チュートリアル
「――うわー!?」
叫んだはずだった。
少なくとも、叫び始めるまでは自分の部屋にいた。目の前にはモニターがあり、手を伸ばせばマウスがあり、その横には飲みかけのコップと開きっぱなしのノートがあった。
それが今は、ない。
「…………は?」
何が起きたのか分からない、というより、起きたことに頭が追いついていない。ついさっきまで座っていた椅子も、机も、読みかけの推理小説を映していたモニターも見当たらなかった。
「え、ちょっと待って。何これ……」
思わず漏らしたところで、ふと脳裏に浮かぶ。
推理小説の途中に突然現れた、どう考えても本文とは関係のない問いかけ。
アラタナナゾガテイジサレマシタ
トキマスカ
YES/NO
「……まさか、あれ?」
「はい。その『まさか』で、おおむね合っています」
「うわっ!」
返事が来るとは思っていなかった。
都尊は反射的に声のしたほうを向き、そこでまた固まった。いつからいたのか、そこには見知らぬ相手がいる。
「……誰ですか?」
「神です」
「…………」
数秒待ってみたが、続きはなかった。
「すみません。もう一回いいですか?」
「神です」
「聞き間違いじゃなかった……」
普通なら、まず信じない。
いきなり神を名乗る相手が現れれば、関わらないのが正解だと思う。だが今は、その判断をするための前提からしておかしい。自分の部屋にいたはずなのに、気づけば知らない場所にいる。
ただの変な人です、で済ませるには状況のほうが異常だった。
「……じゃあ、とりあえず神様ってことで話しますけど。さっきのYESとNO、あれ、あなたがやったんですか?」
「はい」
「……もしかして、俺がここにいるのって、YES押したから?」
「はい」
「いや、俺、NO押そうとしてたんですけど!?」
「ですが、選択されたのはYESです」
「事故ですよ!?」
「選択結果はYESです」
「そんな融通の利かないシステムある!?」
思わず声を上げてから、都尊は額に手を当てた。
確かに押した。
押したことだけは間違いない。
だが、どう考えても参加の意思など確認できていない。
「ちなみに、ちゃんとNO押せてたら?」
「参加していません」
「うわぁ……」
聞かなければよかった。
あのときコップに肘さえ当たらなければ、今も自分の部屋で推理小説の続きを読んでいたはずなのだ。
「……もういいです。それで、何に参加したんです?」
「ゲームです」
「ゲーム?」
「簡単に言えば、問題を解決するゲームです。あなたには別の世界へ行き、そこで遭遇した問題について考えてもらいます」
「別の世界って……異世界?」
「あなたの認識では、その表現が近いでしょう」
小説の中なら珍しくもない言葉なのに、自分が行くとなった途端、意味がまるで違って聞こえた。
「魔法とかも?」
「あります」
「本当にそっちの異世界か……」
思わず呟いてから、もっと重要なことに気づく。
「いや待ってください。言葉は? 俺、異世界の言葉なんて分からないですよ」
「その点はこちらで対応します。現地の言葉は理解できるようにしておきます」
「あ、それはやってくれるんですね」
少なくとも、何を言われているのかすら分からない状態で放り出されるわけではないらしい。
そこで少し安心しかけたが、そもそもの話が何一つ解決していない。
「それで、問題を解決するって言われても……何を解けばいいんです?」
「それは向こうで見つけてください」
「いや、見つけろって言われても……」
何を探せばいいのかも分からないのに、ずいぶん雑な話である。
都尊はため息をつき、無意識に手元へ目を落としたところで、スマートフォンを持っていることに気づいた。
「あれ。これも持ってきてる……」
「そのスマートフォンは、向こうでも使用できます。必要な調整はこちらで行いました」
「本当に?」
画面を確認する。見慣れた端末で、見たところ変わった様子はない。
「じゃあ、ネットも?」
「地球側との通信はできません」
「ですよね……」
少し期待した自分が馬鹿だった。
もっとも、異世界のことを検索したところで出てくるはずもない。そう考えたところで、都尊の指が止まった。
「……あれ? じゃあAIはどうなるんです?」
「利用できます」
「ネットなしで?」
「そのための調整も行っています。ただし、AIが持っているのはあなたの世界についての知識です。これから行く世界については、あなたと同じく何も知りません」
「そこは知らないのか……」
何でも知っている案内役にはならないらしい。
それでも、自分一人で全部考えるよりはいい。分からないなりに情報を整理したり、別の考え方がないか聞いたりする相手にはなる。
「まあ……使えるなら助かるか」
「今後も利用される事になると思われますので、呼び名を決めておいてはどうですか?」
「呼び名?」
「毎回AIと呼ぶより、話しやすいでしょう」
「名前か……」
急に言われても思いつかない。
これから異世界へ行くというときに、AIの名前だけ真剣に考えているのも何か違う気がする。
適当でいいか、と心の中で呟きながら画面を見つめた。
「じゃあ……チャミーで」
「分かりました」
「あ、そんな感じでいいんだ」
「あなたが決めるものですから」
「まあ、そうですけど」
もっと何かあるのかと思ったが、本当に呼び名が必要だっただけらしい。
都尊はスマートフォンを眺めながら、そこで先ほどの話を思い出した。
「……で、結局その『問題』は自分で見つけろって話でしたよね。何か目印くらいはないんですか?」
「ゲームの対象となる問題に遭遇すれば、そのスマートフォンに『ゲームスタート』と表示されます」
「……それだけで、何が問題なのかは教えてくれない?」
「はい。そこから考えてください」
「そこから!?」
せめて問題文くらいは欲しい。だが、ついさっきまで推理小説の密室がさっぱり分からず、諦めて解答編を読もうとしていた人間に、それを一から探せという。
「俺、推理小説の謎すらまともに解けないんですけど。知ってますよね?」
「知っています」
「だったら、もうちょっと向いてる人を選びません?」
「例えば?」
「例えば……あの小説の探偵とか」
「架空の人物です」
「分かってますよ! 例えです!」
よりによって、そこを真面目に返された。
都尊は一度大きく息を吐き、手の中のスマートフォンへ視線を戻した。
これから異世界へ行く。そこで何か問題に遭遇すれば、ゲームが始まる。ただし、何が問題なのかは教えてもらえない。
頼れそうなのはスマートフォンとチャミーだが、そのチャミーも異世界については何も知らない。
「……これ、本当に大丈夫なんですか?」
「それをこれから確かめることになります」
「すごい他人事だな……」
聞きたいことなら、まだいくらでもある。
どんな世界なのか。どこへ行くのか。ゲームで競っている相手は誰なのか。問題を解決したとして、何をもって成功になるのか。
だが、一つ答えを聞くたびに別の疑問が増えている。このまま質問を続けたところで、全部分かってから出発できる気はしなかった。
「……分かりました。いや、全然分かってないですけど、とりあえず行ってみないと分からないのは分かりました」
「では、送ります」
「え、もう?」
あまりにもあっさり言われて、都尊は慌てて顔を上げた。
「ちょっと待って。せめて最後に一個だけ。向こうに着いていきなり死ぬとか、そういうのはないですよね?」
「善処します」
「そこは『大丈夫です』って言うところじゃ――」
最後まで言えなかった。
今度は何が起きたのか考える暇すらなく、足元の感覚が消えた。
「――ないんですかぁぁぁぁっ!?」
声が伸びた。
同時に、身体が落ちていることに気づく。
「は!? え!? ちょ、待っ――!」
下に人が二人いる。そのすぐそばには、大きなソファー。
二人も突然頭上から聞こえてきた声に気づいたらしく、揃ってこちらを見上げた。
「危なっ――!」
どうにか人だけは避けようと身体を捻った次の瞬間、背中から柔らかいものへ落ちた。
「ぐっ……!」
身体が大きく沈み、そのまま跳ね返される。息は詰まったものの、覚悟していたような衝撃は来なかった。
都尊はしばらくソファーの上で固まり、恐る恐る身体を動かした。
「……生きてる」
どうやら神様の言っていた「善処」は、まったくの嘘ではなかったらしい。
顔を上げると、当然ながら自分の部屋ではない。それどころか、さっき神様と話していた場所ですらなかった。周囲には何人もの人がいて、その視線が突然上から降ってきた自分へ集まっている。
すぐ近くには、先ほど見上げていた二人がいた。一人は男で、その傍らには若い女性。二人とも、当然ながらこちらを見ていた。
「あー……」
何か言わなければと思うものの、こういう場合の第一声など医学部では習っていない。
「……すみません?」
なぜ謝ったのか、自分でも分からない。
二人の反応をうかがいながら身体を起こす。言葉は通じるのか。ここはどこなのか。そもそも、自分は今どこから落ちてきたことになっているのか。
確認したいことが一気に押し寄せてきた、そのときだった。
手の中で、スマートフォンの画面が切り替わった。
ゲームスタート
「…………」
都尊は画面を見て、それから周囲を見回し、もう一度画面へ視線を戻した。
「……いや、だから問題文は?」
当然、答えは表示されなかった。




