初めての命令拒否 従わなかっただけで、事件になる
命令は、紙一枚で届いた。
形式ばった文章。
丁寧な言い回し。
だが最後の一文だけが、すべてだった。
《対象は拒否権を有しない》
紙を机に置いたまま、しばらく動けなかった。
(…またか)
適応試験。
特別評価。
合同観測。
名前は違うが、意味は同じだ。
――どこまで使えるかを見る。
胸の奥が、静かに冷えていく。
(結局そこなんだよな)
俺が危険かどうかじゃない。
俺がどこまで“役に立つか”。
部屋の外で足音が止まる。
ノック。
「入るぞ」
エリスだった。
「通達は見たな」
「はい」
短く答える。
エリスは一瞬だけ俺の顔を見て、すぐ視線を逸らした。
(分かってる顔だ)
「内容は、騎士団と学院の合同評価だ」
「戦闘行動、耐性、精神負荷」
「…フルコースですね」
「…ああ」
少し間が空く。
「私が同行する」
「それでも拒否は認められない」
(だろうな)
喉が、少しだけ乾く。
「…エリスさん」
息を整えてから、言う。
「俺、行きません」
エリスの足が止まった。
「…何?」
声が、騎士のそれではなくなっている。
「行かない、と言いました」
もう一度、はっきり言う。
「命令だ」
「分かってます」
「王女殿下の承認もある」
「分かってます」
「それでも?」
「それでもです」
部屋の空気が重くなる。
エリスの目が、真っ直ぐこちらを見る。
「理由を聞こう」
少しだけ考える。
「行ったら、多分」
言葉を選ぶ。
「俺、合わせちゃうんです」
「合わせる?」
「期待に。必要に。役割に」
言いながら、自分でも納得する。
(ああ、俺これ分かってたんだ)
「求められた通りに動けるようになる」
「“安全な存在”になる」
「それの何が問題だ」
エリスの声は厳しい。
「王国にとっては、それが最善だ」
「そうです」
うなずく。
「でも俺にとっては、違う」
「安全になったら、俺は“道具”になる」
自嘲気味に笑う。
「もう片足は突っ込んでますけど」
「両足は、まだです」
エリスがゆっくり近づく。
目の前で止まる。
「これは反抗だと理解しているな」
「はい」
「最悪の場合、拘束される」
「はい」
「力で連行される可能性もある」
「それでも」
心臓が、うるさい。
「それでも、行きません」
言い切った。
沈黙。
長い沈黙。
エリスは、しばらく俺を見つめていた。
やがて、静かに言う。
「…分かった」
「え?」
思わず聞き返す。
「今は、連行しない」
「今は?」
「私は現場責任者だ」
「“対象の精神状態が不安定”として、評価を延期する」
「それ、エリスさんの立場――」
「悪くはなるだろう」
即答だった。
「だが」
拳を握る。
「君がここで拒否しなければ、私は後悔する」
胸が、詰まる。
(この人…)
扉の外で気配が動く。
様子をうかがっている。
「時間は稼ぐ」
エリスは低く言った。
「だが次は、より大きな理由が必要になる」
「…分かりました」
エリスは一度だけ頷く。
扉の前で振り返る。
「君は今日、“事件”を起こした」
「覚悟しておけ」
扉が閉まる。
静かだ。
しばらく、動けなかった。
(…やったな)
正直、怖い。
拘束されるかもしれない。
信用を失うかもしれない。
エリスの立場も、悪くなる。
それでも。
(後悔は、してない)
俺は初めて、命令に従わなかった。
反発じゃない。
感情的な拒絶でもない。
ただ――
自分が自分でいられなくなるのが嫌だった。
それだけだ。
椅子に深く座り込む。
心臓はまだ速い。
でも、どこか静かだった。
(安全じゃないままでいる)
それを、自分で選んだ。
小さな選択だ。
けれど。
その瞬間から、世界の歯車は確実に軋み始めていた。




