第15話:英雄は、言葉なき声に耳を傾ける
観客の怒号のような歓声が、円形闘技場の高い壁に反響して渦巻いている。
中心に立つ僕の足元には、砂と、これまでの敗者たちが流したであろう乾いた血の匂いが混じり合ってこびりついていた。
「出たぞ! 本日の生贄、パッとしない新人だぁ!」
実況の声に合わせて、対面の鉄格子が重い音を立てて跳ね上がった。
闇の中から姿を現したのは、黒い毛並みに覆われた巨躯の猛獣――ヘルハウンド。
だが、その瞳は本来の野性味を失い、どろりと濁った赤色に染まっている。
「……行きます」
僕は、2振りの剣を低く構えた。
脳内ではすでに『剣聖』の技術と『料理人』の段取りが噛み合い、最短の勝利ルートを弾き出している。
ヘルハウンドが地を蹴り、黒い旋風となって肉薄する。
その鋭い爪が僕の喉笛を裂こうとした瞬間、僕は最小限の動作で身を翻した。
すれ違いざま、右手の剣でその横腹を浅く切り裂く。
相手を殺すためではなく、動きを制限するための精密な一撃。
「キャンッ!?」
猛獣が悲鳴を上げ、態勢を崩す。
勝負は決した――誰もがそう思った瞬間だった。
観客席の上部、運営席に座る太った男が不敵な笑みを浮かべ、懐から紫色の制御石を取り出して魔力を注ぎ込んだ。
ジジッ、という嫌な音が響き、ヘルハウンドの首に巻かれた鉄の首輪から、紫色の禍々しい電光が放たれた。
「グルル……ッ!」
直後、首輪から強烈な魔力が放出されたことで、周囲を覆っていた魔法障壁が陽炎のように歪み、パチンと弾けて消滅した。
同時にヘルハウンドの四肢が激痛に耐えるように硬直し、その動きが一瞬止まった。
(今だ……! ジャックさんの言っていたタイミング!)
僕は神速の踏み込みで懐に潜り込み、交差させた2振りの剣を全力で振り抜いた。
「はぁぁぁっ!」
パキィィィン!!
衝撃波と共に、金属が弾け飛ぶ音が響く。
僕の刃は、ヘルハウンドの肉を傷つけることなく、その首に食い込んでいた鉄の首輪だけを完璧に叩き割っていた。
僕は地面に落ちた分厚い首輪の残骸を拾い上げ、観客席に向けて高く掲げた。
「皆さん、見てください! これが不正の証拠です! この首輪で、魔獣を無理やり強化していたんです!」
僕の叫びに、熱狂していた観客席が水を打ったように静まり返り、やがて運営席へ向けたどよめきと怒声に変わっていく。
ジャックの作戦通り、これで奴らは言い逃れができない。
だが、運営席の太った男は顔を青ざめさせながらも、懐から隠し持っていた黒い制御石を引きずり出し、叩き割った。
「ガアァァァッ!!」
背後で、咆哮ではない、激痛に肺を灼かれるような絶叫が上がった。
振り返ると、ヘルハウンドの後ろ足に嵌められていた『鉄の足輪』から、ドス黒い魔力が噴き出している。
「なっ……! 奴ら、『狂乱の足枷』まで予備で仕込んでやがったのか!」
ジャックの悲痛な叫びが響く。
極限の苦痛と狂乱に支配されたヘルハウンドは、僕という標的を無視し、闘技場の高い壁を恐ろしい跳躍力で蹴り上がった。
「嘘だろ!? こっちに来るぞ!」
「逃げろぉぉっ!!」
猛獣が飛び込んだのは、つい先程まで彼を嬲り殺しにしようと熱狂していた観客席だった。
パニックに陥り、我先にと逃げ惑う群衆。
狂乱したヘルハウンドが、逃げ遅れた少女に鋭い牙を剥き出しにして飛びかかろうとした、その時だった。
「やめろぉぉぉっ!!」
群衆を掻き分け、最前列から1人の男が身を挺して飛び出した。ジャックだった。
「ジャックさん、危ない!」
僕の叫びも虚しく、ヘルハウンドの巨大な顎が、少女を庇ったジャックの肩口に深く食い込んだ。
メキィッ、という骨の軋む音と同時に、鮮血が舞い散る。
だが、ジャックは逃げなかった。
逃げるどころか、彼は血を吐きながら、残った右腕で自分を喰らおうとする猛獣の頭を、愛おしそうに抱き寄せたのだ。
「……大丈夫だ。すぐ終わる。ここの観客は、不味いから喰ったらだめだぞ。チビ……」
極限の痛みに顔を歪ませながら、ジャックは優しく語りかける。
彼が自らの肉体を餌にして足止めをしている間に、周囲の観客たちは悲鳴を上げながら逃げ去っていく。
「坊主……。今のうちに、チビを気絶させてくれ……」
ジャックが消え入りそうな声で僕に懇願する。
その背中から溢れ出していたのは、自分を詐欺師だと蔑み、悪党として泥を被ってでも、使い捨てられる命を守り抜こうとする、あまりにも不器用で高潔な『覚悟』。
対象を見据える僕の『瞳』の表面に、ジャックの真の姿が鏡のように静かに映り込む。
共鳴するように、僕の全身から白熱の魔力が黄金のオーラとなって立ち昇った。
【システムメッセージ:対象を『英雄』と確認】
【対象との『覚悟』の同調を確認しました】
【スキル『英雄の鏡』発動――英雄スキル『テイマー』を完全模倣します】
脳内に無機質な声が響き、言葉を持たない獣たちの感情が、色のついた波のように僕の意識へと流れ込んでくる。
悲しい、痛い、助けて――。
僕は剣を鞘に収め、ジャックの隣に跪いた。
「……気絶なんてさせません。一緒に鎮めましょう、ジャックさん」
新たに得た『テイマー』の力を指先に込め、僕の手を、ジャックの右手にそっと重ねる。
二人のテイマーから放たれた黄金の魔力が、温かい熱となって猛獣の全身を包み込み、狂った足枷の呪いを優しく溶かしていく。
やがて、ヘルハウンドの顎から力が抜け、瞳の赤みが穏やかな琥珀色へと戻った。
猛獣はジャックの胸に顔をすり寄せ、小さく「クゥン」と鳴いた。
「……生意気な坊主だぜ、まったく」
ジャックは安堵したように微笑むと、そのままチビを抱きしめたまま意識を失った。
◇ ◇ ◇
騒動の後。
公衆の面前で首輪の不正を暴かれ、さらにはパニックの中で露呈した隠し足枷の存在、そしてジャックが裏で掴んでいた大規模なノミ行為と八百長の証拠まで叩きつけられた運営側の太った首謀者は、言い逃れもできずに仲間共々、衛兵に連行されていった。
街外れの小さな厩舎で、肩に包帯を巻いたジャックが、ヘルハウンドの『チビ』に肉を与えながら僕たちを振り返った。
「あんたら、英雄を探して旅してるんだっけか? でもなぁ、英雄なんてこの欲まみれの町にはいねぇよ。俺みたいな、詐欺師ばっかりさ。まぁ、俺は稼ぎ方は汚ねぇが、使い道はまっとうな方だけどな」
「あんたに英雄なんか期待するわけないでしょ。昔から人間嫌いだったもんね。……で、その汚い金で闘技場のモンスターを買い戻しているわけ?」
セリアが呆れたようにため息をつくと、ジャックはチビの頭を乱暴に撫でながら鼻で笑った。
「人間より、よっぽど可愛いやつらだからな」
「……いいえ。あなたは立派な英雄ですよ」
僕が真っ直ぐに伝えると、ジャックは照れくさそうに頭を掻き、空を見上げた。
「……やっぱり、お前のその鏡みてぇな目は誤魔化せねぇな。……ま、せいぜいその眼で、世界中の困った奴らを正しく映してやってくれや」
僕は新たに得た『対話の力』を胸に、また一つ成長したことを実感しながら、セリアと共に次の目的地へと歩き出した。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
詐欺師の男が秘めていた、命への深い愛情。
ミラルはまた一つ、英雄の真実の姿を鏡に映しました。
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