第22話:英雄は、血塗られた玉座に問う
石造りの重厚な回廊を歩きながら、隣を歩くセリアが僕の手元を覗き込んできた。
「ねえ、ミラル。やな予感がするんだけど。その紹介状を持って王城に向かうように言われてここまで来たけど、結局、誰宛なの? 竜殺しのおじさん、中身は見せてくれなかったじゃない」
僕は封筒の裏面に記された、力強い筆致の署名を確認する。
「ええと……『ゼットナ』と書かれているね」
その瞬間、セリアが「はぁ?!」と素っ頓狂な声を上げて足を止めた。あまりの驚きように、すれ違う近衛兵たちが不審げにこちらを振り返る。
「ちょっと、アンタ本気!? ゼットナって……このエーセリア王国の女王陛下の名前じゃないのよ! なんでそんなことも知らないのよ!」
「……そうだったんだ。今初めて知ったよ」
「信じられない……。アンタの世間知らずには呆れるわ。いい? ゼットナ陛下は、かつて闘技場で無敗を誇った伝説の闘士。そこから傭兵女王として大陸に覇を唱え、中小様々な国を力で呑み込んで、たった一代でこの大陸最大の国家を築き上げた怪物よ。私たち冒険者にとっては、生ける伝説そのものなんだから」
セリアは真っ赤な髪を乱暴にかき上げ、深い溜息をついた。だが、その指先が微かに震えているのを、僕は見逃さなかった。Aランク冒険者の彼女ですら、名を聞いただけで戦慄する。それが、この国の主の重みだった。
やがて、巨大な大理石の扉が開かれた。
そこは、人間界の軍事を統べるエーセリア王国の中枢――謁見の間。
一歩踏み出した瞬間、僕は奇妙な違和感を覚えた。
玉座へ続く大理石の床が、謁見の間にしてはやけに広すぎるのだ。まるで屋内闘技場のようなその広大な空間には、よく見れば無数の剣痕や、拭いきれない血の跡が黒ずんで残っている。
「……ミラル。ここ、おかしいわ。玉座の前が広すぎる。この空気、まるで……」
「うん。闘技場みたいだね」
僕たちが玉座の前で跪くと、傍らに控えていた神経質そうな初老の文官――内政を司る宰相が、恭しく僕から書状を受け取った。彼は封蝋を改め、仰々しい足取りで玉座の階段を登ると、深々と頭を下げて女王へと捧げ持った。
「陛下、辺境の英雄キラド殿よりの紹介状にございます。……身元不明の若者が持参したものではありますが、印章は本物に相違ございません」
宰相がなおも形式張った説明を続けようとするのを、玉座の主は片手を挙げて制した。
「面を上げよ。……堅苦しい礼儀など、私の前では不要だ。宰相、そのまどろっこしい説明も後にしろ。これよりは無礼講とする。表面だけの儀礼も、借りてきた猫のような沈黙も、ここでは何の価値も持たん」
促されるままに顔を上げると、そこには豪奢な軍服を纏った隻眼の女傑が座っていた。
宰相から奪い取るようにして書状を広げた女王は、その身から物理的な圧力となるほどの覇気を放ち、僕たちを射抜いた。
セリアは歯を食いしばり、膝が屈するのを懸命に堪えている。Aランク冒険者の彼女をして、立っているのが精一杯。それが、一代で大陸を統一した『女王』の格だった。
「ほう。竜殺しの英雄キラドの紹介状か。……竜殺しの偉業を成し遂げただけでなく、稀代の英雄の資質まであると。しかも、ここには私が探し求めている答えを知る人物ともある」
女王は手元の書状に目を落とし、不敵に口角を上げた。
「ふっ……ずいぶん都合の良い話しだな。だが、キラドは私の戦友だ。彼の推薦ならよもや間違いということもあるまい。……どっちがミラルだ?」
その鋭い隻眼が、僕とセリアを射抜く。僕は静かに顔を上げ、女王の視線を真っ直ぐに受け止めた。
「……僕が、ミラルです」
「そうか」
女王は短く応じると、玉座の背もたれからゆっくりと身を乗り出した。
その瞬間、謁見の間の空気が、まるで深く冷たい水底に沈められたかのように重く張り詰める。
「では、ミラルとやら。お前に問う」
逃げ場のない重圧の中、物理的な質量すら伴うような女王の声が、僕の腹の底に響き渡った。
「私は平和な世を作るため、邪魔な国を滅ぼし、多くの人間を殺した。……ミラル、私の行動は正しいか?」
「……僕は、正しいとは思いません。どんな大義があっても、無関係な命を奪うことを正当化してはいけないはずです」
「なっ……ミラル!」
セリアが短い悲鳴のような声を上げた。女王に対してこれ以上の不敬はない。
だが、僕は言葉を止めなかった。
「なるほど。この傭兵女王に向かって良く言う。では問う。正しき行動とはなにか?」
玉座の間が静まり返る。
僕は、これまでの旅で出会ってきた、不器用で気高い『本物の英雄』たちの顔を思い浮かべながら、静かに答えた。
「なるべく多くの、善良な人間が助かる道を探し続けることです」
「善良とは、どのように決める?」
「自分の過剰な欲望を調整し、他者の痛みに寄り添える者こそが善良です。たとえそれが、世間から悪党や詐欺師と蔑まれる者であっても」
僕の答えに、女王は面白くもなさそうに隻眼を細め、僕を氷のように冷たい視線でにらみつけた。
「……誰も死なせずに、だと? 誰が好き好んで魔族との戦争を続けるものか。平和とは、無数の屍と犠牲の上にしか築けぬのだ」
女王から放たれる殺気が極限まで膨れ上がる。セリアが息を呑むのが分かった。だが、僕は絶対に目を逸らさなかった。
真正面から女王の隻眼を見据える。僕の瞳の表面には、戦火の中を孤独に突き進んできた彼女の魂が、鏡のように静かに映り込んでいた。
沈黙が広間を支配する。やがて、女王はふっと殺気を収めると、玉座の肘掛けをドンッと叩き鳴らした。
「……だが、その怯まぬ鏡のような瞳。まるで、私の方が試されているようでもある。面白い! ならばお前のその理想、ここで『力試しの儀』を受けて証明してみせよ! 近衛たちよ、下がれ! 広間を空けろ!」
女王の一喝で、周囲に控えていた兵士たちが一斉に壁際へと下がった。
重厚な扉が地響きを立てて左右に分かれ、一人の男が足音を響かせて現れる。
「人類の希望たる勇者ルクスよ! お前の持つ『聖剣カンデラ』の力を今こそ示せ!」
現れたのは、豪奢な聖鎧に身を包んだ金髪の青年。荒野で僕が命を救った、あの勇者だ。
「……また会ったな、異端の小僧。その薄汚い鏡のような瞳、相変わらず反吐が出る」
勇者ルクスが一歩踏み出すごとに、大理石の床が白銀の魔力に耐えきれず、メキメキと悲鳴を上げてひび割れていく。その両眼には、どろりとした暗い憎悪が渦巻いていた。
「救うための強さだと? 反吐が出る。……俺の故郷はな、魔族領として組み込まれ滅ぼされた。魔族領には、もう人間はいない。これが何を意味するか分かるか? 奴らは、領内の人間を赤子に至るまで皆殺しにしたんだ。これは、奪われた者たちの正当な復讐だ」
ルクスが『聖剣カンデラ』を抜くと、広間が焼けるような光に包まれる。
「魔族を根絶やしにすることこそが、人類の希望たる俺の使命。その聖なる大義の前に、お前のような不純物は――ここで完全に浄化する!」
光の圧に圧し潰されそうになりながら、僕は逃げずにルクスの瞳を見つめ返した。
鏡のような僕の瞳に、復讐の鬼と化した勇者の、泣き出しそうな絶望が映り込む。
「……あなたの背負った悲しみは、僕には想像もできないほど重いものかもしれません。でも、復讐の連鎖は、どこかで誰かが断ち切る必要があります。そうしなければ、また新しい『あなた』が生まれてしまうから」
僕は双剣『四大精霊剣ジェミル』を静かに抜き放ち、静かに、だが決して折れない意志を言葉に乗せた。
「今のあなたの剣では、誰も救えません。それを今から、僕が証明します」




