第1話:視える少女~死後の出会いは突然に!~
この世界は大陸の中央にそびえる山脈を境に、4つの大国が睨み合う。
魔法を極めたアーケイン魔導帝国。
剣と軍事力を誇るバルド軍王国。
商業と情報網で世界を操るコモル商業連邦。
そして右上の片隅に追いやられた弱小国家ディーアス王国。
かつて古代魔導が花開いた地であり、今は唯一マジックミスリルを産出するがゆえに、他国の欲望を招く小さな火種。
だからこそ、影が必要だった。
男が歩く夜道には、足音がなかった。
月明かりすら彼の姿を見失う。
この国王直属の密命部隊は、存在を知る者さえ指で数えるほどだ。
闇に潜り、闇を狩る者。
アイン・フェルシオンはその中でも“影”と呼ばれ、五年間ひとつの任務だけを続けていた。
第二王女リフィールの護衛。
姿を見せず、名乗ることもなく、ただ彼女の背後の闇だけを斬り続ける日々。
王女は何も知らぬはずだった。
それでも、ときおり遠くを見つめるように微笑み、ひとり言のように呟く。
「……妖精さん、今日もありがとう」
その声が聞こえるたび、影は胸が詰まった。
自分の存在が届いていたのだと。
名も知らぬ護衛へ向けられる、かすかな、しかし温かい好意。
それは任務の外側にある感情――恋と呼ぶほかないものへと変わっていった。
あの日から俺は決意した。
一生影としてリフィ王女を守る続けていくと……それが俺の存在意義だった。
愚かにもその幸せが永遠に続くと思い込んでいた。
だが、あの夜は運命が違った。
王女の寝室に忍び込んだ暗殺者は三人。
そのうち二人を無音で仕留めた。
そして最後の一人の喉元へ刃を滑らせた瞬間激痛が走る。
相手も“相打ち覚悟”の刺突を繰り出していたのだ。
膝が落ち、視界が揺れる。
王女の部屋の光が滲む。
(守れた……それでいい……)
最後の力でポーチから小瓶を取り出す。
“ワンアップ”――命の格を1つ上げる、不思議な薬。
本来は王女を逃がすために使うつもりだった。
だが今の自分では彼女を運ぶことすらできない。
俺は迷わず口に含み、飲み下した。
自己スキルで錬成した秘薬だ。
その能力は格段に向上しているはず。
回復力の一助になればと最後のあがき…………いや、未練だった。
瞬間、胸が裂けるような痛みと共に、
自身の輪郭がほどけていく感覚に襲われた。
「……俺は……まだ……」
王女の窓辺に、橙の光が揺れる。
彼女が振り返った気がした。
(せめて……あなたが生きる未来を)
その願いだけを抱き、俺は死んだ。
「……まだ、終われないっ」
意識が沈む。
王女の安らかな寝息が、遠くに聞こえる。
ワンアップスキル――物や事象を“同系列の一段上”へ昇華する錬金能力。
本来なら傷を癒し、生体を強化するはずの奇跡。
だが、死の淵で使ったそれは、思いもよらぬ結果を招いた。
死が一段上の“概念”へと昇華した。
肉体は崩れ落ちたはずなのに、意識は消えない。
立ち上がろうとすると、足は床に触れず、手は壁をすり抜けた。
誰の目にも映らず、誰の声も聞こえない。
ただそこに“在る”だけの存在。
生にも死にも属さぬ、狭間の影……そんな存在に俺はなっていた。
(幽霊? これが死後の世界なのか?)
困惑のまま数時間が過ぎたが、一向にあの世へ昇天する気配がなかった。
戸惑いの無意味な時間だけが過ぎていく……それでも、王女の部屋だけは離れられなかった。
俺は夜明けまで、王女のそばに座り込む。
触れられず、声も届かず、ただ、護りたくて。
温かな光が窓から差し込む。
リフィールがゆっくりと眠りから覚め、手を胸元に添えて呟く。
「妖精さん……今日も、いてくれますよね?」
俺は胸を貫かれる思いだった。
彼女には見えないはず。それでも、そう言ってくれる。
その優しさが、逆に残酷だった。
俺は立ち上がり、静かに頷く。
見えなくても、届かなくても、ただ傍にいようと決める。
死してなお、叶わぬ恋を胸に抱いたまま。
――この世界がどうなろうと、自分が守り続ける。
その決意だけが、消えかけた魂を幽かな灯として繋ぎとめていた。
――数日後 ディーアス王国 市場通り――
その日は、何の変哲もない市場の帰り道だった。
ミレアは両腕いっぱいにリンゴを抱えて歩いていた。
兄が好きな品種を見つけて嬉しさが先に立ち、足取りも軽い。
だが、角を曲がった瞬間、袋の底がふっと裂けた。
「あっ……!」
リンゴが石畳に転がり、赤い珠のように散らばっていく。
彼女が慌ててしゃがみ込んだそのとき――
すっと、誰かの指先が転がるリンゴを拾い上げた。
ミレアは反射的に顔を上げる。
そこに立っていた人物を見て、息を飲んだ。
誰もいないはずの路地に、黒い外套の男がいた。
薄い霧のような輪郭。月影のように儚い存在感。
だが、何より異様だったのは――
その男が、はっきりとリンゴを掴んでいること。
「……え?
あ、あなた……っ」
ミレアの瞳が大きく見開かれる。
男は、彼女を見つめ返していた。驚いたように、ほとんど怯えたように。
その瞬間だった。
霧のように揺らめいていた輪郭が、ぱちん、と音を立てたかのように凝縮し、
黒外套の男は“実体”になった。
ミレアの目の前で、完全に。
「――どういう、ことだ……?」
男が思わず漏らす。
その声も息も、間違いなく“生者のそれ”だった。
ミレアは後ずさるが、石畳に足を取られてバランスを崩す。
思わず転びかけた瞬間、男の腕が伸び――
ミレアの肩をしっかりと支えた。
それは、確かな手の重みだった。
「触れる……? 本当に……?」
男自身が驚くように呟く。
ミレアは、恐怖よりも先に好奇心が勝った。
「さっきまで、透けてましたよね?
今は……ちゃんと、います。」
男は困惑したまま、小さく首を振った。
「……お前が見た瞬間だっ。
視線が合った……あの瞬間だけ、世界に“戻った”気がした。
まるで、お前の視界が……俺を強制的に実体化させたみたいだ。」
ミレアの胸がどくんと鳴った。
恐怖ではない。
理解不能な現象を前にした、純粋な驚きだった。
「じゃあ、私が見ている間だけ……あなたは触れたりできる?」
「……そういうことになる。」
男――アインは、手のひらを見つめる。
その手はまだ、ミレアの肩に触れていた。
ミレアは大きく息を吸い、勇気を振り絞って言った。
「……あなた、困ってるんですよね?
うち……来ます? とりあえず座って話しましょう。
だって――」
彼女の瞳は不思議なほど澄んでいた。
「幽霊さんでも妖精でも……ひとりでいるよりは、いいでしょう?」
アインは、初めて誰かに見つけられた衝撃のままに、
ただ静かに頷いた。
こうして、“視える少女”との出会いが、
死者であるアインの世界を大きく変え始めるのだった。




