幕間 規律は、誰のためにあるのか
その日の夕方。
近衛騎士団本部の会議室は、重たい空気に包まれていた。
石造りの円卓の中央に、エリスは一人で立っている。
鎧は着ていないが、背筋はまっすぐ。視線もぶれない。
周囲に座るのは、団長、副団長、監察官。
王国の規律を決める側の人間たちだ。
誰も、すぐには口を開かなかった。
だがエリスは、すでに覚悟を決めている。
呼び出された時点で、どういう話になるかは分かっていた。
やがて、団長が低い声で言った。
「エリス」
「命令拒否を黙認した件」
「独断で試験を延期した件」
「さらに、代替試験の監督責任者を引き受けた件」
一つひとつ、はっきりと言葉にされる。
「いずれも、規律違反だ」
「はい」
迷いなく答える。
言い訳はしない。
正当化もしない。
団長が続ける。
「弁明は?」
「ありません」
その一言で、室内の空気がぴんと張りつめた。
監察官が、わずかに眉をひそめる。
団長は、しばらくエリスを見つめてから、ゆっくりと言った。
「王女殿下は、あなたを罰するなと仰せだ」
その言葉に、監察官が即座に反応する。
「しかし団長、それでは部下に示しがつきません!」
「命令を曲げても許されるという前例になります!」
団長は小さくうなずいた。
「わかっている」
そして、改めてエリスを見る。
「だからこそ、処分は“降格”だ」
胸の奥が、すっと冷える。
怒りでも、悔しさでもない。
ただ、何かが静かに沈む感覚。
(軽いな)
そう思ってしまった自分に、少し驚く。
団長は続ける。
「近衛騎士長補佐の職を解く」
「現場指揮権は保持する。ただし」
わずかに間を置く。
「今後、件の男に関する判断は、すべてお前個人の責任だ」
その意味は明確だった。
組織としては守らない。
成功すれば功績。
失敗すれば、切り捨て。
(切り離されたな)
守られているようで、実質は一人になる。
団長が問いかける。
「異論は?」
「ありません」
エリスは深く頭を下げた。
会議はそれで終わった。
――――――
廊下に出ると、夕日が窓から差し込んでいた。
石の床が赤く染まっている。
団長が後ろから声をかける。
「エリス」
足を止める。
「後悔はしているか」
短い問い。
だが、重い。
エリスは、振り返らずに答えた。
「いいえ」
即答だった。
自分でも、迷いがないことに驚く。
ゆっくりと続ける。
「私は、騎士としての規律よりも」
言葉を慎重に選ぶ。
「一人の人間を“怪物”にしない選択をしました」
団長は、かすかに苦笑した。
「それが、お前の限界でありお前の強さだ」
責めるでもなく、称えるでもない。
ただ、事実として言う。
エリスは、何も答えなかった。
胸の奥で、静かに思う。
(それでいい)
規律を守ることが騎士の本分。
だが、規律だけでは守れないものがある。
(剣で守れないものがあるなら)
肩書きを一つ失ってもいい。
(私は、それまでの人間でいい)
完璧な騎士でなくていい。
それでも、間違っていないと胸を張れるなら。
エリスは、再び歩き出した。
降格された近衛騎士として。
それでも、自分で選んだ道を進む人間として。




