「失う側に回る」
失うと決めたとき
胸が熱くなったわけじゃない。
勇気でもない。
覚悟でもない。
ただ冷たい計算だった。
誰を守れば誰が危険になるか。
どこを切ればどこが残るか。
感情を外して並べた結果
一番損失が少ない選択肢が
“自分の側を削る”ことだった。
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均衡派は表向きは静かになった。
集会は減った。
大きな声明も出ない。
掲示板の文面も角が取れた。
だがその分――
裏の動きが増えた。
水面が静かなときほど
下では流れが速い。
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セラが短く報告する。
「監視対象が変わりました」
俺は書類から目を上げる。
「誰から?」
「あなたではありません」
胸の奥が嫌な重さを持つ。
「誰だ」
「エリス」
空気が止まった。
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エリスは騎士だ。
王都でも名の通った実力者。
模擬戦でも実戦でも結果を出してきた女。
そして――
俺の側に立つ人間。
均衡派から見れば
理屈より分かりやすい“圧力点”だ。
俺を直接叩けば反発が出る。
だがエリスを揺らせば――
俺が動く。
そう読まれている。
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「理由は」
俺が聞くとセラは淡々と答える。
「彼女があなたの代替になるからです」
「代替?」
「ええ」
視線を逸らさずに続ける。
「あなたが下がった今前に立てる存在」
「そして」
「切ればあなたが動く」
正しい。
悔しいほど正しい分析だ。
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エリスはまだ知らない。
知らないまま任務に出ている。
いつも通りの顔で
いつも通り剣を振っている。
「告げる?」
ミレイアが慎重に聞く。
俺は首を振った。
「まだ」
「知らせれば彼女は前に出る」
エリスはそういう人間だ。
自分が囮になると分かっていても
前に出る。
それが一番危ない。
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夜。
倉庫の天井を見上げながら
俺は選択肢を並べた。
一つ目。
何もしない。
エリスが狙われる。
俺は動く。
均衡派の読み通りになる。
二つ目。
エリスを守るため俺が前に戻る。
均衡派は満足する。
「ほら見ろ」と言える。
物語が完成する。
三つ目。
エリスを切る。
一番冷たくて
一番現実的だった。
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切ると言っても命ではない。
関係を切る。
“俺の側にいる”という形を
制度の前で消す。
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翌朝。
俺は王城の記録官のもとを訪れた。
公の場所。
記録が残る場所。
あとで「誤解だ」と言えない場所。
わざとそこを選んだ。
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「申請内容を読み上げます」
記録官の声が石壁に反響する。
《エリス・○○騎士の任務上の行動について》
《私的関係性の存在を申告する》
ざわめきが走る。
俺は続けた。
「彼女は私と個人的な関係にあります」
事実だ。
だがここでの意味は別だ。
「よって」
「彼女を私の関与する案件から外してください」
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それは制度上は“適正な申告”だ。
だが実質は――
エリスの立場を削る行為だった。
英雄候補から
“判断を誤りかねない騎士”へ。
前線から
一段引いた場所へ。
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記録官が念を押す。
「理解して申請していますか」
「はい」
「これは彼女の評価に影響します」
「承知しています」
「理由は」
俺ははっきり言った。
「彼女を守るためです」
嘘ではない。
だが言葉としては薄い。
本当の理由は
彼女を“狙われにくくする”ことだ。
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その日の午後。
噂は即座に広がった。
「あの男」
「結局女に頼ってたんだな」
「騎士を私物化?」
「だから成功したんだろ?」
狙い通りだった。
矛先が俺に向く。
“制度を揺らす男”から
“女に依存した男”へ。
物語が格下げされる。
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エリスが知ったのは夕方だった。
倉庫に戻ってきた彼女は
無言だった。
鎧を外す音がいつもより重い。
やがて俺の前に立つ。
「説明しろ」
短い。
騎士の声だ。
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俺は目を逸らさなかった。
「君を守るためだ」
「嘘だ」
即答だった。
「お前は私を信用しなかった」
その通りだ。
俺は頷いた。
「その通りです」
「だから切りました」
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エリスの拳が震える。
怒りだけじゃない。
悔しさと裏切られた感覚。
「ふざけるな」
「一人で全部背負う気か」
「はい」
俺は答えた。
「均衡派は君を切れば俺が動くと読んでいる」
「なら動かない」
「それが一番迷わせる」
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長い沈黙。
エリスは俯き
深く息を吐いた。
「最低だな」
「ええ」
「最低な選択です」
否定しない。
正しいとは思っていない。
ただ損失が少ない。
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彼女は踵を返す。
「二度と」
振り向かないまま言う。
「私を守るな」
扉が閉まる。
音が重く残った。
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その夜。
ミレイアが静かに言う。
「これであなたは本当に一人ね」
「はい」
嘘はない。
エリスを制度の側に戻し
俺は制度の外に立った。
「でも」
「誰も切らせません」
自分が切られる側に回れば
刃はそこに集まる。
それでいい。
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均衡派の動きは確かに鈍った。
エリスという
“分かりやすい標的”を失ったからだ。
だが代わりに――
噂の矛先は
まっすぐ俺に向き始める。
「女を利用した男」
「騎士を巻き込んだ男」
「責任から逃げた男」
言葉が刃になる。
そして今度は
俺自身が切られる対象になる。
それは
計算通りだった。




