「死を、使うという発想」
死にたいわけじゃない。
それだけははっきりしていた。
逃げたいわけでもない。
投げ出したいわけでもない。
ただ――
このままでは誰かがまた切られる。
それが嫌だった。
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部屋は静かだった。
以前は扉の外に立っていた監督官の足音も
今はない。
均衡派が動いたことで
形式上の監視は緩んだ。
理由は単純だ。
俺は逃げないと判断されたからだ。
「制度の中で飼い殺せる男」。
そう評価されたのだろう。
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俺は机に紙を広げた。
白紙だ。
武器もない。
地図もない。
作戦図もない。
あるのは
これまで起きた出来事の整理だけだった。
俺は箇条書きにしていく。
(均衡派の狙い)
・俺を消すことではない
・見せしめにすること
・「男が前に出るとこうなる」という物語を固定すること
ペンが止まる。
(つまり)
(俺が生きている限り)
(彼らの物語は完成しない)
生きて沈黙して管理されている男。
それは均衡派にとって一番都合のいい結末だ。
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ミレイアが俺の顔を覗き込む。
「嫌な顔してるわね」
「はい」
俺は正直に答えた。
「思いついてしまった」
「何を」
「最悪で一番効果的な案を」
自分でも口にするのが嫌だった。
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セラが視線を上げる。
「聞かせてください」
俺はゆっくり息を吸った。
「俺が」
「“死んだことになる”」
沈黙が落ちる。
部屋の空気が急に重くなった。
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最初に口を開いたのはミレイアだった。
「なるほど」
冷静だ。
「殺されるんじゃなくて」
「死んだと“記録される”のね」
「ええ」
俺は頷く。
本当に死ぬわけじゃない。
制度上死ぬ。
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セラがすぐに分析を始める。
「死亡記録が出た瞬間あなたは管理対象から外れます」
「監督も制限も消える」
「追跡も停止」
「均衡派は?」
俺が問う。
「勝利宣言ができます」
セラは即答する。
「危険な男は排除されたと」
俺は続ける。
「同時に」
「物語が完成する」
均衡派が欲しがっている結末。
「例外は消える」
それが綺麗に成立してしまう。
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エリスはいない。
だからこそ話は遠慮なく進んだ。
「でも」
ミレイアが言う。
「それをやった瞬間」
「あなたは何者でもなくなる」
事実だ。
「名前も」
「立場も」
「功績も」
「記録も」
「全部消える」
制度の中に俺は存在しなくなる。
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沈黙を破ったのはセラだった。
「それでも」
「人は救われます」
声は静かだ。
感情を抑えているが
完全に無感情ではない。
均衡派は勝利したと満足する。
ならば次の“見せしめ”は必要なくなる。
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俺は整理する。
「均衡派は」
「俺が死ねば」
「“やはり正しかった”と言える」
「例外は危険だったと」
「だから」
「これ以上男を切る理由がなくなる」
それがこの案の核心だった。
俺一人で物語を完結させる。
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ミレイアはしばらく黙っていた。
そして小さく笑う。
「最低の」
「最高案ね」
評価としては正しい。
道徳的には最低。
効果としては最大。
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問題は実行方法だった。
ただ姿を消すだけでは足りない。
行方不明は疑念を生む。
均衡派は“完全な勝利”を必要としている。
曖昧な死ではなく
納得できる死。
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俺は紙に条件を書き出す。
1. 制度が納得する死因
2. 第三者が確認できる証拠
3. 誰も処罰されない
4. 王女アリシアが介入できない形
どれも難しい。
だが理論上は可能だ。
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セラが静かに言う。
「私が適任です」
ミレイアが即座に遮る。
「ダメ」
「それはあなたが殺したことになる」
セラは首を振る。
「“失敗した護衛”です」
「事故」
「責任は私一人が背負う」
つまり
護衛中の魔法暴走。
防げなかった。
制度としては処理しやすい。
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「却下」
俺は即答した。
セラがまっすぐ俺を見る。
「理由は」
「それは誰かを切る選択だからです」
「俺は誰も切らない」
この計画は俺一人で完結しなければ意味がない。
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沈黙。
ミレイアが息を吐く。
「じゃあ自然災害」
「都市外」
「管理の薄い区域」
俺は頷く。
「魔法暴走」
セラが補足する。
「記録が曖昧で責任が個人に帰さない形」
それなら
誰も処罰されない。
ただ事故として処理される。
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夜が深まる。
窓の外に王都の灯りが広がっている。
あの光は俺がいなくても続く。
市場は開き
騎士は巡回し
学院は授業をする。
俺がいなくても社会は回る。
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「怖い?」
ミレイアが聞く。
「いいえ」
俺は正直に答える。
「怖くないのが一番怖い」
死ぬわけではない。
だが
自分の存在を消す。
それに躊躇が薄れている自分が怖い。
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この計画は逃げではない。
責任の延長だ。
生きて引き受けられなくなった責任を
“死んだことにする”ことで終わらせる。
俺が消えれば
誰かが前に出なくて済む。
それがこの世界で可能な
唯一の非暴力だった。
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その夜。
王女アリシアは理由のない胸騒ぎに目を覚ました。
机に向かい私的記録を開く。
《彼はまだ生きている》
ペンが止まる。
少し考えて書き足す。
《だが遠くなった》
インクがわずかに滲む。
「間に合って」
小さな声が夜に溶ける。
「お願いだから」




