第7話 城の外へ出ても、私は戻る
「市場へ行ってみたいんです」
晴れ間の出た朝、私が言うと、レオンハルトの羽根ペンが止まった。
「必要な物なら取り寄せる」
「自分で見て、自分の給与で買いたいのです」
彼は窓の外と私を見比べた。止める言葉を探しているのが分かる。
やがて引き出しから、小さな箱を出した。
中には青い石を嵌めた銀の耳飾りが入っていた。
「周囲の魔力干渉を弱める。完全には消せないから、疲れる前に休んでくれ。護衛を二人付けたい」
「少し離れて歩いていただけるなら」
「グレンに伝える」
それだけで話は決まった。
市場には、毛皮、干し果実、冬野菜が並んでいた。耳飾りは人々の魔力から鋭い部分だけを削り、ざわめきを遠くへ押しやってくれる。
城門を出る時、門衛は帰城予定を尋ねた。私は正午と答えかけ、地図を見直した。
「夕刻前にします。途中で予定を変えるかもしれません」
護衛のグレンは、行程表へ時刻を書き込む代わりに、日没前までとだけ記した。戻る時間まで他人に決めてもらう必要はないのだと、その小さな空欄で気づいた。
最初の通りを抜けたところで、石畳の継ぎ目が波打つように見えた。耳飾りは苦痛を消すのではなく、弱めるだけだ。私は無理に歩き続けず、護衛へ休憩を告げた。
茶店の隅には小さな遮音衝立があり、店主は理由を尋ねず置いてくれた。温かいミルクを飲み、呼吸が戻るまで半刻休む。急かす者はいなかった。
再び通りへ出ると、向こうで楽隊が冬の曲を始めた。太鼓の魔石が鼓動するたび、耳飾りの内側へ低い圧力が溜まる。
以前なら、行くと決めた道を変えれば、弱いと思われる気がした。私は護衛へ地図を見せてもらい、川沿いの裏通りを選んだ。
集客を期待していた菓子店には寄れなくなったが、代わりに河岸の小さな種苗屋を見つけた。店先の冬芽に、植物図鑑でしか知らなかった名札が下がっている。
店番の少年が、棚の奥にある鉢を取ろうとして脚立を出した。私の護衛が先に手を貸そうとすると、少年は首を振り、自分で一段ずつ上る。危なくなれば支えられる距離だけ残し、グレンは手を下ろした。
その待ち方が、今朝のレオンハルトとよく似ていて、私は少し笑った。
予定どおりでなくても、外出は失敗にはならない。
無理をせず、茶店で二度休んだ。それでも書店で植物図鑑を選び、文具店で細いペン先と青いインクを買えた。
誰かに似合う物を決められるのではない。値札を見て、財布を開き、やめることもできる。そんな当たり前が楽しかった。
文具店では二本の羽根ペンで迷った。高価な方を手に取り、結局、手に馴染む安い方を選ぶ。店を出てから考え直し、青いインクだけは上等な物を買った。
小さな包みが増えるたび、給与の使い道が自分の一日へ変わっていく。
最後に茶葉店へ入った。
「華やかな香りなら、こちらが人気です」
店主が差し出した茶葉は、私には少し甘すぎた。奥にある深緑の瓶から、冷たい森を思わせる香りがする。
「こちらをください」
「渋みの強い北境茶ですが」
「知っています」
代金を払ってから、それがレオンハルトの好む茶だと気づいた。
自分のために出てきたのに、彼のカップへ注いだ時の顔を想像している。
頬に冷気が当たり、私は包みを抱え直した。
夕刻、城へ戻ると、玄関広間にレオンハルトがいた。書類を持っているが、視線はずっと扉へ向いていたらしい。
「戻ったか」
「はい」
私は茶葉の包みを差し出した。
「あなたに」
彼はそれを受け取らず、まず私の顔色を見た。
「具合は」
「休みながら歩けば大丈夫でした。買い物も楽しかったです」
「そうか」
ようやく包みを受け取った手から、張りつめていたものが消える。
「それでも戻ってきました」
「……ああ」
「戻りたかったので」
レオンハルトは何か言おうとして、茶葉の包みへ目を落とした。
「これは、私がいつも飲んでいる物だな」
「お店で気づきました」
「買う前に?」
「……買った後です」
彼の口元がわずかに上がる。その顔を見るために選んだのだと、今度こそ分かった。
レオンハルトは茶葉を胸元へ引き寄せ、目を伏せた。
「お帰り、リゼット」
その一言だけで、外出中に何度も彼を思い出した理由が、もう分かってしまいそうだった。
執務室で茶を淹れた直後、ユリウスが封書を持ってきた。
クラウゼル家とラーデン家の連名。職務登録の通知を受け、婚約解消と家籍処理に関する『認識の相違』を確認するため、面会を求めるという。
「会わなくてもいい」
レオンハルトは封書を閉じた。
私は耳飾りを外し、机へ置く。
「会います。今度は私が終わらせます」




