第一章 ep2
ジークヴァルド・ラング。
わたしの養い親になってくれた人だ。
父さんが亡くなったとき、わたしを助けてくれた人。
引き取ってくれた後にわかったことだけれど、この国の公爵様だった。しかも、漆黒の詩長という異名を持つ、凄腕の魔詩師だった。
父さんを亡くした時、わたしは数百年に一度というほどの豪雨を呼んでしまった。魔詩の暴走というやつだ。またいつ暴走するかわからない。その時わたしはまだ五歳で、まだ自分の感情を自分の意思で制御できるような年齢じゃなかった。だから、引き取るというより、漆黒の詩長の監視下におかれたというわけだ。
父さんが生きていた頃には、普通に話すことができていた。しかし、父さんの死がきっかけとなってしまったのだろう、自分の感情を抑えることができなくなっていた。話すことすべてが魔詩を紡ぐことになってしまい、幼い感情のままに魔力を暴走させていた。
口にした言葉がすべて魔詩になってしまうため、魔力を通さない公爵邸の地下室で暮らすことになった。
危険極まりない幼児を預かって育ててくれたのが、ジーク様だった。
ジーク様は、わたしにとてもやさしくしてくれた。
暖かい寝床と美味しいご飯。
物心ついてからずっと父さんと旅をしてきたわたしは、野宿には慣れっこだったけど、やはり暖かいベッドの寝心地にはうっとりとした。
父さんの稼ぎがないときには、水を飲んで空腹をごまかすなんてことは、しょっちゅうだったけど、ジーク様の屋敷に引き取られてからは、一度たりとも食事を抜かれたことなんてなかった。
詩長として王宮で多くの仕事を抱え、後進の指導にもあたりながら、魔詩の基礎をわたしに教えてくれた。
読み書きも教えてくれたけれど、これは一年ほどで、さすがのジーク様も匙を投げた。それでも、自分の名前だけはなんとか書けるようにはしてもらった。
もうこれだけでも、返せない恩がてんこもりだ。
だから、少しでもジーク様の役に立てるように、ちゃんとした魔詩師になりたいと思った。
魔詩師になって、わたしも王宮に勤めることができれば、いくらかはジーク様のためになれると。
このノルド・マーリング王国では、魔詩師と名乗るためには、王立魔法音楽院で学び、卒業試験に合格しなくてはならない。
入学試験を受けられるのは十三歳から十五歳までの三年間。だからわたしは、十三歳の誕生日がくるのを心待ちにしていた。
試験科目もろくに調べもせず。
わたしは大きなため息をついて、もう一度、壁に貼られた自分の名前をみつめた。
どれだけ合格発表の一覧を眺めたところで、内容が変わるわけでもない。
幸い、わたしはまだ十三歳だ。今年、もし入学できなかったとしても、来年と再来年も試験を受けることはできる。
できるが、あと一年や二年で、筆記試験を突破できるだけの学力がつくとは到底思えない。というか、十年あっても、無理そうな気がしてきた。
「ねえ、オリヴェル。やっぱり王立魔法音楽院はあきらめたほうがいいのかな」
背中でビーンと弦が鳴る。
「そもそも、ミーリャはなんで、魔詩師になりたいんだ。ジークのおやっさんは、別に受験しろなんて言ってなかっただろ」
「ジーク様をおやっさんなんて呼ばないで。まだ三十歳にもなってないんだよ」
「今年、三十だろ。おやっさんでいいじゃないか。それにおまえの親代わりだ」
「親じゃないよ……」
「まあ、そうだけどよ」
わたしにとって、父さんは、吟遊詩人のアドリアン。ただひとりだけだ。
「ミーリャは、本を読んだり、勉強したりは苦手だろ。初等学院へも行かなくていいって言われてたじゃないか」
この国の貴族の子弟なら、六歳から十二歳まで初等学院に通うのが普通だ。庶民向けには、簡単な読み書きと算術を学べる学校があり、そこで優秀な成績を納めたものは、推薦を受け初等学院に編入してくる子どももいる。
「そうだけど…でも、それは、魔詩を暴走させたら周りにいる子どもたちに怪我させちゃうかもしれないからだって」
わたしは、学校へは行けなかった。
十歳を過ぎたあたりから、自分の口にした言葉がそのまま魔詩になってしまうようなこともなくなり、自分の意思で制御できるようになってきた。長い間、公爵邸の地下室で暮らしていたけれど、外にも出してもらえるようになった。
しかし、文字の読み書きが極端に苦手なわたしを見て、ジーク様は学校へは行かなくて良いと言ったのだ。
ジーク様は時間を作ってわたしに口伝えで、いろいろなことを教えてくれたのだった。
でも、このままでいいわけない。
ずっと、ジーク様の屋敷で世話になるわけにもいかない。
なにより、ちゃんとした魔詩師になって、ジーク様の役に立つ人間になりたかった。




