20話:話し合い
超高層の摩天楼城塞の最上階宴会場は、夜景を一望できる巨大なガラス張りの空間だった。シャンデリアの光が無数のグラスに反射し、きらきらと散る。会場には老若男女が溢れ、ドレスやタキシードの群れが波のように揺れていた。
弦楽四重奏の音色が背景に流れ、笑い声とグラスの触れ合う音が絶え間なく響く。
私とアンバーオックスさんは、昇降機から降りた瞬間、その華やかさに少し圧倒された。軽く会場を見回して小さく言う。
「うぉ、すごい人……」
アンバーオックスさんは黒髪を背中に流し、赤い瞳で冷静に周囲を観察しながら答えた。
「流石ね。確か、招待の条件の一つにリコンフィグが好きな人があったけど……予想以上に多いわ」
私は軽く肩をすくめ、会場を埋め尽くす人々を見渡した。
「お金目当て、体目当て、なんとなく……理由は様々あるだろうけど、ストレスはあるだろうね」
アンバーオックスさんは小さく頷き、唇を薄く曲げた。
「期待と言い換えてもいい。常に完璧なリコンフィグでいなければならないなら、自然と超然的な王様になるのも頷ける。誰かの顔色を伺う人間に、人々はカリスマを見出さないから」
私は思わず苦笑した。
「冷やかしもある程度いるだろうけどね」
アンバーオックスさんは即座に返した。
「それ、ほぼ全員でしょ」
私達は軽く笑い合った。
会場中央では、リコンフィグの姿がちらりと見えた。白いドレスに包まれ、完璧な笑顔を浮かべながら、次々と人々に囲まれている。
彼女の周りだけ、時間が少し違うように輝いていた。アンバーオックスさんが突然、私の腕を軽く引いた。
「露払いは嫌われ者の私に任せなさい。インフェクションがリコンフィグと話せるように、散らしてあげる。適材適所よ。友人だもの」
「私はそんなつまりは……」
アンバーオックスさんは赤い瞳を細め、静かに言った。
「王手宣誓」
「0.2秒?」
アンバーオックスさんは無表情で言った。
「殺戮劇場枯渇庭園」
「あ、周辺の人たち皆殺しにするんだ」
アンバーオックスさんは真顔で頷き、インフェクションの背中を軽く押した。
「行きなさい、インフェクション」
そう言って、アンバーオックスさんは大きく息を吸った。近くのホテルのスタッフからマイクを受け取り、電源を入れる。
スタッフが一瞬驚いた顔をしたが、すぐに下がった。リコンフィグの幼馴染という立場が、ここでも働いていた。アンバーオックスさんはマイクを口元に近づけ、会場に響く声で、静かに、しかしはっきりと告げた。
「ねぇ、有象無象」
アンバーオックスの殺戮劇場枯渇庭園により、人々が倒れていく。
「返事はどうしたの有象無象。いいかしら、貴方達。現実をみなさい。今の貴方達は失敗した生命の残骸よ。意志も誇りも価値も何一つ持たず、流されるだけの無脳で無能な肉塊が、一生懸命生きてるフリをして空気と資源を盗んでるだけ。貴方が存在することで、この世界の平均レベルが下がってる。生まれてきたこと自体が、取り返しのつかない大失敗。そんな存在がリコンフィグと恋人なる? 信じた先から裏切るこの世のクズ共の分際で? 地球上でもっとも下等な生き物がよく吠える。いつから貴方達は人をえり好みできるほど偉くなったの。好き嫌いで人付き合いしてんじゃないわよ。ゴミはゴミらしく身の程にあった不幸を噛み締めてれば良いわ」
会場が一瞬、静まり返った。
私はアンバーオックスさんの横顔を見て、小さく息を吐いた。
全く、本当に……本当に優しいね。殺せたのに半殺しで済ませている。
アンバーオックスさんはマイクを握ったまま、赤い瞳で会場を見渡した。そこには、冷徹な決意と、幼馴染への複雑な想いが混じっていた。会場の人々が、ゆっくりと動き始めた。ざわめきが再び広がる中、私は静かに中央へ向かって歩き出した。
リコンフィグの困惑した表情が、遠くから見えた。
「久しぶり、リコンフィグ」
「……インフェクション……何故、ここに」
「場所、変えよう」
最上階のプール。
そこには誰もいない。
リコンフィグはスタッフに紅茶を頼み、私はケーキも頼んだ。
「アンバーオックスもインフェクションの差し金か。派手なことをする。あれは……なんというか死体城を作り上げる如くだったな」
彼女の声は掠れていた。普通に考えれば、嫌われた相手がわざわざ居場所を調べてやってくる意味などない。リコンフィグの瞳に、警戒と戸惑が混じりながらも、どこかで期待するような光が揺らめく。
「何か、用かな?」
「今から、リコンフィグに文句を言うよ」
「……ああ、そういう」
リコンフィグは視線を下に落とし、紅茶のカップを指で軽く叩いた。過去の無礼を思い出したように、肩がわずかに縮こまる。でも、その仕草の奥に、ほんの少しだけ——ほっとしたような吐息が漏れる。
「構わないよ。それで君の気が済むのなら」
「なら、言わせてもらうね」
私は一歩近づき、静かに、しかしはっきりと告げた。
「アンバーオックスさんに、『好きでもない相手から抱かれたい』と言ったのは、失礼すぎるよ。アンバーオックスさんは傷ついていた」
リコンフィグは目を伏せ、息を吐いた。声が小さくなる。
「……そうか。アンバーオックスの話か。確かに甘えていたのかもしれないな。動揺もしていた」
彼女の指がカップの縁を強く握り、わずかに震える。完璧な仮面の下で、罪悪感がゆっくりと顔を覗かせる。
「この恋人パーティーとかいう意味のないものも、笑かすね」
リコンフィグは苦笑した。笑顔が、少しだけ歪む。
「好きな人と恋人になれないなら、代用品で癒やすしかないのは合理的だと思うけどね。確かに好ましくはないが、仕方がない」
私はさらに近づき、声を低くした。
「まず、私に謝ってよ。無理矢理エッチなことしようとしたことを、ちゃんと正式に謝って」
リコンフィグは視線を上げ、静かに言った。瞳が潤み、声が震える。
「それについては、本当にすまない。あの時はどうかしていた。君と、愛し合いたかった」
その言葉を聞いた瞬間、リコンフィグの瞳に、過去の記憶がよみがえる様子が見えた。
私に近づいたあの夜の衝動。拒絶された後の空虚。そして、今、私がここにいるという事実。
私はリコンフィグの前に立ち、ゆっくりと息を吐いた。
「インフェクション……」
「正座」
「……せ、正座?」
「正座。早く」
リコンフィグは戸惑いながらも、ドレスの裾を整えて正座した。私はそのまま、彼女の肩を優しく押す。体が傷つかないよう、ゆっくりと押し倒す。
リコンフィグの背中がラウンジチェアに沈む。彼女の息が、わずかに乱れる。
「今、私からの文句に対する返答を、リコンフィグは覚えている?」
「……え? あ、いや」
「貴方は、『動揺していた』、『甘えていた』、『好ましくないが合理的に動ける』、『愛し合いたかった』。貴方はそう言った」
「あ、ああ。確かにそう言ったと思う。しかしそれがどうしたという」
私はリコンフィグの顔を覗き込み、静かに告げた。
「それが、今のリコンフィグだよ。取り繕うことなく、最近のリコンフィグのメンタリティ。リコンフィグの本音。本当の自分。少なくとも弱く一番柔らかい部分の心だ」
リコンフィグの瞳が大きく揺れた。完璧な仮面が、ゆっくりと剥がれ落ちていく。
「……それは……」
「そう。リコンフィグが抱える悩み」
私は息を吸い、言葉を続ける。
「私は、それを否定しない。その気持ちがあることを知っている。だからリコンフィグも、自分自身に弱くなることを認めて。リコンフィグは完璧を目指し、完璧であろうと努力している」
リコンフィグの瞳が潤む。彼女は唇を噛み、声を絞り出す。
「……インフェクション……」
「それは尊く、大切で、賞賛されるべき行為だと思う」
だけど。
「完璧になることはできるんだろうけど、完璧で有り続けることは不可能なんだ」
リコンフィグの肩が震えた。涙が一筋、頰を伝う。
「最初から、言ってたんだよ。弱い姿を見せてほしい。それを否定しないって、私は最初から言ってたじゃん。リコンフィグの不完全な弱さがあることは知っていた。だから、その程度で嫌いにはなってやらない。私は貴方の友達なんだから」
リコンフィグの瞳から、涙が止まらなくなる。彼女は小さく首を振り、声が震える。
「……インフェクション……私は、ずっと……完璧でいなければ、誰も見てくれないと思っていた。みんなが期待する『リコンフィグ』でなければ、価値がないと……」
私はリコンフィグの頰に手を添え、優しく拭う。
「恋人から後退することもある。喧嘩することもある。関係性に困ることはある。しかし、だけど、そもそも——」
私はリコンフィグの瞳をまっすぐ見つめ、静かに告げた。
「私達は友達だ。忘れるな、リコンフィグ。少しくらいの迷惑をかけられたくらいで、絶縁なんかしてやらない。恋人ではなくなった。友達になった。だからさようなら、なんてしてやらない。私が好きなら、もう一度恋人になれるように努力して」
リコンフィグは涙を拭い、かすかに笑った。笑顔が、初めて——本物の、弱さを帯びた笑顔だった。
「……ああ。そうか。そうだな」
私は微笑み、言葉を続ける。
「今度は、私からエッチなことをしたいと思わせるほど、私をリコンフィグに惚れさせてみてよ。それが、貴方の理想のリコンフィグなんでしょ?」
リコンフィグは震える手で、私の手を握った。温かく、わずかに震える指先。
「インフェクション。そう言ってくれる、君が好きだったんだ。……ずっと、君にだけは、弱い自分を見せてもいいんじゃないか、って思っていた。でも、怖かった。君に嫌われたら、もう、私を見てくれる人は誰もいなくなると思って……」
私はリコンフィグの髪を優しく撫で、静かに告げた。
「リコンフィグの強さも弱さも、私は全部見てて上げる。だから頑張れ。貴方の努力は私が見ててあげるから。貴方は一人じゃないんだよ」
リコンフィグは目を閉じ、涙を流しながら、ゆっくりと頷いた。
「……ありがとう、インフェクション。……本当に、ありがとう」
プールの水面が静かに揺れ、夜景の光が二人の影を長く伸ばす。静かで、温かかった。
リコンフィグはゆっくりと体を起こし、私の肩に額を寄せた。初めて見る、弱さを隠さない彼女の姿。
完璧な仮面の下にあった、本当のリコンフィグ。
「……インフェクション。もう一度、君に恋をさせてみせるよ。今度は、ちゃんと……君を幸せにできるように」
私は笑みを浮かべて、彼女の髪を撫でた。
「楽しみにしてるよ、リコンフィグ」
二人は、プールサイドで、静かに寄り添った。夜景が輝き、アンバーオックスさんの声が遠くで響く中、ここだけは——本当の始まりが、静かに訪れていた。




