第二章 ep2
オリヴェルを背負って玄関までいくと、わたしのスーツケースがぽつんと置いてあった。きっとレヴィさんがここまで運んでおいてくれたのだろう。
ジーク様は、今朝早くに王宮に出仕されるということだったので、昨夜のうちに挨拶をすませておいた。
「これから、頑張りなさい」
と、いたって簡単な、でも温かい表情でそう言ってくれた。
だから、このまま出立すればいい。
八年住んでいたとはいえ、ジーク様は独り身で家族もいらっしゃらないし、ほとんどの時間を地下の自室で過ごしていたわたしは、お屋敷の使用人の中にも親しくしていた人はいない。
お屋敷のみなさんに挨拶もせずに出て行くことに、少し心は痛んだが、お屋敷に仕えるひとたちにとって、午前中は目の回るような忙しさのはずだ。そんなひとたちをわたしの都合で時間を取ってしまうのに気が引けたのだ。
そっと玄関の扉を開けたとき、背後から声をかけられた。
「ミーリャ」
「ブルームズさん……」
声のほうを振り返ると、ブルームズさんだけではなく、多くの使用人のみなさんが集まっていた。
「挨拶もせずに、出て行くつもりかね?」
「あの、それは……」
「また、この子は、変な気をまわしてんじゃないのかねぇ」
そう言ったのは、厨房頭のマリアンヌさん。貫禄のあるどっしりとした体つきの頼りがいのある人だった。
その言葉に、わたしは、これまでお世話になった人たちに、なんて無礼なことをするところだったのだろうと、改めて気が付いた。
「みなさん……」
わたしは、オリヴェルを背からおろし、立ったままではあったが肩ひもをかけてリュートを構えた。
わたしが何かを詩うつもりだと気がついたみなさんは、少し構えたような表情になった。そりゃ、小さいころ何度も窓のガラスを割ったり、花瓶を吹き飛ばしたり、お屋敷限定局地豪雨を降らせたりした、わたしが魔詩を詩おうとしているのだから、警戒しますよね。
でも、この八年間、ジーク様が手ずから教えてくれたのだ。
だから聞いて欲しかった。
「この庭に花は咲いている?
もし咲いていないのなら、わたしを呼んで
赤いリリア、白いプルミア、黄色いミーマ
どんな花でも、咲かせてあげましょう
ほら、庭をみてごらん
こぼれるように、花が咲いているから」
実は、屋敷のみなさんの前で詩ったのは初めてだった。
わたしの小さな頃を知っていれば、わたしの詩に恐れを抱いているだろうってことは、さすがのわたしも、わかっていたから。
けれど、もしかすると、これが最初で最後になるかもしれない。
だから、わたしの魔詩も少しはみなさんの心にやすらぎを届けられるものだと、知っておいて欲しかった。
わたしの詩が終わる頃には、公爵邸の庭は、花で溢れかえっていた。
「こりゃ、庭の手入れが大変じゃわい」
庭師のガスパール爺さんが、掠れた声で笑ってくれた。
「全部のお部屋に花を飾っても、まだ余るくらいね」
メイドのお姉さまたちも、花を摘みながら笑ってくれている。
わたしは、リュート・オリヴェルを袋にしまい、また背負いなおすと、屋敷のみなさんの顔をひとりずつ見まわして、深々とお辞儀をした。
「みなさん……本当に、これまでお世話になりました」
頭を下げたわたしに、みなさんが優しい言葉をかけてくれる。
「学院にも休暇はあるでしょう」
「部屋はそのままにしておくからね」
「寮の食事なんか大したことないさ。そのうち、わたしのアップルパイが恋しくなるだろうよ。帰ってくるときは連絡しなさいよ。焼いておいてあげるから」
「マリアンヌさん……」
「ほんとに、あんなにちっちゃかった子がね……大きくなったもんだ」
マリアンヌさんの目には、すこし涙がたまっていた。
それにつられて、わたしも涙がこぼれそうになった。
「では、みなさん、行ってきます!」
そう言って、わたしはラング公爵邸を後にした。
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