第十一章 ep2
芽吹きの春のうちに、できるだけ多くの集落をまわっておきたい。
母さんは、自分で馬にまたがって集落から集落へと回っていたそうだけれど。わたしはまだひとりで馬に乗れないから、いつもヴィーゴに二人乗りさせてもらうことになる。
馬のピコには悪いが、ちょっと重いけど我慢してもらっている。
実りが豊かになれば、飢える人も少なくなるだろう。そうすれば、これまで暴発しがちだった若者も、なんとか抑えられるかもしれない。
そもそも、ノルド・マーリング王国とギュールズが争う必要なんてないんだ。
集落を去る時、ひとりの老婆がふかした饅頭を手渡してくれた。
饅頭は小麦を粉に挽いて、練って寝かせてから蒸す。そして中には豆に蜂蜜を合わせて煮込んだ餡が包まれている。おそろしく手の込んだ菓子だ。
ギュールズでは、何か祝い事があった時にしか作られないと聞いていた。
結婚式か、子どもが生まれたのか、何かあったのかもしれない。
「ありがとうございます。何か、お祝いごとでもあったのでしょうか」
「魔詩師が、あんたが来てくれた。こんな辺鄙な集落まで。今年こそはきっと実り多き秋になるに違いあるまいよ。その前祝いじゃよ」
「わたしのため?」
そう聞いてみると、老婆はゆっくりとうなづいた。
誰が、『青鬼』だって?
こんな優しい気持ちを持った人たちを、わたしたちは『青鬼』と呼んでいたのか。よくその人となりを知らず、ただ一部の人間の所業だけを見て、ギュールズの民は、残酷で人の心など持たない『悪鬼』だと、そう信じ込んでいた。
わたしは、父さんが亡くなった夜の言葉を鮮明に思い出した。
『青鬼なんていない』
街に火を放ったのが『青鬼』だと、ノルド・マーリングの人たちが口汚く罵っていたときも、父さんだけは、知っていたのだ。本当は『青鬼なんていない』ということを。
わたしは、老婆から饅頭を受け取ると、半分に割ってから一口かじった。
王都ノルディスで食べる菓子とくらべると、小麦のひきも雑で、ぷつぷつとした粒がのこっていて、舌触りはそれほど良くない。それでも、日々の食事にも事欠く中、魔詩師が来るからと、饅頭を準備してくれた、その心が美味しかった。
本当は甘いはずの餡が、わたしの涙がまざってしまって、少ししょっぱい。
割った残りの半分をヴィーゴにわたすと、すごく喜んでいた。
饅頭は、族長の弟であるヴィーゴでも滅多に食べられないごちそうなのだろう。
「さすが、ミーリャ。おれが饅頭大好きってこともお見通しなのか」
「そりゃ、それだけ饅頭をみつめられたら、気がつくでしょう」
ヴィーゴは、大きな口でばくばくと饅頭をたべると、手についた餡を全部舐め取った。
「もう、お行儀悪いって」
「いやいや、黒豆の蜂蜜餡なんて、こんどいつ味わえるかわかんないんだぜ。お行儀なんて二の次、三の次ってな」
わたしたちが、その集落を去ろうとした時、ピューイと鳥の鳴く声がした。ヴィーゴは指を口にくわえて、ピューイと指笛で吹き返すと、ティッパという連絡用の鳥がヴィーゴの肩に泊まった。ギュールズは、離れて暮らしてる家族なんかと、この鳥を使って連絡を取り合っていることが多い。
ただ、ギュールズのひとたちは文字をもたない。だから、ティッパに連絡したい言葉を覚えさせて伝えるのだ。
「グリス・フェルンへ戻れ。すぐにだ」
それはヴァルナルの口真似だった。こういう鳥は言葉を覚えるだけでなく、声質やしゃべり方まできっちりと覚えてるから、本当にすごい。
「わかった、兄貴、明日の朝には、そっちに着く」
ヴィーゴもティッパに伝言を覚えさせて、また空に放った。長い文章を覚えさせることはできないけれど、簡単な連絡ならばこれで十分だった。
このギュールズにきてわかったことだけれど、文字の読み書きができないのはどうやら母方の血のせいだったようだ。ギュールズの人たちは、そもそも文字を使わないので、それでまったく差し障りはない。ヴィーゴもまったく読み書きができず、ノルド・マーリングの王宮に潜入するときは、それが一番困ったと言っていた。
「でも、話してることを、全部覚えてりゃ、なんとかなったけどな」
文字を使わないからこそ、記憶力がいい。基本的に一度聞いたことは忘れない。
わたしがノルド・マーリング王国で暮らしていた時、とても苦労していたことが、ここでは普通のことで、暮らしていく上で何の問題もないことに驚いた。
ヴィーゴとふたり、ギュールズの集落を回っていくうちに、否が応でも自分にギュールズの血が半分流れているということを自覚させられた。
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