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婚約破棄された魔力過敏令嬢の心音だけが、氷の魔王公爵を眠らせる ~捨てられた夜に拾われ、安眠係として溺愛されています~  作者: 他力本願寺


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第17話 私が、あなたのそばで眠りたい

晴れた昼、馬車は北境城の前へ着いた。


 門衛が私の顔を見て目を見開いた。合図の鐘へ手を伸ばしかけ、私が首を横に振ると、先に門を開けてくれた。


 誰かに知らせるより、自分の足で中へ入りたかった。


 石畳には、あの日の馬車の轍はもうない。階段脇の鉄の手すりだけ、氷に焼かれたように色が薄く残っていた。


 階段を下りてきたレオンハルトは、私まで三歩のところで止まった。


 抱きしめたいのだと、握った手を見れば分かる。彼はその場で呼吸を整えた。


「戻ると決めたのか」


「はい」


 彼の目が閉じ、長い息が白くほどけた。


 玄関に集まりかけた使用人たちは、レオンハルトの一瞥で持ち場へ戻った。誰も歓声を上げず、私の鞄を勝手に取らない。以前と同じ節度が、帰ってきた私を迎えた。


 隣の私室は、出た日のままだった。机の上に置き忘れた青いインクも、窓辺の本も動いていない。内扉だけが閉じている。


「入っていないのですか」


「君の部屋だ」


 彼はそれ以上言わなかった。


 客間で向かい合うと、私は鞄から未送信の手紙を出した。


「戻る前に、三つだけ約束してください」


「聞く」


「病状を隠さないこと。私の安全に関わることは相談して決めること。私室と仕事と財産は、今までどおり私の名で残すこと」


「すべて約束する」


 レオンハルトは、オリヴィエから届く診断書の写しを今後は同時に私へ渡すこと、護衛案には私の確認欄を設けることを提案した。


「そこまで書式にしなくても」


「私は一度、怖さに負けた。次に同じ怖さが来た時、口約束だけで正しく振る舞えると過信したくない」


 自分を立派に見せるための言葉ではなかった。私は確認欄の案だけ受け入れた。


「私が戻ったことと、昨夜のことを許したことは、同じではありません」


「分かっている」


「次の診断書を見せれば、それで終わりでもありません」


「終わったことにしない」


 レオンハルトは机の引き出しを開けた。中には、私が離れていた五日間に届いた診療記録と、彼自身が書いた短い睡眠記録が日付順に並んでいる。私へ送れば戻るよう迫ることになると思い、保管していたのだという。


 私は一枚ずつ受け取った。よく眠れた夜。風の音で起きた夜。私の夢を見たとだけ書かれた行。


「これからは、私がいない時でも同じように渡してください」


「そうする」


 謝罪を受け入れることと、信じ直すことの間には時間がある。その時間を飛び越えようとしない彼なら、私はここで続きを考えられると思った。


「紙に書くだけでは足りません」


「破れば、君がまた出ていくことを知っている」


 冗談ではない。彼は本気で受け止めている。


 私は封筒を卓上へ置いた。


「療養館では眠れました。仕事もできました。食事もおいしかったです」


 レオンハルトの顔がこわばる。


「それでも帰りたくなりました。あなたがいなかったからです」


 言葉にすると、五日間抱えていた寂しさが胸へ戻ってきた。


「あなたがいなくても、私は倒れませんでした」


「ああ」


「あなたも、私がいなくても眠れましたね」


「眠れた。朝も来た。仕事もできた」


 彼は一度目を伏せ、まっすぐ私を見た。


「それでも、何をしても君がいない一日だった」


「あなたが眠るためじゃない。私を必要としてほしいからでもない」


 私は立ち上がり、彼の前まで歩いた。


「私が、あなたのそばで眠りたいんです」


 レオンハルトの手が上がる。


 頬に届く前で止まったその手を、私が取った。冷たい掌を自分の頬へ当てる。


「私は君がいなくても生きられる」


 彼の声が震えた。


「だから、もう何の言い訳もできない。君が欲しい。朝に声を聞きたい。仕事から戻る足音を待ちたい。君がほかの男へ笑えば嫉妬するし、それでも君の仕事を奪いたくない」


 指先が、頬の形を覚えるようにわずかに動く。


「愛している、リゼット」


 私は彼の外套をつかみ、自分から距離を縮めた。


 唇が触れる直前、互いの呼吸が乱れ、心臓が速くなる。最初に彼へ渡した穏やかな脈とはまるで違う。


 それでも痛くない。


 重なった唇は冷たく、すぐに温度を持った。レオンハルトの腕が背へ回る。逃がさない強さを宿しながら、私が引けば離れられる余地が残っている。


 彼の心臓が速い。八年ぶりに眠れた夜、私の脈を聞いていた彼が、今は自分の鼓動を隠せずにいる。


 私の魔力も、いつもの穏やかな波ではなかった。近づくたびに揺れ、触れたところから熱が広がる。それでも彼は痛がらない。回復した感覚で、私の乱れまで受け止めている。


 離れた後も、額が触れ合ったままだった。


「もう一度、いいか」


 私は答える代わりに、彼の首へ腕を回した。


 その夜、自室へ戻ると、内扉は閉じたまま待っていた。


 私が鍵を開ける。


 向こう側にいたレオンハルトは、一歩もこちらへ入ってこない。


「今夜は?」


 私は扉を最後まで開いた。


「こちらへ来てください」


 彼はようやく境を越えた。


 同じ寝台へ入る前に、私たちは衝立をどうするかで少し迷った。


「もう要らないでしょうか」


「君が残したいなら残す」


 私は衝立を壁際へ寄せ、二つの寝台はそのままにした。今夜どちらで眠るかも、明日どちらへ戻るかも決められる。


 結局、レオンハルトの寝台へ並んで横になった。彼は私の手を握らず、掌を上にして枕の間へ置いた。


 私はその掌へ自分の手を重ねた。

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