序章 ep3
「雲が湧き上がれば、
空から澄んだ水の雫が落ちてくる
やさしいその雫は
なにもかもを美しく清めて」
まだ、ミーリャは雨の詩のすべてを覚えていなかった。だから、同じ詩を繰り返し、繰り返し詩うしかなかった。
ぽつりと、ミーリャの頬に雫が落ちた。
一粒落ちると、ぽたりぽたりと、肩に、額にと、いくつも雨が降り注いだ。
ミーリャがその背に感じていた、アドリアンの温もりが雨に奪われていく。
その温もりを奪っているのは、雨ではなくて、死であることをミーリャは幼いながらもわかっていた。
ミーリャは泣いた。
泣きながら詩い続けた。
雨の詩を。
土砂降りの雨は、やがて街中に燃え広がっていた炎を鎮めていた。
「どういうことだ、この叩きつけるような雨は?」
大人の男たちの声が街の奥から聞こえてきた。
「こ、これは? 耳をふさげ! 魔詩だ!」
「くそっ、ギュールズのやつら、火を放った後は、豪雨で街を押し流すつもりなのか!」
「どこかに、魔詩師がいるぞ! 気をつけろ」
黒装束の男たちが、瓦礫になった街中を血眼になって探し始めた。
そんな中、まだミーリャは詩い続けていた。
父親から習った雨の詩を。
「んぐっ!」
詩い続けていたミーリャの口は、後ろから羽交い絞めされるようにして、大きな手でふさがれた。
「もう、詩わなくていい」
「んー!うぐっ」
ミーリャが必死になって抵抗したが、大人の男の手はびくともしなかった。
「周りを見てみろ、火事はおさまった」
「うぐっ!」
「それに…おまえの父親を弔ってやらないとな」
「…」
その言葉を聞いて、ミーリャは詩うのをやめて、おとなしくなった。
アドリアンはミーリャを膝に抱いたまま冷たくなっていた。ミーリャの左手に重ねた弦だこのある指は、弦を押さえたまま固くなっていた。
ミーリャが暴れないとわかると、男はそっとミーリャの口から手を離してくれた。
雨は次第に弱くなり、空から光が射してきた。いつの間にか夜があけていたのだ。
雨はやんだはずなのに、ミーリャの頬はいくつもの雫で濡れたままだった。
一晩中詩い続けたミーリャの嗄れはてて掠れた声が、言葉になることもないまま悲しみを紡いでいた。




