第8話 捨てたはずの私を取り戻しに来た人たち
来訪した父たちは、謝罪から始めた。
面会室へ入る前、私は補助耳飾りを着けた。扉の向こうから流れる父の魔力は、昔と同じ乾いた砂の感触をしている。手のひらには汗が滲んだ。
レオンハルトは先に入らず、私が扉へ手を掛けるまで待った。私は一度息を整え、自分で押し開けた。
父は最上級の礼装をまとい、継母は涙に見える香油を目元へ塗っていた。アーヴィンの胸には、あの夜に外したはずの婚約章が再び留められている。
「あの夜は、皆が動揺していた」
父は北境城の面会室で、用意してきた文書を丁寧に広げた。
「お前を冬館から出したのは、親族の修道院で療養させるための一時措置だった。馬車は雪で遅れたにすぎない。結果として危険な目に遭わせたことは詫びよう」
言葉の表面は滑らかだった。けれど魔力は、油を引いた歯車のように同じ場所を回っている。
継母も目元を白い布で押さえた。
「あなたが公爵家で無理をしていると聞いて、眠れませんでした。慣れた家で静養するのが一番でしょう?」
彼女は私が好んでいた花を侍女が広間から片づけていた日のことも、冬館の二階で一度も眠れなかった夜のことも覚えていない。それでも、『慣れた家』という言葉だけは優しげに響いた。
「私の部屋は、出た日のままですか」
「もちろんよ」
「植物の本は?」
継母の手が止まった。
「どこかに仕舞ってあるはずだわ」
継母は慌てて、持参した小箱を開いた。中には、母が使っていたものに似た銀の髪留めがある。
「お母様の形見も、家で大切に保管しているわ。帰ればすべて渡します」
私は髪留めを見た。蔓草の彫りはよく似ている。けれど母の物なら、留め金の裏に小さな欠けがあるはずだった。
「それは母の物ではありません」
「幼い頃の記憶でしょう? 取り違えているのよ」
継母の魔力に、香油では隠せない焦げた匂いが混じった。
「本物は、どこにありますか」
彼女は答えず、箱の蓋を閉じた。優しい思い出まで、交渉の道具として似せて作られていた。
帰れば元通りだと言う人は、その部屋に何があったかさえ確かめていなかった。
私の向かいにはアーヴィンが座っていた。冬夜会で見せた侮蔑を隠し、穏やかな声で一冊の契約案を差し出す。
「婚約破棄は役所へ登録される前だった。公の場で言い過ぎたことは謝る。君の体調に配慮した契約へ改め、やり直したい」
条項はよく整っていた。社交行事の免除、専用の休養室、医師の常駐。以前なら望んでも得られなかった条件ばかりだ。
「君の体質を、今度こそ理解したい」
アーヴィンはそう言い、休養室の見取り図まで見せた。窓が一つ、外から施錠できる扉が一つ。使用人の待機室が壁の向こうにあり、私だけで外へ出る経路はない。
「休む時間は、誰が決めるのですか」
「医師と私だ。君は無理をしてしまうからね」
頁をめくると、後半に小さな文字が続いていた。
婚姻後に得た職務上の報酬はラーデン家が管理する。外部との契約には夫の承認を要する。北境公爵家で得た知見は両家へ共有する。
「私が今日、顧問を辞めても、この条件で婚約を続けますか」
アーヴィンの返事が、一拍遅れた。
「なぜ辞める必要がある。せっかく見出された力だ。夫婦なら、最善の使い方を相談すべきだろう」
「私の報酬をあなたの家が管理することが、最善ですか」
「君は世事に疎い。財産を守るためだ」
窓辺で、微かな音がした。
薄氷がガラスの縁を一筋だけ走っている。
レオンハルトは私の斜め後ろに座ったまま、口を挟まない。肘掛けを握る手だけが白くなっていた。
「リゼット」
父が諭すように身を乗り出した。
「感覚が多少役立つと分かったからこそ、家で適切に扱う必要がある。お前一人では、その力を安全に――」
「適切に扱う、とは?」
「悪い意味ではない。家族として、お前の能力を正しく運用するということだ」
レオンハルトの手元で、木の肘掛けが軋んだ。
私は膝の上の契約書を閉じた。
「今日は結論を出しません」
三人の視線が集まる。
「家を出た経緯と婚約の効力について、主張が食い違っています。明日、王室書記官と北境法務官の立ち会いで正式に確認します。冬夜会の証言、門衛記録、宿の予約記録も用意してください」
父の魔力が初めて乱れた。
継母が扇を強く閉じる。
「せっかく歩み寄っているのに、親を犯罪者のように扱うの?」
「記録が正しければ、何も困らないはずです」
自分の声が思ったより落ち着いていた。
「家族の話に、そこまでする必要があるのか」
「家族だから曖昧にされたくありません」
ユリウスが扉を開き、面会の終了を告げた。
三人が退出すると、窓の氷が小さく割れた。
緊張が切れ、膝から力が抜けた。椅子へ座り直すと、レオンハルトが水の入ったグラスを机の端へ置く。私の手へ直接渡さず、取れる位置で止めた。
「怖かったか」
「はい」
強がらずに答えると、喉の奥の痛みが少し楽になった。
「それでも、明日は出ます」
「分かっている」
彼は窓へ向けていた冷気を収め、ユリウスへ必要な記録の収集を命じた。命じたのは私が求めた証拠だけだった。
「明日、入城を拒むこともできる」
レオンハルトの声は低かった。
私は閉じた契約書を彼へ見せた。
「いいえ。私が、これを断ります」




