第二章 ep3
少し屋敷を出るのが遅くなってしまったけれど、ジーク様のご好意で公爵家の馬車を使わせてもらえたので、どうやら昼までに王立魔法音楽院の学院寮に到着しそうだった。
王立魔法音楽院は、ノルド・マーリング王国の王都ノルディスの南西の角にある。
王都の南東に武の騎士団、王都の南西に魔術の魔詩師団がおかれていて、王立魔法音楽院は魔詩師団に属する魔詩師の養成機関と位置付けられているからだ。
わたしが乗った馬車は、王立魔法音楽院の門をくぐり、そのまま最も西に位置する学院寮の馬車寄せで止まった。
わたしは御者をしてくれた馬番のダッド爺さんにお礼を言うと、背にリュート・オリヴェルを、手には大きなスーツケースを持ち、馬車を降りた。
王立魔法音楽院には、入学試験の時と合格発表の時に来ていたが、学院寮に足を踏み入れるのは初めてだった。
蔦の葉がからまった古びた建物は、いかにも魔詩を学ぶ場といった雰囲気で圧倒される。
わたしは、スーツケースをごろごろと転がしながら、入り口に向かった。入寮日の今日は、新入生だけでなく、長期休暇を楽しんだ後の上級生の姿もある。
玄関の前には机が出されており、新入生のための受付が設けられていた。
そこにいたのは、背の高い豪華な金の髪をした女子生徒と、くすんだ銀色の髪の男子生徒だ。
公爵邸に引き取られてから八年間、ジーク様以外とはほとんど話をしたことがなかったわたしは、ふたりの姿をみただけで、体に緊張が走った。
背中にいるオリヴェルがビーンと小さく鳴った。
「どうした、ミーリャ、怖気づいてんのかよ」
「うん、まあ、ちょっとね」
「別に盗って食われたりするわけじゃねぇだろ」
「そうだけど……」
「ねぇ、新入生かしら」
馬車を降りた位置からほとんど進まず、おろおろしていたからだろう、女子生徒のほうから受付の机を離れてわたしに声をかけてくれた。
「あ、はい、そうです」
「わたしは、生徒会長のヴァネッサ・ルーデンス。こちらで入寮手続きをしてもらえるかしら」
「はい、わかりました」
わたしは、スーツケースを引きずりながら、受付の机にむかうと、びっしりと名前が書かれたリストを目にして頭が痛くなりそうだった。
どうにも、こう、文字がびっしりと書かれた紙は、わたしの天敵みたいだ。
「自分の名前、みつからない?」
めんどうくさそうに応対してくれたのは、ヴァネッサの隣にいた男子生徒だ。
「レイモンド、新入生は親切にって言ったでしょ。ああ、彼は副会長のレイモンド・カートライトよ。あなた、お名前は?」
「ミーリャ・ラングです」
「……え?」
わたしの名前を聞いて固まったのは、ヴァネッサさんだけではなく、レイモンドさんも一緒だった。
「もしかして、ジークヴァルド・ラング公爵のお嬢さん?」
「漆黒の詩長の?」
「あ……はい、そうです。えっと、娘ではなくて、養女です。両親を早くに亡くしましたので、公爵家に引き取っていただいて」
「ええ、それは聞いたことがあるわ。そう、あなたが」
ヴァネッサさんは、わたしの名前をリストの中から手早くみつけ、チェックをつけると、何やら大量に文字が書かれた紙をわたしてきた。
「これを読んで、ここにサインをしてくれる?」
わたしは、読んでもわからない紙に、読んだふりをして手早くサインをした。
「新入生は全員相部屋なの。あなたのルームメイトはもう入寮しているわよ」
そう言って、鍵をわたしてくれた。
その鍵に書いてある番号は207。
よかった、数字だけはなんとか読めて。
わたしは、蔦の葉が絡まった学院寮の中へ足を進めた。建物の中は少し薄暗く、数百年前に建てられたという時間の重みを感じた。階段の前まできて、いちど背のリュートを下ろして、スーツケースだけを運ぼうとしたところ、ふと自分の手元から荷物が消えた。
「よかった、追いついた」
「レイモンドさん?」
「きみの、リュートすごく大きいから、スーツケースと一緒に運ぶの無理そうだなって思って、追いかけてきたんだ」
「受付はいいんですか?」
「ヴァネッサひとりで大丈夫だよ、おれは座ってただけだしね」
ひょろっとした体格の割には、わたしのスーツケースを軽々と二階まで運び、ふうと小さく息をついた。
「同室の女の子、ちょっと変わってるけど、仲よくね」
「え、ああ、はい、わかりました」
とはこたえたものの、わたしよりも変わった子がいるんだ。そのほうが驚きだ。
「じゃあ、207はそこのつきあたり」
「ありがとうございました」
わたしがぺこりと頭を下げると、レイモンドさんはひらひらと手を振って、また一階に戻っていった。
わたしは、レイモンドさんから教えてもらった通り、一番奥の部屋の扉の前にたつと、軽くノックをした。
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