表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界に来たのでハーレムを目指したら、女性が強すぎて一歩も進めない件  作者: きなこもち
第3章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

56/90

「名を呼ばれるということ」


名を呼ばれた瞬間、人は逃げ場を失う。

それが本名でなくてもいい。

あだ名でも、蔑称でも、歪んだ呼び名でもいい。


「それ」が自分だと周囲が共有した瞬間、

世界は線を引く。


内側と外側。

味方と敵。

見る側と、見られる側。


---


最初に変わったのは、視線だった。


市場。

昼前の混雑。

干した魚の匂いと、焼いたパンの匂いが混ざる通り。


いつもなら、俺は簡単に溶け込めた。

外套の襟を少し上げ、歩幅を周囲に合わせる。

視線を合わせず、急がず、止まらない。


それだけで、人は俺を背景にする。


だが、その日は違った。


「あ」


誰かが、はっきりと息を呑んだ。


小さな音なのに、妙に耳に残る。


「あの人?」


灰色地帯グレイゾーンを」


言葉は最後まで出ない。

だが、意味だけが伝わる。


説明はない。

確認もない。

それでも、視線が集まる。


俺は、もう背景ではなかった。


---


エリスが、俺の横で低く言う。


「もう隠れても無駄だ」


その声には、諦めと警戒が混ざっている。


セラは歩きながら、自然な動きで周囲を見ていた。

視線は動かさない。

だが、気配を数えている。


「尾けられている」


「何人」


「三」


即答だった。


多くはない。

だが、十分だ。


三人いれば、情報は回る。

三人いれば、囲める。

三人いれば、「見た」と証言できる。


---


倉庫に戻ると、ミレイアがすでに待っていた。


椅子に腰掛けているが、姿勢が落ち着かない。

外套は整っているが、指先がわずかに動いている。


顔色が、悪い。


「来た?」


俺は、頷いた。


「来たわね」


彼女は短く笑った。

だが、その笑いは軽くない。


「思ったより、早い」


「何が」


ミレイアは、懐から紙を一枚取り出した。


粗末な紙。

上質ではない。

だが、文字は丁寧で、読みやすい。


誰かが、落ち着いて書いたものだ。


> 注意喚起

>

> 灰色地帯グレイゾーンを否定し、

> 我々の居場所を脅かす者がいる。

>

> 彼は沈黙を装い、

> 内部に混乱をもたらした。

>

> 見かけた者は、速やかに報告を。


名前はない。


だが。


身長。

髪の色。

口調の特徴。


十分だった。


---


エリスが、紙を強く握り潰す。


「やりやがった」


「ええ」


ミレイアは、冷静に頷く。


「思想は、自分を守るために、敵を具体化した」


「俺が?」


俺がそう言うと、ミレイアは首を横に振った。


「“あなた”じゃない」


「あなたの影よ」


「象徴にならなかった。断言もしなかった。旗も振らなかった」


「でも、沈黙した」


「その空白に、彼らが意味を詰め込んだ」


俺は、理解する。


何も言わないことが、

何もしていないことにはならない。


沈黙は、空白ではない。

誰かが、そこに物語を描く。


---


セラが、静かに言う。


「今後、あなたはどこにいても、物語の登場人物になる」


それは、警告ではない。

宣告だ。


市場にいても。

道を歩いても。

酒を飲んでも。


灰色地帯グレイゾーンを否定した男」として見られる。


俺個人ではなく、

役割として扱われる。


---


その日の午後。


灰色地帯グレイゾーン派の集会で、言葉が変わった。


灰色地帯グレイゾーンを守るために」


「敵を、無力化する」


殺す、とは言わない。


だが、守るとも言わない。


無力化。


曖昧で、便利な言葉。

手段を限定しない暴力の言い換え。


---


エリスが声を落とす。


「このままでは、狩られる」


「ええ」


ミレイアは、迷わず答えた。


「でも、それはあなたが狩られる前提の話」


俺は顔を上げる。


「他に、選択肢が?」


ミレイアは少しだけ黙った。


考えているのではない。

覚悟を確かめている顔だ。


「一つだけ」


「先に、物語を壊す」


---


夜。


集会の中心。


火が焚かれている。

人が集まっている。

熱気が、空気を重くしている。


誰かが声を上げる。


「敵は、灰色地帯グレイゾーンを否定した!」


「敵は、混乱を招いた!」


「敵は――」


その言葉が完成する前に、

俺の声が重なった。


「違う」


自分でも驚くほど、静かな声だった。


---


ざわめきが止まる。


視線が、一斉に向く。


怒り。

疑い。

恐怖。

好奇心。


すべてが混ざった視線。


「お前か」


誰かが言う。


「否定した男」


「沈黙の裏切り者」


俺は、首を振る。


「俺は、否定していない」


「なら、何だ!」


怒号。


火が揺れる。


俺は、ゆっくりと言った。


「壊れていると、言っている」


その言葉は、攻撃ではなかった。


だからこそ、一瞬、静まる。


---


灰色地帯グレイゾーンは、守るものじゃない」


「信じるものでもない」


「まして、国でもない」


誰かが叫ぶ。


「じゃあ、何だ!」


俺は、深く息を吸う。


胸の奥が熱い。

だが、声は震えない。


「間違えるための場所だ」


「間違えて」


「戻るための」


「途中だ」


---


完全な理解は、得られない。


納得もされない。


だが。


“敵”という言葉が、

一瞬、宙に浮いた。


確信が、揺れた。


それだけで、物語は崩れる。


---


その夜。


俺たちは、その場を離れた。


勝ちでもない。

負けでもない。


だが、灰色地帯グレイゾーン派の内部で、小さな疑問が生まれた。


「本当に、あれが敵だったのか」


その問いは、消えない。


---


倉庫に戻る。


ミレイアが、長く息を吐いた。


「やったわね」


「最悪の手です」


俺は、正直に言う。


「ええ」


彼女は、かすかに微笑む。


「でも、最初に物語を壊したのは、あなた」


エリスが静かに言う。


「もう、隠れられないな」


「はい」


俺は頷く。


「だから」


「次は、本気で壊しに行きます」


守るでもない。

否定するでもない。


物語そのものを、崩すために。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ