実際にはこうした事務仕事もあるらしい。考えてみれば、依頼を受けて報酬をもらう以上、お金の管理だって必要になる。
この世界の通貨や書類の書き方にはまだ慣れないものの、計算の仕方まで変わるわけじゃない。分からない項目はコメリアに確認し、数字の照合や資料の整理はチャミーにも手伝ってもらっている。
「それにしても、こういうときは本当に便利だよな、お前」
「ありがとうございます。引き続き、情報の整理および照合を補助いたします」
「頼りにしてるよ」
書類をまとめ終えたところで、部屋の扉が開いた。
「クニタカ、さっき頼んだ書類なんだけど……って、あれ?」
入ってきたコメリアは、机の上を見て足を止めた。
「もう終わったの?」
「ああ。一応、全部確認したよ。こっちが確認済みで、こっちはあとでフォールさんに聞きたい分。あと、金額が合わなかったところは別にしておいた」
俺が書類の束を指さすと、コメリアは一枚ずつ手に取って確かめ始めた。最初は何か言いかけていたものの、途中から黙り込んでしまったので、少し不安になる。
「……何か間違ってた?」
「違うわよ。そうじゃなくて……これ、私がやったら結構時間かかるのよ?」
「え? ああ、まあ……こういう整理は割と慣れてるから」
「それは聞いてたけど、こんなに早く終わるとは思わなかったわ」
コメリアは最後の一枚まで目を通すと、書類を机へ戻した。
「……助かった。ありがと、クニタカ」
「あ、うん。どういたしまして」
思いがけず素直に礼を言われて、俺の方が少し戸惑ってしまった。考えてみれば、これまではコメリアがこういう仕事も手伝っていたのだろう。フォールさんと一緒に調査へ出かけることもあるのだから、結構な負担だったんじゃないだろうか。
「こういう作業なら、これからも俺がやるよ。まだ分からないことは多いけど、慣れればもう少し早くできると思うし」
「……本当に?」
「ああ。助手として雇ってもらってるんだから、仕事はしないと」
「そうだけど……」
コメリアは少し考え込んだあと、嬉しそうに笑った。
「じゃあ、お願いしようかしら。正直、こういうのまで全部やるのは大変だったのよね」
「やっぱりそうだったんだ」
「これで、私も少しは楽になりそうだわ」
「おやおや。何やら嬉しそうですね」
いつの間にか扉のところにフォールさんが立っていた。
「あ、パパ。ちょうどよかった。この書類、クニタカが全部整理してくれたのよ」
「ほう。それは助かりましたね」
フォールさんは机へ近づき、まとめられた書類を手に取った。
「なるほど。これは見やすい。項目ごとに分けてあるんですね」
「はい。元の書類はそのままにして、確認しやすいように並べ直しただけですけど」
「いえいえ、十分ですよ。……これは思わぬ拾い物でしたね」
「ちょっとパパ、クニタカは拾い物じゃないわよ」
「おや、これは失礼しました」
「クニタカは上から降ってきたんだから」
「ああ、そうでした」
「ちょっ!!」
……いや、確かに上から降ってきたけどさ!
それじゃ、拾い物と大して変わらなくない!?
「ふふっ、冗談よ、クニタカ」
「いや、冗談にしてもひどくない!?」
「ははは。なかなか賑やかになりましたね」
……この親子、もしかして結構似た者同士なんじゃないだろうか。
「ところで、クニタカ君」
ひとしきり笑ったあと、フォールさんがこちらへ顔を向けた。
「こちらの生活には、少し慣れましたか?」
「ああ、はい。お二人のおかげで、何とか。まだ分からないことだらけですけど」
「それで十分ですよ。焦る必要はありません。仕事についても、少しずつ覚えていただければ結構です」
「ありがとうございます」
「ただし、調査へ出るときは、帳簿のように資料が揃っているとは限りませんからね」
フォールさんは書類を机へ戻しながら、少し楽しそうに続けた。
「実際に足を運んでみないと分からないことも、たくさんあります」
「……はい。それは前の事件でも感じました」
「ええ。ですから、今度は助手として一緒に調べていきましょう」
そう言って笑うフォールさんに、俺も頷いた。
異世界の探偵助手なんて、改めて考えるとなかなか妙な仕事に就いたものだ。日本にいたころは、まさか自分がこんなことになるなんて想像もしていなかった。
……まあ、異世界に来ること自体、想像してなかったんだけど。
そんなことを考えていると、玄関の方から来客を知らせる音が聞こえてきた。
「おや。お客様のようですね」
「私が出るわ」
コメリアが部屋を出ていくと、フォールさんは机の書類をもう一度眺め、満足そうに頷いた。
「さて、クニタカ君。午後は何か予定がありますか?」
「いえ、特には。ほかに仕事があれば手伝いますけど」
「それはありがたい。では、少し整理しておきたい資料がありましてね」
「……まだあるんですか?」
「ははは。仕事というのは、なかなか片付かないものですから」
……それ、コメリアが聞いたら怒るんじゃないだろうか。
そう思ったところで、廊下から声が聞こえてきた。
「パパ! レードス警部がいらしてるわ!」
「……おや? これは珍しいですね」
「知り合いの方ですか?」
「ええ。昔からの知り合いですよ。警察の方なんですが、わざわざ訪ねてくるとは……」
フォールさんは書類を机に置き、こちらへ顔を向けた。
「クニタカ君も、一緒に来ていただけますか?」
「えっ? 俺もですか?」
「もちろん。きみは私の助手ですからね」
……そうだった。ここ数日は書類とにらめっこしてばかりだったけど、探偵助手って、こういう仕事もするんだった。
「チャミー、行こうか」
「はい、都尊さん」
チャミーの返事を聞きながら立ち上がり、フォールさんの後に続いた。
さて、今度はどんな仕事が待っているんだろう。
できれば、あまり厄介な話じゃないといいんだけど……。
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