第19話:英雄は、空っぽの器に涙し決別する
残されたガランが、理性を失った獣のように吠え、赤黒い軌跡を描く魔剣を力任せに振り下ろしてくる。
速い。だが、軌道が単調すぎる。
「水よ!」
僕が右手のジェミルを振るうと、刃が水のロープへと変幻し、ガランの魔剣の刀身に絡みついた。
「なにっ!?」
「あなたは、何も分かっていない!」
手首を捻って強く引き寄せると、ガランはあっさりと体勢を崩し、無様な音を立てて地面に転がった。
「ぐぁっ……くそっ! なんでだ、なんで俺がこんなゴミ野郎に勝てねぇんだ!」
土に塗れたガランが、魔剣を杖代わりに立ち上がろうともがく。
魔剣から漏れ出す黒い霧が、彼の指先を炭化させていく。それでも彼は、その苦痛にさえ気づいていないようだった。
そして、虚空に向かって唾を飛ばしながら絶叫した。
「約束が違うぞ、ゲスデビル! この剣があれば復讐できると言っただろうが! 俺を助けろ!」
その名を聞いた瞬間、僕の背筋に冷たい悪寒が走った。
荒野で勇者を急襲した、あの悪魔の幹部。
『ゲヒャヒャヒャ! ほんっと、人間ってのは見苦しいぜ!』
ガランの足元の影が不自然に歪み、どろりとした瘴気と共に醜悪な悪魔――ゲスデビルが這い出してきた。
ガランがすがりつくように手を伸ばすが、ゲスデビルはその手を払いのけ、下劣に嗤った。
『お前を助ける? バカ言ってんじゃねぇよ。「空っぽ」の魂のガラン! 今度は、お前が器になって俺様を助ける番なんだよ!』
「な、なにを……ぎゃあァァァァッ!?」
ゲスデビルが瘴気の塊となってガランの口と目から強引に侵入していく。
ガランの肉体が風船のように膨張し、皮膚を突き破って禍々しい角と黒い鱗が飛び出した。
「ガアァァァァッ!!」
完全に肉体を乗っ取られた怪物――ガランゲスデビルが、血に飢えた咆哮を上げる。
怪物は周囲を見渡し、気絶して倒れていた『銀の牙』のメンバーたちに太い腕を伸ばした。
「ゲヒャヒャヒャ! お前らの欲望で、さらに強化だ」
「やめろっ!」
僕が飛び込むより早く、怪物の腕から放たれた黒い波動が彼らを包み込んだ。
魔法の粒子へと強引に分解されるその一瞬、彼らの濁り切っていた瞳に、一瞬だけ生前の――僕と一緒に旅をしていた頃の恐怖と後悔の色が浮かんだ気がした。
だが、その救いを求めるような光も、怪物の醜悪な顎の中に無残に呑み込まれて消えていった。
仲間を喰らい、さらに巨大化して凶悪な魔力を放つ怪物。
その圧倒的な暴力を前にして、僕の心は不思議なほど静かだった。
(……ガランさん。あなたの剣には、最初から何も映っていなかったんですね)
魔王の孤独、親父さんの誇り、バルドさんの情熱。僕が『鏡』に映してきた本物の英雄たちは、皆、決して譲れない覚悟を持っていた。だが、ガランさんの中には、悪意に付け込まれるほどの『虚無』しかなかったのだ。
視界が、青白く揺らぐ。
かつて廃村で継承した『死霊術師』の力が、怪物の悍ましい肉壁の奥底を、剥き出しの真実として描き出した。そこにいたのは、悪魔の瘴気に全身を絡め取られ、逃げ場のない暗黒の中で苦痛に悶え、音のない悲鳴を上げるガランさんたちの魂だった。
(……ああ、なんてことだ。……もう、救えないのか)
魂の輪郭はすでに悪魔の術式と融け合い、修復不可能なほどに崩れ落ちている。彼らを『人間』として引き戻す道は、もうどこにも残されていないのだ。
でも、せめて――せめて魂だけでも、この悍ましい監獄から解放してあげたい。この悲劇を終わらせ、彼らを安らかに眠らせる術は……!
怪物の巨体が地面を抉りながら、圧倒的な質量で突進してくる。
脳内の『料理人』のスキルが、勝利への完璧な段取りを弾き出した。
――視界が、極限まで澄み渡る。
僕は震える手で、握り締めていた双剣に強く願いを込めるように叫んだ。
これは単なる『殺害』のための手順じゃない。彼らを絶望の連鎖から解き放ち、人としての誇りを取り戻させるための、僕にしかできない『救済』の儀式だ。
「僕の全魔力を込めた一撃で、彼らの魂を浄化する。……力を貸してくれ、四大精霊剣ジェミル!」
僕の決意に応えるように、双剣が白熱し、四色の魔力が激しく渦巻いた。一拍の静寂の後、僕は解き放つ。
「風よ!」
左手のジェミルを振り抜くと、下から吹き上げる凶暴な竜巻が怪物の巨体を錐揉み回転させ、空中へと高く打ち上げた。
「土よ!」
すかさず右手のジェミルを地面に突き立てる。地鳴りと共に無数の岩柱が空へ向かって突き出し、空中で交差して巨大な十字の磔台を形成した。
「ガァァァッ!?」
「水よ、捕縛せよ!」
刀身から放たれた水流が鋼のロープへと変貌し、空中の十字架に激突した怪物の四肢を完全に縫い止める。
怪物の奥底で、悪魔に喰い物にされかけているガランさんの魂の形が、僕の目にははっきりと見えていた。
ただ斬り捨てるだけでは、彼の魂は悪魔と共に永遠に地獄を彷徨うことになる。
「これで最後だ……炎よ!」
『魔王の盾』は封じられたままだ。だからこそ、僕は防御のことは一切考えず、今の自分が練り上げられるすべての魔力を、ジェミルの双剣へと惜しみなく注ぎ込む。
双剣から、すべてを焼き尽くす極炎が噴き上がり、薄暗い森を真紅に染め上げた。それは敵を滅ぼすための単なる暴力ではない。悪魔と魂を切り離し、かつての仲間を『浄化』し成仏させるための、祈りの炎だ。
「悪しき魂のみ滅せよっ! ――『精霊十字斬』っ!」
空を裂く極炎の十字が、怪物の巨体を完全に両断した。
断末魔の絶叫を上げて悪魔の肉体が黒い灰となって霧散していく中、微かな光の粒となったガランさんの魂が、ふっと空へと昇っていくのが見えた。
後に残されたのは、真っ二つにひび割れた魔剣の残骸だけだった。
耳の奥で鳴り響いていた爆音が、嘘のように消えた。
ポツリ、と。熱を失った森に、冷たい雨粒が落ちてきた。
魂を救済するための莫大な魔力を放出した僕は、小さく息を吐き、静かに立ち尽くしたまま折れた魔剣を見つめた。膝から崩れ落ちるような真似はしない。
かつて僕を虐げた彼らへの未練ではない。ただ、剣を握る者として、あまりにも中身が空っぽだったその最期に対する、どうしようもない虚無感と哀れみだった。
駆け出しの頃、ゴブリンの群れから僕を庇い、「後ろに下がってろ」と笑ってくれた、あの時の少しだけ頼もしかった背中を思い出す。あのまま、誰かを守るために剣を振るい続けていれば。
「……ガランさんだって、きっと英雄になれたのに。」
僕の頬を伝う温かいものを隠すように、雨足が次第に強くなっていく。
僕はひび割れた魔剣に別れを告げ、重い足取りで、一人真っ直ぐに町へと歩き出した。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
過去との決別を果たし、ミラルの心はさらに大きく成長しました。
皆様の応援が完結への最大の原動力です。この一つの区切りに胸が熱くなった方は、ページ下部にある『ポイント評価(☆☆☆☆☆)』を【★★★★★】にして作者を応援していただけると泣いて喜びます!




